nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

畳 平

2011-08-20 00:00:00 | 旅行記
 今朝も小雨が散らついている。
 土曜日とあってか、一段と登山グループの姿を多く見掛ける。
 ダイニングルームでの食事は、昨日の夕食から河童橋の見える窓際の席になった。
 今朝もテーブルサービスの朝食、妻は『おかゆ』を注文、梅干しや漬物が付いた味に満足していた。
       *
 出発前には雨が小降りになったので、河童橋をバックに全員の記念写真を撮る。
 私どもは興味がなかったが、参加者の皆さんの多くが買い求めていたようだ。
       *
 平湯温泉までのシャトルバスに乗るため、駐車場まで歩く。
 ここは先年、と言っても平成12年に利用しているので建物などの大きな変化はないようだ。
 シャトルバスは、我々グループの貸切りなので私は一番前の座席に座る。
 雨の上高地と分かれ、バスは釜トンネルを抜けて平湯温泉へ向かう。
       *
 長い安房トンネルを抜けても相変わらず雨は降り続いている。
 平湯温泉のバスターミナルでシャトルバスから、待ち受けていた松本電鉄バスに乗り換える。
 ここから乗鞍スカイラインを経て畳平へ向かう。
 期待していた北アルプスの展望は望むべくもない。
 槍・穂高のすぐれた展望台、夫婦松の駐車場を過ぎる頃から丈の低い針葉樹林帯を登り、大きなヘアピンカーブを2度繰り返すとハイマツ帯の桔
 梗ヶ原で、ここからの展望もガスの中とあっては白濁の世界。
 ただ目的地へ近づくにつれ、雨が止んでくれたのが何よりだった。
       *
 畳平は標高2700mとあって、気温が低いのと、ガスが立ち込めているので、レインウエアの上着を着てお花畑へと向かう。
       *
畳 平
 長野県側からの乗鞍エコーラインと、岐阜県側からは平湯峠を経て高所を走る乗鞍スカイラインの双方の終着点で、標高2702mに開けた展望の名
 所。
 乗鞍神社本宮や宿泊施設、郵便局、売店・食堂のある乗鞍バスターミナル前には鶴ヶ池がある。
 バスターミナルから15分ほどで登れる魔王岳も展望がよい。【飛騨高山の旅行・観光ガイド】
       *
 畳平の駐車場から階段を下り始めると、直ぐ左手に[ハクサンイチゲ]や[ミヤマキンポウゲ]のお花畑が目に入ってくる。
 時期的には遅いと思っていたが、この場所は地形的に開花が遅れているようだ。
 ただ、[チングルマ]は既にその名のとおり[稚児車]になっている。
       *
Img_2627 Img_2629Img_2628  
       *
 平坦部に降りると、お花畑を一周する木道がある。
 『熊出没注意』の立札が目に付く。
 現にこの9日にこのお花畑付近で目撃されており、一時立入り禁止になっていたとか。
 ガイドから「なるべくまとまって歩くか、大きな声で話すように」と言われていたが……。
 ガスが濃くなって見通しが悪くなり、何となく落ち着いて花々を見ることができなくなる。
 この平坦部では花の最盛期が過ぎており、所々にある花が見られる程度になっている。
 ここは7月下旬から8月上旬までが見頃のようだ。
 それでも[ミヤマアキノキリンソウ]や[ウサギキク]などが目についた。
       *
Img_2630 Img_2631Img_2632
       *
 冷たい風にガスが吹き付け、眼鏡に付着して前方が見えなくなるほどだったが、ある岩陰付近で数人の方が立ち止っているので、そこへ行ってみると5羽の雛を連れた[ライチョウ]がいる。
 この天候ならではの野鳥なのだ。懸命に餌を漁りながら歩いている雛たちの様子はまことに愛らしい。
 その雛を見守る親鳥は、我々を警戒しているのではないようだ。
 このライチョウたちの画像は、ガスのため思うように撮れていなかったのが悔やまれる。
       *
Img_2636 1時間ほどの自由時間ではゆっくりもしていられず、最後に魔王岳の登り口にあるという[コマク
 サ]や[チシマギキョウ]を見てバスに戻る。
 この悪天候にも拘らず、観光バスが次々に到着する。スケジュールどおりの観光では止むを得ない
 ことなのだ。
       *
 これで今回の観光は終了。最後が悪天候になってしまったが、これも日頃の行いのせいと諦める。
 帰りのバスは、信州側の乗鞍エコーラインを下る。
 大黒岳と富士見岳の鞍部から(といってもガスのため何も見えないが)大雪渓へ下り、位ヶ原の高
 原を下って針葉樹林帯へ入る。
 ヘアピンカーブの連続する急坂を下ると、スキー場のある乗鞍高原となる。
 こちら側は雨が降り続いていたようだ。
       *
Img_2645 昼食は、この乗鞍高原の入口付近にある『中之屋』で『そば定食』。
 ここのそばのそば粉はすべて水車挽きで、全品十割のそばとのこと。
 そばは『もりそば』と『冷やしとろろそば』。
 なるほどそばの色は黒いが、腰が強く甘味があり、少し辛めのそばつゆにぴったりの味だった。
 その他『山女の笹焼き』、『夕顔の煮物』、『山ふきの煮物』などと御飯、味噌汁が付いていた
 が、私には御飯、味噌汁は余分だった。                                         *
Img_2639 Img_2643Img_2640       *
 バスは前川渡で野麦街道へ出て、往路と逆に松本 I .C.から長野自動車に入り、梓川S.A.でトイレ休憩。
 このS.A.ではNHKの朝の連続テレビ小説【おひさま】の舞台となっている『安曇野』の紹介と、それに関連したお土産品のコーナーができてい
 た。
 このS.A.からの北アルブスの展望が有名だが、今日ばかりは雨雲に覆われて何にも見えなかった。
       *
Img_2646_2Img_2647  その後は上信越自動車道の坂城 I .C.で降り、上田
 市内に入って『新田醸造』の味噌蔵を見学して上
 田駅に戻った。






