nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

おおばん

2012-04-29 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
 先日、我孫子在住の親戚の絵画展を見に行ったところ、『我孫子物語』という和菓子を頂戴しました。
 その中に『おおばん』という和菓子があり、包装もオオバンの姿が印刷されていました。
 包装を開けますと、画像のとおり黒褐色をしており、その上におおばんの嘴から額にかけての白い部分をイメージしたように、白い種が乗せてあ
 ります。
     *      
Img_0421Img_0423  中身は説明書によりますと、
 『コクのある渋皮栗を一粒入れて白あんとココア生
 地で包んで焼き上げたモダン菓子。
 我孫子の鳥「おおばん」をイメージしています。』
 とあります。







     *
Img_2937_2 早速頂戴してみると、適度な甘さのある洋風和菓子とでも言ったら良いでしょうか、お茶よりコー
 ヒーか紅茶が相応しいかも知れません。
 また、外装には、次のような説明がされていました。
 『オオバンは我孫子市の自然のシンボルで、市内にある手賀沼で一年中見られる水鳥です。
  昭和63年12月1日に『我孫子市の鳥』に指定されました。
  全身が黒色で、くちばしから額にかけての白い部分(額板 = がくばん)が特徴的です。』
     *
 参考までにこの『福一』という和菓子屋さんは、湖北台に本店があり、我孫子駅北口にもお店が
 あります。
 機会がありましたら、是非お試し下さい。
     *
Img_2931_2Img_2934 ところで、こちらは今時非常に目立つ『ベニバナ
 マンサク』です。
 近くのBハイツの塀に豪華絢爛と咲いていました
 ので、思わずシャッターを切った次第です。

八重桜を観る会

2012-04-22 22:49:26 | お花見
 今日は東京都下水道局足立下水処理場で『八重桜を観る会』がありました。
 普段は入れない処理場の中、敷地内にある八重桜が見頃になって開催されました。
     *      
Img_2911Img_2926  生憎の曇り空、気温も低くお花見気分にはなれな
 い気候でしたが、それでも色とりどりの八重桜が
 咲き競っており、それなりに楽しむことができま
 した。






     *
Img_2918Img_2929Img_2930






     *
Img_2915_2 その桜の中に『レーガン桜』があり、これはレーガン大統領夫人が来日した際に贈られた苗木を、
 舎人公園に植樹したもので、当時の都知事により命名されたとのことです。
 また日米親善の「桜の特使」として里帰りした桜でもあります。
 この苗木のもととなる桜は、明治45年に日本から贈られた桜(通称五色桜)で、ワシントン・ポト
 マック河畔に植樹されていることはご存知のとおりです。

      *




Img_2922Img_2921 また施設内には下水処理を利用した水車小屋、そ
 の流れに沿った遊歩道があります。
 この流れで飼育したホタルの鑑賞会が毎年夏に開
 かれてもいます。
 その遊歩道にあったシャクナゲも印象的でした。





輪 島

2012-04-14 00:00:00 | 旅行記
Img_2892 ツアー最後の日は曇り空、部屋から見る限り桜の開花は未だ先のようだ。
 今朝も食事前に旅館の付近を鳥見がてら歩く。
 岸壁内には数羽のホシハジロとスズガモが2羽、カモメ類はウミネコが数羽飛び交っている。
 1羽のウミネコが近くの岸壁で魚を漁っている。
 岸壁の外では夏羽のカンムリカイツブリとミミカイツブリが盛んに海面から潜って餌取りをしているのが見
 える。


     *
Img_2893Img_2895  海上から冷たい風が吹き付けるので、長い時間は
 いられない。
 改めて外から加賀屋の建物を見ると、その規模の
 大きさが分かる。
 イソヒヨドリの鳴声が聞こえていたが、その姿を
 見ることができず、部屋へ戻ると近くの建物の屋
 上で囀っている いるところを見つける。