       *
 8時50分 ホテル … 9時00分 上高地(シャトルバス)→ 9時30分 平湯温泉 9時35分(松本電鉄バス)→ 10時20分 畳平(お花畑散策)11時20分
  → 12時10分 中之屋(昼食)13時00分 → 14時05分 梓川S.A.14時25分 → 15時20分 新田醸造(味噌蔵見学)15時40分 → 16時00分 上田駅
  17時03分(あさま540号) → 18時26分 上野着
       *
 【観察した野鳥】  16種類
  1.アオサギ     2.オシドリ     3.マガモ     4.ライチョウ     5.キジバト     6.ホトトギス V
  7.コゲラ      8.ツバメ      9.イワツバメ   10.キセキレイ     11.ハクセキレイ   12.コマドリ V
  13.ウグイス V     14.ヒガラ      15.アオジ     16.ハシブトガラス

明神池

2011-08-19 00:00:00 | 旅行記
 起床して窓を開けると雨、しかも雨足が強い。
 その雨の中、早くも登山グループの姿が見られる。夜行バスで到着しての行動のようだ。
 今日はネイチャーガイドの案内で、明神池までの散策が予定されているが、どうなることか ?
       *
 洋食セットの朝食の他、飲み放題の具沢山の豚汁が美味しかった。
       *
Img_2578 天気予報では終日雨とのことだったが、雲が切れて来て近くの山が顔を覗かせるようになったので
 雨具を着けて集合場所へ。
 我々はレインウェアを用意していたが、準備して来なかった方にはホテルでポンチョを借りること
 ができた。
 小生は写真を撮るために、ホテルの傘を借りる。
 参加者は万一のため、フロントで保険の登録をするという用意周到さに、当然のことながら安心す
 る。 
 今日のネイチャーガイドは『さくら』さんという若い女性と、『レオ』さんという若い男性。
 通常1時間で行けるという明神までの梓川左岸のコースを、2時間ほどかけて案内するという。
 ガイドは往路のみで、そこから自由行動になるので、帰りのコースなどの説明がある。 
       *
Img_2581 ホテルを出発すると直ぐに『上高地ビジターセンター』の立派な建物が見えてくる。
 その先には小梨平のキャンプ場がある。
 初めて上高地へ来たのは昭和30年8月で、ここでキャンプをした時のことが思い出される。
 当然ながらその当時とは全く様変わりをしている。
 キャンプ場も大きくなり、点々とテントが張られており、また今朝到着した方々がテントを張る
 準備をしている姿も見られる。
       *
 この周辺には花々が目立ち、早速『さくら』さんから説明がある。
 [ヤチトリカブト](谷地鳥兜)キンポウゲ科:
   猛毒で有名なトリカブトで、沢沿いにかなりの数が咲くという。
 [ミヤマセンキュウ](深山川�)セリ科 :
   葉がセリのように細かく切れ込みます。
 [ゴマナ](胡麻菜)キク科:
   上高地の秋を彩る、白いキクの花です。葉がゴマの葉に似ていることが名の由来とされています。
 [ソバナ](岨菜)キキョウ科 : 
  「岨」は切り立った崖という意味です。茎は細く、先の方は蔓状になることがあります。
       *
Img_2579 Img_2580Img_2584 
       *
 その後は林の中の比較的傾斜の緩い道を、『さくら』さんの地形、樹々、草花などなどの説明を聞きながら、のんびりと歩きました。
 時折林の中からコマドリやウグイスの囀りが聞こえていましたが、その姿を見ることはできませんでした。
       *
Img_2591 2時間ほどで明神館前に着く頃には雨も上がり、ここでガイドのお2人とはお別れです。
 数年前からこの仕事に就いたという『さくら』さんの博識ぶりは流石のものでした。
       *
 レインウエアを脱いで一息入れましたが、下着まで汗まみれになっていました。
 それに天気が好転するとは思ってなかったので、ホテルで用意してあった『ランチボックス』を置
 いて来たのが悔やまれます。
 雨が降っていれば、ここから引き返すことにしていましたが、青空も覗いているので明神池から梓
 川の右岸を通ってホテルへ戻ることにしました。
 雨が止んだためもあってか。明神館前のお花畑には蝶が多く飛来していました。
 1人の男性の手に止まった蝶をカメラに収めさせてもらいました。 
       *
Img_2587Img_2588  『さくら』さんが居なくなってしまったので、こ
 の初見の蝶の種類が分かりませんでしたが、図鑑
 によれば[サカハチチョウ]の夏型と分かりまし
 た。






       *
 梓川に架かる『明神橋』も新しく作り替えられたようで、立派になっていました。
 ここから『明神岳・2931m』が見える筈ですが、まだ頂上付近に雲がかかり全容を見ることはできません。
 かって、神河内・徳本と呼ばれた明神からの山姿は、元々から穂高岳と称されていましたが、今は知る人もないとは『さくら』さんの説明にあり
 ましたが、平成3年5月に来た際には、早朝新雪を被った明神岳の見事な姿を見ることができたことを思い出しました。
       *
 明神橋を渡ると、この右岸には、ウェストンを北アルプスに案内した猟師の嘉門次が建てた嘉門次小屋があり、その奥には穂高神社の奥宮があり
 ます。
 奥宮の境内となっている明神池は美しい池として知られています。参拝料(300円)を払って境内に入りました。
       *
明神池
 河童橋から梓川沿いを上流へ約1時間ほど歩くと、明神岳が間近に迫り、山小屋などの集まる一帯が明神。
 この奥まったところにある大小二つの池を称して明神池と呼ぶ。
 池畔には穂高神社奥宮が鎮座し、池は穂高神社の神域となっている。(里宮は安曇野市穂高、JR穂高駅前)
 梓川の古い流路が明神岳からの崩落砂礫によって堰止められてできた池で、明神岳からの伏流水が常に湧き出てい るため透明度が高い。
 池を覗くようにそびえる明神岳、鬱蒼と生い茂る深い森、池を囲む熊笹、湖面に点在する岩など、その考えされつくしたような趣はまるで日本庭
 園の様相。     
 毎年10月8日に行われる例大祭、通称お舟祭りでは平安朝風の飾りをつけた舟が浮かび、一年の山の安全と万物永世安静が祈願される。                                                 【上高地公式ウェブサイト】
       *
Img_2596Img_2595  静かな水面に樹々の緑や山影が映り、まさに日本
 庭園の中にいるようだ。
 しかし、この頃になると日帰りの団体客が多くな
 って、なにやら賑やかな雰囲気になり、どうも落
 ち着いて景観を楽しむというような気分になれな
 い。