     *
Img_2897 朝食も部屋で採る。お菜は少量、多品種でいうことはない。
 バスで出発する際、到着時より多くの仲居さん方が、女将さんを先頭に見送ってくれる。
 昨日の夕方から今朝の出発まで、何くれとなく世話を焼いてくれた仲居さんに感謝。日本一の宿といわ
 れる旅館での約17時間はアッという間に過ぎてしまった。   
     *
 バスは【田鶴浜IC】から能越自動車道に入り、【徳田大津JCT】で能登有料道路を経由して【能登空
 港IC】で一般道に降り、輪島へ向かう。
 この辺りの桜はまだ蕾、梅がどうにか見頃を迎えているのを見たり、右手車窓に時折見える海を眺めな
 がら輪島の町中へ入る。
 かって野鳥のメッカともいえる『舳倉島』へ何回か訪れた際に、船の出港時間に合わせるため必ず輪島
 の民宿に泊まっていたが、バスはその民宿の前の道を通って、今日の最初の目的である『しおやす漆器工房』に到着する。
     *
Img_2898 しおやす漆器工房
 今日は土曜日なので工房はお休み、ただしショップの方は年中無休とのことだ。
 その工房の案内役には、ご当主の塩安氏が当たられる。
 説明の内容は概略以下のとおり。
     *
 今から150年前、安政五年の創業より代々受け継いできた輪島塗の伝統。昔からのやり方をただそ
 のまま引き継ぐのではなく、人々の暮らしの変化に合わせて、また環境の変化に合わせて私たち自
 身も変化する。昔からの技術を活かし、今の時代の輪島塗製品を創造したいと願っています。
 それこそが本当の意味での伝統の継承であると、私たちは信じています。
     *
 輪島塗の特長は、美しさと同時に実用品としての堅牢さを持ち合わせていること。
 それは長い年月をかけ、幾世代にもわたって伝統を受け継ぎながら創意工夫を重ね、技を磨くことによって進化してきました。
 例えば、下地の時に、珪藻土を焼いて砕いた粉末「輪島地の粉」を漆に混ぜて塗ったり、麻布を漆で張って強度を高める技法。沈金や蒔絵の技術
 伝統を守るだけでは生まれることのなかった技術、それが輪島塗の伝統なのです。
 「暮らしの中で使う道具でありながら、ひとつの芸術でもある」という輪島塗ならではの価値がここにあります。
     *
 ひとつの漆器の完成までに124の工程を持つ輪島塗。各工程は10の分野に分けられ、完全に分業されています。ひとつの工程が終わるごとに次の
 専門の職人へと手渡されるため、それぞれの専門の職人は、自分の仕事に自負を持ち、次の職人の人に自信を持って手渡せるよう丹精を込めます
 膨大な工程のすべてを管理する、プロデューサーの役割を担うのが塗師屋(ぬしや)です。それぞれの専門職の技術を活かし、今の時代だからこ
 そ出来る輪島塗の新たな進化をとげること。それが塗師屋としての私たち塩安漆器工房の役割であると信じています。
     *
 見学を終えた後はショップでの買い物タイム。
 帰りには記念品として輪島塗の夫婦箸を頂戴する。
     *
 次いで朝市の見学となる。この後のスケジュールが詰まっているので、見学時間が僅か30分しかないので、ゆっくりと見て回るわけにはいかない
 この朝市もかっての『舳倉島』行きの際に、昼食用として赤飯や草餅などを買ったことを思い出す。
     *
Img_2899 今回はガイドさんお勧めの『ひじきのふりかけ』や、添乗員推薦の『えがら饅頭』(饅頭の皮にサフラ
 ンを使っている)が売れ筋となったようだ。
輪島の朝市
 輪島の朝市の歴史は古く、平安時代から行われていたという文献があります。つまり、1000年以上の歴
 史があるんですね。
 神社の祭礼日などに生産物を持ち寄って、物々交換しあっていたのが市の始まりだと言われています。
 それが、室町時代には毎月4と9の付く日に市が開催されるようになり、明治時代には毎日、市が立つ
 ようになって今に至っています。
 輪島朝市は通称『朝市通り』と呼ばれている約360mの商店街で毎朝行われていて、今では200以上の露
 店が立ち並び、たくさんのお客さんが訪れています。    
 この露店についてですが、輪島朝市の営業権利は、朝市組合といったものに加入しなくてはダメで、店先に自分のフルネームが書かれてる看板を
 見えるところに付けとかないといけません。
 この営業権利は先祖代々引き継がれています。ですから、誰でも自由に、朝市で店を出すことは出来ないようになってます。
 輪島朝市は、地元の台所として多くの人から利用されていましたが、近年は大手のスーパーが出来て、時間に拘束されることもなくお買い物が出
 来るようになりましたので、今では観光客の比率が多くなっています。
     *
Img_2901 今日の昼食は、千枚田の手前にある『能登の庄』で〈能登丼〉をいただく。
 ここは『ねぶた温泉』があり、宿泊もできるという前面に広がる日本海に面しており、遠く七ツ
 島も見える。
 今日は海上が靄っておりハッキリとは見えなかったが、『舳倉島』への航路からは良く見え、ウ
 ミネコの繁殖地となっているので、その見物も海路の楽しみのひとつでもあった。
     *
Img_2900_2一食即解 食べればわかる能登のおいしさ」といわれ
 る『能登丼』には、次のような定義があるようです。
 〈食材〉・奥能登産の米(コシヒカリ)を使用しています
    ・奥能登の水を使用しています
    ・メイン食材に地場でとれた旬の魚介類、能登
      で育まれた肉類・野菜又は地元産の伝統保存食を使用しています
 〈食器〉・能登産の器を使用しています
    ・能登産の箸を使用しています
    ・箸はお客様にプレゼントいたします
 〈調理〉・健康・長寿・ヘルシーにこだわっています(塩分控えめ、動物性油を使わない、もしくは少量使用)
    ・オリジナリティ(奥能登らしい、店独特のもの)あふれる丼です
    ・奥能登地域内で調理し、提供いたします
     *
 今日の最後、というよりは今ツアー最後の観光は『ローカル線・のと鉄道』に乗車することだ。
 バスは今朝来た道を戻り、のと鉄道の始発駅『穴水駅』に向かう。
     *
Img_0420Img_2903_2  穴水駅に到着すると、電車は既に入線しておりお客も乗って
 いる。
 今日のバスの座席は中央よりやや後方だったので、電車の座
 席は満席になっていた。
 小生はやはり老齢相応に見えているようで、同じツアーの若
 い方が席を譲って下さる。
 正直のところ立ち通しでは腰の痛みが心配だったので有難か
 ったが、 ただ沿線の風景をカメラに収めるには座ったままと
 はいかなかったので、途中から車輛の最後尾へ、またその後は最前部へ移動した。
     *
 のと鉄道
Img_0422_3Img_2902能登鹿島駅
 別名『能登さくら駅』ともいわれ、春の「桜のトンネル」は全国的にも
 有名。
 ところが今年は、開花が遅れており未だ蕾みの状態、 『さくら祭り』の
 提灯が空しく風に揺れていた。
西岸駅 ・駅愛称名、小牧風駅。
 駅前に立つと、入り江をはさんだ高台付近を小牧台と呼び、七尾北湾が
 一望できます。
 近年、能登島への第二の入り口「能登島農道橋(ツインブリッジ
 のと)」が完成し、能登島へのアクセスも可能になった。
能登中島駅 ・駅愛称名 演劇ロマン駅。
 全国有数の生カキの生産地。また、『無名塾』が合宿に来ている『演劇の町』でもある。
 近年、「能登演劇堂」も完成し、無名塾のロングラン公演等、さまざまな演劇が催されている。
笠師保駅 ・駅愛称名 恋火駅
 塩津かがり火恋祭りは年に1度、夏の夜、男の神様と女の神様が海の上でランデブーを楽しむというロマンチックなストーリーを秘めているのがこ
 の祭り。海上に照らし出される2,000個の灯明が実に幻想的。
田鶴浜駅 ・駅愛称名 たてぐのまち駅
 当地を治めていた長家が菩提寺・東嶺寺を建立の際、尾張より招いた指物師に弟子入りした村人が匠の技を受け継いだことが、建具の街への始ま
 りでした。
和倉温泉駅
 今から1200年ほど前、2羽の白鷺が海に足を浸し、傷を癒しているのを一人の漁師が見つけ、飛び立った場所に 行ってみると、海の中からお湯
 がわき出ていたという伝説から、湯の湧く浦「湧浦」、これが後に「和倉」となった。
     ・
Img_2906Img_2904七尾駅
 のと鉄道の始発駅。(七尾~和倉温泉間はJR西日
 本との相互運転区間)
 今を去る590年の昔、守護大名の畠山氏が能登に着
 任して築いた山城の七つの屋根に基づき名付けられ
 た地名。その後、天正9年(1581年)に前田利家
 が着任して小丸山に城を築いたが、地名はそのま
 ま『七尾』を利用した。 【のと鉄道資料より】

     *
 七尾駅前まで回送していたバスに乗り、国道160号線を南下し、氷見温泉の手前で能越自動車道の
 【灘浦IC】に入る。当初予定されていた『雨晴海岸』は、時間の関係もあってカットされることになった。
     *
Hyousikaigan1 雨晴海岸
 万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し、多くの歌を詠みました。
 雨晴海岸は、岩礁、白い砂浜、青松がつづく景勝地です。ことに、浜から眺める岩礁、そして富山
 湾越しに見る、3000メートル級の立山連峰の雄大な眺めは、四季それぞれに変化し、息を呑む美し
 さです。           【雨晴観光協会資料より】




     *
 バスは【小矢部・砺波JCT】から北陸自動車道に入り、往路を戻って上田駅へと向かいました。
 途中、富山を過ぎる辺りから雨が降り出し、上田駅まで降り続いていました。
     *
Img_2907Img_2909  【有磯海SA】と【松代PA】でトイレ休憩して
 【坂城IC】で上信越自動車道を降りる頃には暗く
 なってしまいました。
 往路で期待した上田城の桜は相変わらず蕾のまま
 で、今回はパスすることになりました。






      *
Img_2910 3日間お世話になった長野観光のガイドさんと運転手さんに感謝の挨拶をして、上田駅構内へ。
 ここで新幹線の待ち時間を利用して、駅前にある中華店で久し振りのラーメンを食べる。
 昼も夜も海鮮料理が続いていたので、ラーメンの美味しかったこと !
 往路に注文した夕食用の『海鮮二大親子弁当』は余分になってしまいました。
     *
 9.00.和倉温泉(バス)→ 10.00. しおやす漆器工房 10.30. → 10.40. 輪島朝市 11.40. → 11.20. 能登の庄(昼食)
 12.00. → 12.35.穴水駅 12.46.(のと鉄道)→ 13.43. 七尾駅 13.50.(バス)→ 14.23. 灘浦I .C. → 15.30.
  有磯海S.A. 15.50. → 松代P.A. → 18.06.坂城I .C. → 18.30.上田駅(夕食)19.43.(あさま548号)→
  21.10. 上野駅
     *
【確認した野鳥】 44種類
 1.カイツブリ    2.ミミカイツブリ 3.カンムリカイツブリ 4.ウミウ
 5.ダイサギ     6.コサギ     7.アオサギ     8.オシドリ
 9.マガモ      10.カルガモ    11.コガモ      12.オカヨシガモ
13.ヒドリガモ    14.ホシハジロ   15.キンクロはジロ   16.スズガモ
17.カワアイサ    18.ミサゴ      19.ト ビ      20.ノスリ
21.サシバ      22.ユリカモメ    23.セグロカモメ  24.ウミネコ
25.キジバト     26.ヒバリ      27.ツバメ      28.キセキレイ
29.セグロセキレイ   30.ヒヨドリ     31.カワガラス    32.イソヒヨドリ
33.ウグイス V     34.オオルリ    35.エナガ      36.ヤマガラ
37.シジュウカラ   38.メジロ      39.カワラヒワ    40.スズメ
41.ムクドリ      42.カケス     43.ハシボソガラス   44.ハシブトガラス