       *
Img_2599Img_2602  後を追われるように池を出ると、『嘉門次小屋』
 の前にある[ハンゴンソウ]に止まっている[ア
 サギマダラ]を妻が見付ける。
 伊良湖岬で渡りの前に見た個体とは異なり、如何
 にも生き生きとした個体だ。しばしその姿を追う。





       *
Img_2598_2  その嘉門次小屋も、かっての素朴な建物はそのままだが、その前方の庭に食事処があり、昼時とあ
 ってほぼ満席の状態だ。
 これも時代の流れというか、こうしたことで生計が保たれているとしたら、あのウェストンを案内
 したアルプスの名ガイド、嘉門次さんは何と思っていることだろうか。
 庭の前方の薮の陰にひっそりと立っている嘉門次の碑、誰も関心を寄せてはいないようだった。





       *
Img_2604Img_2605  その後は梓川の右岸を河童橋へと戻りましたが、
 こちら側はアップダウンが多く、しかも木道が大
 部分なので、雨上がりで足元が滑り易く、気を遣
 って歩くことになりました。






       *
Img_2606Img_2607  昼前後の時間帯とあって日帰り組の団体客が多く、
 また登山グループの行き交う人々で静寂な雰囲気
 の中での散策とはなりませんでした。
 それでも林の中の所々に流れ込む沢筋があって、
 その付近の景観の素晴らしさに足を度々止めるこ
 とになりました。




       *
Img_2611Img_2610  かくしてどうにか河童橋まで戻ってきましたが、
 穂高連峰は相変わらず頂上部分が雲に隠れており、
 明神岳もスッキリとは姿を見せてくれけませんで
 した。






       *
Img_2612 ようやくホテルへ戻り、汗を流して『ランチボックス』を食べることができたのは、1時を大きく
 回っていました。
 画像の左はハンバーガー、右にあるのが鳥肉のサンドイッチ、それに下にあるのがリンゴのワイン
 漬けで、私には充分な量でした。





      *
Img_2614_2Img_2613_3  昼食後、一休みしてから河童橋を渡り、梓川畔の
 穂高連峰の絶好の展望場所でのんびりと過すこと
 にしました。
 木陰を渡る風が心地よく、避暑気分を満喫するこ
 とができました。
 天候が回復したせいか,一段と観光客の姿が多く
 なっていましたが、午後も3時を過ぎる頃から日
 帰り組の姿が少なくなり、静かな雰囲気に浸るこ
 とができるようになりました。
 穂高連峰の全貌が現われるのを期待していました
 が、途切れ途切れに稜線が見える程度で終始しました。
       *
 この間見られたのは[ノコンギク](野紺菊)、野に咲く紺色の菊とのことですが、この時期に多く見られるとのことです。
 また[ヒメキマダラヒカゲ]がクマザサの上に止まったところを見掛けました。
 勿論初見の蝶でしたが、これも後ほど図鑑で確認しました。タテハチョウ科、ジャノメチョウ亜科とのことです。
 さらに河原の石の上に止まった蝶を撮りましたが、大分羽が痛んでいるようにも見えましたが、これは種類の判定ができませんでした。
       *
Img_2603 Img_2608Img_2615
       *
 夕方5時過ぎになると、ニホンザルの一群が河童橋の針金部分を伝わってキャンプ場の方へ移動するところを見ることができました。
 上高地では動物たちに餌を与えることは禁止されていますが、この時間帯になるとキャンプ場で夕食の支度をすることを知っているようで、その
 匂いにつられて移動して行くようです。
       *
Img_2618_2Img_2617  我々も夕食の時間に合わせるようにホテルへ戻る
 ことにしましたが、この時間での穂高連峰と焼岳
 の姿を記録しておきました。