兼六園

2012-04-13 00:00:00 | 旅行記
大牧温泉観光旅館
Img_0462 静寂の自然の中での一夜が明け、窓を開けると、今朝も柔らかい初春の日差しが渓谷を照らして
 いる。
 静かだ、まさに無音の世界だ。
 時折その静寂を破るのは、山から雪崩落ちる土砂まじりの雪の塊の音だ。
 その緑色の川では、雪崩落ちた雪の塊が流れる中、カワアイサが数羽、行ったり来たりしている。
 対岸の崖近くではオシドリが、1羽の♀を2羽の♂が追い回している。狭い谷間の上空では、サ
 シバの「ピィークィッ」という声が響き渡る。
 この声を聞いて、かって奄美大島へ行った際にリーダーの安西氏が「キッスミー」と聞きなしを
 されていたことを思い出す。たしかあの時氏は結婚前ではなかったのではと、突然のように過去
 のことが甦る。
 その他の野鳥の囀りが谷間に響くので、朝食前に散歩がてら探鳥に出掛ける。
 今年の初認、オオルリをはじめカワガラス、キセキレイ、エナガ、ヤマガラ、カケスなどを楽しむことができた。
     *
Img_0464  朝食は『箱膳』の他、次々にお菜が出され、ついつい食べ過ぎてしまう。
     *
Img_0431  帰りの遊覧船は、我々以外のグループも乗船する
 ので、ほぼ満員の状態だった。
 スーツケースは船着場まで仲居さんが運んでくれ
 る。
 遊覧船は到着の際と同じように、旅館を再度見渡
 すように上流に向かって進んでから、小牧ダムへ
 向かう。
 小さな桟橋に仲居さん方が並んで見送ってくれる。
 「またのお出をお待ちしておりまぁーす」との声
                       が耳に残る。
     *
 川面には、昨日より多くのカモたちが見られる。マガモ、カルガモ、コガモ、オカヨシガモ、ヒ
 ドリガモなどのほか、急な斜面で餌を漁っているカモシカも……。
     *
 小牧ダムで待ち受けていたバスに乗る。昨日の座席は最後尾だったが、今日は最前列になっている。
 昨日のコースを逆戻りして【砺波IC】から北陸道に入り、【金沢森本IC】で降りる。
 ガイドさんの情報によると、金沢の桜は満開になっているという。一昨日に開花したばかりなのに3日で満開になるとは今年の桜の咲き方は異常
 だ。        
 それはともかく、我々にとっては嬉しいことだ。車窓から見える市内の桜もなるほど見頃になっている金沢城趾に近くなると、車の渋滞が激しく
 なる。城趾のお堀通りの桜が見事だ。
 バスはそのお堀通りから蓮池門通りに入り、蓮池門で停車、我々はここから『兼六園』に入る。
     *
兼六園Img_2867
 石川県金沢市にある兼六園は水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の1つに数えられる、
 池泉回遊式庭園の大名庭園です。
 兼六園の名称は宋代の詩人、李格非の洛陽名園記に記されている「宏大」「幽邃」「人力」「蒼古」
 「水泉」「眺望」の六つを兼ね備えている名園ということから、松平定信が名付けたと言われてい
 ます。
 延宝4年(1676)、に加賀藩5代藩主、前田綱紀が金沢城内に蓮池御亭と称する別荘を建て、周辺を
 庭園として整備したのが始まりとされ、その後、11代藩主治脩、12代藩主齊広、13代藩主齊泰が
 主に作庭に力を注ぎ、齊泰の代になってようやく現在に近い形になったとされます。
 写真は徽軫(ことじ)灯籠といった兼六園を代表する景観の1つで、燈篭の足が琴柱に似ているこ
 とから名付けられ、高さは2.67mあります。
Img_2868 また、兼六園には霞ヶ池や鶺鴒島、根上松、瓢池、翠滝、黄門橋などの名所があり、そのそれぞれ
 が四季が変わるたび桜や新緑、紅葉、雪吊りなど多くの見所があり、特に高低差を利用して幽玄な
 雰囲気から広大に視野を広げさせるなどの演出も施されています。
 園内からの城下町への眺望も素晴らしく、庭園と遠望の対比も面白いかもしれません。
 兼六園は国特別名勝に指定されています。            【兼六園パンフより】





     *                   
Img_2869Img_2870  我々は園内ガイドの案内に従って、園内を一周す
 ることになる。
 霞ヶ池から始まり、市内の眺望台、唐崎松、地蔵
 堂、明治記念之標、菊桜や根上松を見て、今盛り
 の梅林から栄螺(さざえ)山を回り、獅子巌を経
 て出発点に戻る。
 この間約40分。ユーモアたっぷりのガイドにすっ
 かり笑わされる。
 残りの自由時間に梅林付近まで戻って、ゆっくり
 と花々を楽しむ。
     *                                    
 混雑し始めた兼六園を後にして、昼食場所の『料亭・秋月』へ。ここで『加賀会席』を味わう。
加賀料理
 加賀百万石の伝統が育んできた金沢の食文化。四季折々の豊かな自然に恵まれてきたこの地だからこそ
 「加賀料理」として独特の進化をとげています。Img_2872
 「加賀料理」とは、地元でとれた食材を日常的に美味しく食べるために工夫されてきた郷土料理の
 こと。
 「じぶ煮」や「かぶら寿し」など素朴で庶民的な加賀料理も、九谷焼や金沢漆器などの華やかな器
 に盛り付けられることで、華麗な「加賀料理」として演出されてきました。
 器によって目で味わい、舌で味わう、この絶妙な関係が加賀料理の魅力なのです。
     *
加賀野菜
 城下町金沢には藩政時代から受け継がれてきた四季折々の特産野菜があります。
 主に金沢で昭和20年以前から生産されている野菜15品目が「加賀野菜」ブランドとして認定されて
 います。
 近年、その個性的な味覚に首都圏での認知度も高まっています。
  ◆さつまいも  ◆たけのこ    ◆せ り        ◆赤ずいき   ◆くわい
 ◆金沢春菊    ◆加賀太きゅうり ◆打木赤皮甘栗かぼちゃ ◆金時草    ◆加賀つるまめ
 ◆金沢一本太ねぎ ◆源助だいこん  ◆ヘタ紫なす      ◆二塚からしな ◆加賀れんこん     【金沢美味紀行より】
     *
 昼食後は古都の風情を残す花町『ひがし茶屋街』へ。
 この茶屋街の中程では、兼六園でも写真を撮っていた新婚カッブルが、スタッフに囲まれてポーズを取り、カメラに収まっている。我々が通るの
 にもお構いなしなので、街並を撮るのに苦労するほどだった。
     *
ひがし茶屋街
 ひがし茶屋街は金沢百万石の城下町の風情を現在最もとどめている街の1つです。
 金沢市には3箇所の茶屋街があり、ひがし茶屋街の他に、にし茶屋街、主計町茶屋街があります。それぞれが当時の景観をとどめていて修景計画
 も着々と進んでいます。
 ひがし茶屋街はそのうちでも最大規模を誇り、現在でも8件が営業していて、芸子さんや芸者さんが20名ほどいるそうです。町の中には笛や太鼓
 三味線などの音が流れ、昔からの景観とあわせてなんとも言えない雰囲気があります。
     *
Img_2876Img_2874  金沢の町割りが進む中、文政3年(1820)に茶屋
 と呼ばれる遊郭を整備したのが始まりで「東廓」
 などと呼ばれ歓楽街として栄え、時には文化人達
 の社交場にもなりました。
 茶屋様式と言われる建物が軒を連ね、特に「志摩」
 や「懐華樓」などは江戸時代当時をよく伝えてお
 り文化財にも指定されています。
 


     * 
Img_2875  Img_2877

 二番丁では大方の建物の修景が終わり、石畳や電柱の地中化、街路等のデザイン化なども随時行われています。
 重要伝統的建造物群保存地区に指定されている中の3分2が、明治初期までに建てられた建物で埋め尽くされています。
      *
Img_2879Img_2878  またこの茶屋街と並行して流れる浅野川沿いの桜
 並木も今を盛りとなっているので、お勧めですと
 案内される。








     *
 これで今日の観光は終了、後は『千里浜なぎさドライブウエイ』を通り、『和倉温泉』へ向かうことになる。
 この頃から雲が多くなり、日差しも陰って気温が低くなってきた。
 寒々とした海岸線に打ち寄せる波を見ながらのドライブは、流れ着いたゴミが目立ち、快適というよりは何とも侘しさを感じさせるものとなった
 もっともこのゴミは、海水浴シーズンを前に清掃されるそうだが、ハングル文字の物も多く、地元ではその対策に苦慮しているとのことであった
     *
Img_2881 千里浜なぎさドライブウエイ
 千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイは、石川県羽咋郡宝達志水町今浜から同県羽咋市千里浜
 町に至る延長約8kmの観光道路である。
 日本で唯一、一般の自動車やバスでも砂浜の波打ち際を走ることができる数少ない道路として広く
 知られている。そのため、砂浜でありながら道路標識が設置されている。
 一般の自動車や大型車が走行できる理由は、この海岸の砂が特別細かく締まっている(水分を吸っ
 て固くなる)ため、普通の砂浜のように沈まないためである。
 砂浜が締まっている理由は、河口より約 40km南西に位置する手取川、千里浜周辺の大海川や宝達
 川が運搬した土砂が沿岸流(対馬海流)や北西の季節風によって運ばれ、なおかつ羽咋市の北にあ
 る滝崎が土砂をUターンさせ千里浜に堆積させたためである。    【ウイキペディア】より
     *
 この後は宿泊先の和倉温泉へ向かう。
 宿泊先は日本一の宿といわれる『加賀屋』。