       *
 昨日とは全く異なるメニューでの夕食、特に妻のメニューはハモとオマール海老と変わっており、充分満足した内容になっていました。
 明日の天候予報も良くないようですが……。
       *
 8時40分 ホテル(ネイチャーガイドの案内) … 10時30分 明神 10時50分 … 11時00分 明神池 11時20分 … 嘉門次記念碑 … 梓川右岸 …
 13時10分 ホテル(昼食)14時00分 … 梓川畔 … 15時30分 5HORN(ホテル喫茶室)16時00分 … 梓川畔 … 17時00分ホテル … 18時00分 夕食
       *
過去の記録
・平成3年5月4日
  明神橋付近から明神岳
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上高地

2011-08-18 00:00:00 | 旅行記
 連日の猛暑から逃れるべく、クラブツーリズム社の
 『風薫る上高地と雲上の乗鞍畳平』なるツアーに参加、宿は河童橋前にある『五千尺ホテル』に連泊するとのことで、清々しい場所でのんびり過
 すことにしました。
       *
 松本市内で昼食の後、野麦街道経由で上高地へ向かいました。
 東京から松本までは暑い日差しが照り付けていましたが、安曇野から見る北アルプスは、常念岳付近が眺められたのみで、あとは頂上付近が雲に
 覆われていました。
 バスが高度を上げるにしたがって雲が多くなり、途中の道の駅『風穴の里』でトイレ休憩をする頃には、すっかり曇ってしまいました。
 釜トンネルを抜け、大正池でバスを降り、自然研究路を歩くことにしました。
 曇ってはいましたが、空は明るいので雨の心配はないようでした。
 ここを歩くのは何回目のことでしようか。上高地へ来る度に歩いたことを思い出しました。
       * 
 Area_map01大正池
 大正4年6月6日、焼岳の大爆発による膨大な土砂流により、急スピードで梓川がせき止められ
 た。
 短時間のうちに川の水は上高地温泉まで達し、これが大正池の誕生となった。
 その後、土砂の流出が続き、現在は当時の一割以下の規模となっている。
 梓川湖、大正湖などと一時呼ばれたが、やがて「大正池」の名が定着した。
 幻想的な立ち枯れの木は、水没した木が枯れて幹だけ残ったもの。
 昭和2年より霞沢発電所の貯水池として利用されている。
 左手には活火山の焼岳(標高2455m)を間近に望み、右手には大正池の奥に穂高連峰(奥穂高岳 :
 標高3190m)も見ることができます。
 大正池は、霧の出る朝や日没直後の夕刻が、人もまばらで、最も美しく見えます。
                                 【上高地公式ウェブサイト】
       *
 今日は曇のため焼岳も穂高連峰も頂上付近が雲に隠されていましたが、それでもこの静寂な雰囲気に包まれた景観は、何度見ても心が安まります
       *
Img_2545Img_2536  この時期の花は見るべきものが少なくなっており、
 早くもナナカマドが色付き始め、秋の気配を感ず
 るようになっていました。
 池では、雛を連れた[オシドリ]が岸辺近くに寄
 ってくる。ここのオシドリは人を恐れないのが何
 とも嬉しい。 
       *
 大正池を左手に見ながら林の中に入っていく自然
 研究路の木道を進みます。
 林の中を進んでいくと、開けた湿原に出て木道が
 T字路になっています。
 右手を100mほど入ると田代池があります。
 木々に囲まれた静かな雰囲気を楽しむことができます。
       *
Img_2546田代池
 原生林のなかにぽっかり広がる湿原地帯。そこに澄んだ水をたたえる田代池。
 浅い池にはイワナが見え、数個の小さな島が庭園のような穏やかな風景を浮かべる。
 夏にはイチョウバイカモの白い花が風に揺れ、ニッコウキスゲやコケモモが彩りを添える。
 霞沢岳を正面に、5月の新緑、10月の紅葉、晩秋の霜の幻想世界も美しい。
 地下に湧泉があり、冬でも全面結氷しない田代池は、以前はもっと広い水面を輝かせていたが、霞
 沢岳から流れ込む土砂によって年々小さくなりつつある。
 また池の底に枯れ葉などがたまり湿原へと姿を変えている。
 自然界の大きな定めの中で、青く澄んだ水面を輝かせる田代池は、はかなくも崇高な時が流れる場
 所。
 ここから仰ぐ穂高岳、焼岳もまた一幅の絵になって心に迫る。    【上高地公式ウェブサイト】
       *
Img_2531 Img_2532Img_2543_2
       *
Img_2544 Img_2548Img_2555
       *
 田代池を後にして木道を戻り、先程の分岐点を越えて先に進むと、道が二手に分かれます。
 右に進む道は林間コースで、我々は直進の梓川コースを進み、焼岳を望みながら透明な梓川の流れを目の当たりに見ることができます。
 10分ほど進むと梓川近くで合流し、まもなく田代橋のたもとに着きます。
       *
Img_2552Img_2553  田代橋の上では多くの人が集まっているので、何
 事かと近くに行くと[ニホンザル]の群れが次々
 に現われているところでした。
 中には子供を背中に乗せている母親もいて、カメ
 ラの絶好の被写体になっていました。