加賀屋
 屋号は、創業者の小田與吉郎が加賀国津幡(現在の石川県河北郡津幡町)の出身であることに由来する和倉温泉の筆頭旅館の地位を占め地上20階
 約1,300名の収容人員を持つ全国最大級の旅館。
 1977年(昭和52年)1月より、旅行新聞新社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(全国の旅館業者の中から選定)の総合部門
  1位として認定・表彰されている。
 この年以降「32年連続」で加賀屋が総合「1位」を連続受賞中。
 NECビッグローブ社が運営する第4回「みんなで選ぶ温泉大賞」においても、加賀屋は初回から連続して総合一位を受賞中。
                                                     【ウイキペディア】より
     *
Img_2885  バスが着くと、大勢の仲居さんたちがお出迎え。
 ロビーで支配人から歓迎の挨拶があって、各人の部屋へ案内される。
 我々の部屋は『雪月花』の15階、残念ながら海が一部しか見えない。
     *
客室・雪月花 【加賀屋パンフより】
 雪を楽しみ、月を観、花を愛でる。
 春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり。
 四季のある国に生まれた幸福にひたりたい。
 純和風空間で過ごす最良のひととき、季節のささやきに耳を傾け、日本の心に触れてください。

     *
Img_2883Img_2882 早速、係の仲居さんがお菓子と抹茶を持って来る。
 館内のイベントや店舗の案内、食事時間などの説明を受ける。
 コルセットをしているので、部屋食はお膳ではなくテーブルに代えてもらうよう
 依頼する。
 その後、16時30分からの館内の案内に参加することにする。
     *
 その案内は、1グループ10人ほどで、何組かに分かれて説明を受ける。
 参考として『館内は美術館』というパンフレットが配られる。
 先ず 1階から 12階の吹き抜けにある加賀友禅の〈四季の花〉、これで30数人分の着物ができるというから大変大きな織物だ。
 4階にある能舞台は、加賀宝生流のために造られたとのことだが、このところ使用頻度が少なくなったので、現在は結婚式に利用しており、予約
 で混み合っているとのことだ。
 3階のギャラリーには人間国宝の作品が並び、各階のエレベーターホールの前には九谷焼や輪島塗、加賀友禅の作品などがが飾られている。
     *
Img_0421 18階の特別フロアには、日本画家・加山又造画伯『花月』(左の画像)が飾られている。
 最後に1階に戻り、フロント・カウンターの小西啓介作、輪島塗『瑞鳥の図』や、先代女将のため
 の茶室『慈孝庵』の襖の書、横西霞亭の書『禅語・唐詩選』の説明を受け、1時間余りの案内が終
 わる。
 これほどまでの人間国宝を含めた美術品のある旅館も稀有のことだが、収蔵品も多いので、順次展
 示品を替えて宿泊客に見て頂くとのことに、この旅館の圧倒的な集客力の一端を見せられた思いだ



     *                   
 夕食の時間も迫っていたので、急いで汗を流し、食卓につく。
     *
Img_2887Img_2888Img_2890_3  先ず目に付いたのは、あすなろの葉の上にある小さな和
 紙に包まれたもの。
 [日本三大珍味 能登名産 干くちこ]とある。
 中を開けると飴色の小さな干物が入っている。
 その説明書きによると、
 〈糸ほどしかないナマコの卵巣を何本も何本も重ね、陰干
 しにして作られるのが干くちこ真冬の能登・七尾湾でご
 くわずかしか生産されず、まろやかで深みのある香ばしい独特の風味はまさに筆舌しがたい天恵・希有の趣です
 添えてある葉は石川県の県木アテ、別名あすなろで、その葉を少し財布の中に入れておくと当てにしなかったお金が入ってくるといいつたえがあ
 る縁起の良い葉です〉とある。
 乾杯のビールを飲んで、口に入れたが、あまりに小さくて説明書のような風味は感じられなかった。
 アテの葉は、仲居さんの勧めもあって戴いて帰ることにする。
 この時期食卓に必ず載るのがホタルイカの酸味噌掛け、旬の物とあって美味だ。その他[いしるドレッシング]による赤西貝(昭和天皇がお代わ
 りを注文したという)、梅貝、鳥貝と旬野菜、のど黒温泉蒸し、加賀野菜の小坂蓮根五郎島金時芋添えなどをゆっくりと味わう。
     *
 20時30分から一階の『芸術座』で ‘ 歌謡ショー ’があるというので覗いてみる。観客席は桟敷になっており、既に半分ほどが埋まっている。
 初めに五人による日本舞踊があり、次いで男性歌手による歌謡曲。
 地元の民謡があると思っていたので、これには期待外れ。30分ほどで終わったのでかえってよかった。
 その他ラテン音楽ショーや有料の歌劇ショーなどが催されていたが、長い一日の疲れもあって、部屋へ戻る。
 就寝前に再度温泉に浸かる。ここの浴衣は2枚準備されており、寝る前に新しい浴衣を着るようになっているのも1つの心配りだ。
     *
 9.00. 大牧温泉(庄川峡遊覧船)→ 9.30. 小牧ダム(バス)→ 10.05. 砥波I .C. → 10.20. 金沢森本 I .C.→ 10.40. 兼六園 11.50. → 12.05.
料亭・秋月(昼食)12.50. → 13.05. ひがし茶屋街・浅野川桜並木 13.45. → 14.25. 千里浜なぎさドライブウエイ 14.55. → 15.35.
 和倉温泉・加賀屋 泊



大牧温泉と和倉温泉に泊まる北陸旅

2012-04-12 00:00:00 | 旅行記
Img_0427  前日の雨・風が収まり、抜けるような青空が広がる絶好の行楽日和となる。
 『腰部脊椎狭窄症』による手術後のリハビリのため、北陸の温泉場で湯治を兼ねての旅行に、クラブツーリ
 ズム社のツアーに参加することにしました。
 上野からの長野新幹線では関東地方の桜の景色、軽井沢付近からは浅間山の雪景色等を楽しみながら上田駅
 で下車。
 ここから観光バスに乗換え、上信越道から北陸道経由で『大牧温泉』に向かいました。
     *
Img_2839  左の画像は小諸付近からの浅間山です。この辺りではまだま
 だ冬景色でした。
 上田駅に到着すると、駅構内ではこの6日から開催の【2012
 上田城千本桜まつり
】の飾り付けがあり、大いに期待されましたが、迎えのバスに乗るとガイドさ
 んから、
 「今年は例年になく開花が遅れており、まだ蕾の状態です。例年ですとちょうど満開の時期なので
 すが……。」
 と如何にも残念そうに話される。続けて、
 「帰りには何とか開花してくれれば良いのですが、こればかりは天候次第ですのでどうでしょうか
 ?」と言われる。
 ここは観光予定地ではなかったので、帰りに時間があればと言うことになる。
     *
 バスは【坂城IC】から上信越自動車道に入る。【更埴JCT】から【長野IC】にかけては、車窓左手遠くに雪を頂いた『北アルプス連峰』が見え
 てくる。      
 ガイドさんは、昨日までの悪天候が今日は一転して好天になったのは、皆さんの普段の行ないの良い結果と、興奮気味に山々を説明する。
 車窓左手奥の穂高連峰に始まり、常念岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、そして白馬三山と標高もすらすらと言うところをみると、よほどの山好きのよう
 だ。
 小生もこの時期の北アルプスの眺望をこれほどハッキリと見るのは初めてなので、このツアーの目的外として大層得をした気分にさせられる。
 一方、車窓右手には『志賀高原』の山々も見えて、何も言うことなし。   
     *
 【飯山IC】を過ぎる頃から標高が高くなってくると、周囲は次第に雪が多くなり、すっかり冬景色となる。
 【妙高SA】前後の道路脇は数mの雪壁となっており、妙高高原ではまだまだスキーが楽しめそうだ。
 この付近からは山々の高い部分に雲がかかり、黒姫山や妙高山などの山頂部分が見えなかったのは残念だった。
     *
Img_2840 バスは【上越JCT】で左折し北陸自動車道に入る日本海も春の日差しを浴びて波穏やか、その海
 を眺められる【名立谷浜SA】で昼食となる。
 SAのベンチで、車内で配られたお弁当を食べる。
     *
 ここから先の北陸道はトンネル続き、何と26カ所もあるという。食後とあって、大半の方々はお
 休みになる。
 かっての難所とされた【親不知】も近代的な道路で何事もなく通過する。
 水を張った田圃の所々に頭の黒くなった[ユリカモメ]も見られるようになる。


     *
Img_2844Img_2843  〈蜃気楼〉で有名な魚津市を過ぎ、〈ホタルイカ〉の最
 盛期の富山湾を右手に見て、やがて富山市に入る
 頃になると、車窓左手に劔岳や立山連峰が見えて
 くる。
 今日のハイライトはまさにこれだ。





     *
Img_2846Img_2849
 【砺波IC】で北陸道を降り、『道の駅井波・いな
 み木彫りの里創遊館
』でトイレ休憩となる。
 ここ井波は〈井波彫刻〉で有名で、欄間・衝立・パ
 ネル・天神様・獅子頭に代表される置物などの彫
 刻を製作している。この道の駅の創遊館では、木
 彫りの作業場を見学することもできる。
 楠・ケヤキ・桐を材料とし、荒彫りから仕上彫り
 まで200本以上のノミ、彫刻刀を駆使するとのこ
 と。

     *
 井波彫刻の起こりは、過去に幾度も焼失した井波別院瑞泉寺がその都度再建されてきたことに深くかかわっています。宝暦・安永年間(1763~
 1774)の瑞泉寺再建の折、京都本願寺の御用彫刻師・前川三四郎が派遣され 井波拝領地大工がこれについて習ったのが井波彫刻の始まりとされ
 ています。     
 時代の流れとともに豪華さを誇った寺社彫刻から、現在は民家の室内彫刻へと移り変わり、なかでも住宅欄間はその主力となっています。
 名工の子孫によって受け継がれ、培われてきた「井波彫刻」の高度な技術は、全国一の規模を誇るようになり、昭和50年には国の伝統的工芸品に
 指定されました。  
 平成5年には、井波彫刻総合会館が完成し、館内では、220年の伝統を誇る木彫刻技術の粋を集めた作品200点を展示販売しています。
                                                       【南砥市資料より】

     * 
 その井波から10分ほどで庄川峡・小牧ダムにある『庄川遊覧船』の乗場に着く。
     * 
Img_0428 庄川峡
Img_0426 庄川峡は、鳥帽子岳(2628m)に水源を持つ庄川が、飛騨高原を侵食してで
 きた峡谷で、かっては飛騨五箇山から切り出した木材を運び出すルートでし
 た。
 庄川峡の小牧ダムから大牧温泉の間には、遊覧船が運行しており、往復約1
 時間の船の旅を楽しむことができます。  【庄川遊覧船パンフより】
     *
小牧ダム
 昭和5年に完成。堤高79.2m。アーチ曲面の美しい本格的な重力式コンクリ
 ートダム。
 建設当時は東洋一の高さで、東洋一のダムと呼ばれた。物部長穂の重力式コ
 ンクリートダムの設計法を適用した最初のもの。大井ダムに続いて建設され
 た初期の大型ダムの代表的事例。玉石コンクリートが使用された。
 土木学会選奨土木遺産2001に選定され、平成14年6月25日に国の登録文化財に指定された。
     *
 庄川の船舶事業は、冬期の上流住民の交通手段として利用されていたが、国道156号線の整備によって現在では大牧温泉へ
 の観光客の送迎と大牧発電所の保守・点検に利用されているという。
 我々は23年9月に就航した『クルーズ庄川』(定員94名)に乗船、小生は2階のデッキから周囲の眺望を楽しむことにする。
 川の水は雪解け水のためやや濁っているが、独特の薄い緑色をしている。渓谷の各所からはその雪解け水が滝となって流れ
 落ち、未だ冬枯れの樹々が針葉樹林帯の間に点在している。
 右に左に流れを変える川面には、所々にマガモやカルガモ、それにカワアイサが見られ、目を楽しませてくれる。
     *
 30分ほどで『大牧温泉』に到着。船は旅館の全貌を見せるために船着場の上流まで航行し、折り返す。
     *
Img_2853Img_2865 大牧温泉
 平家の落人伝説が残る秘境の里・・・。
 1183年(寿永2年)今から800年程前、砺波山の合
 戦に敗れた平家の武将が源氏の追撃を逃れ隠れ家
 を求めて大牧の辺りをさまよっていた時、河畔か
 らコンコンと湧き出る温泉を発見し、その湯を口
 にし湯あみをして創傷の身を治したのが始まりと
 言われます。
 かってはこの峡谷の底にも村落があり、村人達の
 湯治場として素朴な宿を営んでいました。
 1930年(昭和5年)小牧ダムの完成とともに村落
 は湖底に没し、温泉宿一軒だけがダム湖と切り立つ断崖の間に取り残されてしまいました。
 多くの村人から愛された温泉を何とか続けようと豊富に湧き出る源泉を湖底から採り込み、交通手段は船を頼りに再興されたのが現在の大牧温泉
 の基となっています。
 「船でしか行けない秘境の一軒宿」と言われるのは、こうした歴史の中から生まれたからです。
 日本の百名湯にも選ばれた大牧温泉は、自然と調和し何もない贅沢な空間が静かにゆったりと過ぎてゆく心安らぐ温泉です。湖の上にせり出すよ
 うに建てられた木造3階建ての趣ある宿で、泉度は59℃、
 泉質は石灰含有弱食塩泉で胃腸病、神経痛、外傷などに効果があるという。   【大牧温泉資料より】
     *
 今回このツアーに参加することにしたのも、この温泉の効能にある外傷に効果があるとのことも一因でした。
 夕食までの時間がたっぷりあったので、その間遊歩道を散歩することにしましたが、周囲の山々には残雪が多く、雪崩の危険があるとのことで、
 ほんの旅館の周囲のみしか歩くことができませんでした。
 梅がようやく咲き始めているほか、蕗の薹やショウジョウバカマが見られる程度で、まだ春は遠い感じでした。
 また、その遊歩道には『熊に注意』の立札があり、特に夜間の外出は禁止となっており、まさに大自然のど真ん中にある宿であることが分かり
 ました。
 要するにここは、俗世間から離れ大自然の中でゆっくりと過すことを目的にする方々のための宿なのです。
     *
Img_2863Img_2861  部屋は庄川に面しており、時折カワアイサが来た
 り、対岸の尾根の樹にはサシバの番がじゃれあう
 ように飛び回っている姿をみることができました







     *
Img_2857_2Img_2858Img_2859  少し熱めの温泉にゆっくりと浸かり、夕食の富山
 の海の幸会席
を堪能しました。





     *
 7.58. 上野駅(あさま507号)→ 9.32.上田駅(バス)→ 10.10.坂城I.C. (上信越自動車道)→ 11.25. 名立・谷浜S.A.(昼食)11.55. → 13.20.
 砺波I .C. → 13.40. 道の駅井波・いなみ木彫りの里創遊館 14.05. → 14.20. 小牧ダム(庄川峡遊覧船)14.30. → 15.00. 大牧温泉 泊