       *
Img_2557梓 川
 長野県中西部を流れる川。犀川の支流。
 槍ヶ岳山頂直下から流出し、上高地を経て、島々地区で松本盆地に出、松本市北方で奈良井川と合
 流し犀川となる。延長77km。
 島々までは上高地の小盆地を除き、深い侵食谷を形成し、この谷が松本から高山や上高地への唯一
 の通路になっている。
 勾配が急で峡谷のため水力発電に利用され、中流には1970年(昭和45)完成の奈川渡ダム(梓湖)
 下流には水殿、稲核ダムが続く。
 松本盆地では広い扇状地を形成し、水田地をなす。   【日本大百科事典・YAHOO百科より 】
       *
 田代橋から河童橋までは、左右どちらの岸を進むこともできますが、私たちは田代橋を渡り、右岸
 を上流に進みました。
       *
Img_2560_2Img_2561  2軒並んだホテルを過ぎると、左手奥にウェスト
 ン碑があります。
 6月初めにはこの碑の前でウェストン祭が催され
 ます。
 なお、田代橋を渡る前の右手に、赤い屋根の上高
 地帝国ホテル
があります。
 今は誰でも入れる上高地も、昭和初期まではこのホ
 テルだけがあり、皇族や外国の要人などしか観光で
 きなかったとのことです。

      *
 ウェストン碑を見た後、気が付くと梓川の対岸に六百山と霞沢岳が頂上付近まで姿を現わしていました。
 その先は川沿いに河童橋まで進みますが、途中から右手に分かれる道を入って川沿いの土手を歩くと、景色がよいのでおすすめコースとなってい
 るようです。
      *
Img_2562Img_2567  15分ほどで有名な河童橋に到着しましたが、
 穂高連峰は雲に隠されて見ることができませんで
 した。
 芥川龍之介の小説「河童」は河童橋を題材にした
 名作です。
 今夜のホテルは、この河童橋を渡ったところにあ
 る『五千尺ホテル』です。
 「五千尺」の名前は、上高地の標高1,500m
 (=約5,000尺)に由来しています。
       *       
河童橋
 上高地を象徴する木の吊り橋、河童橋。上高地の象徴、絶好の展望台。
 橋に立って上流を望めば、3000mの偉容を誇る西穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳が迫り、下流を見やればわずかに噴煙をたなびかせる焼岳
 が控える。
 ケショウヤナギやカラマツの川辺林のなかを滔々と流れる梓川の風景とあいまって、すばらしい展望がここに凝縮されている。
 河童橋の名の由来は、昔ここに河童がすみそうな深い淵があったため、あるいはまだ橋のなかった時代、衣類を頭に乗せて川を渡った人々が河童
 に似ていたから、など幾つかの説があるが、真相は定か
 でない。
 しかし、人影まばらな夕ともなれば、こうした伝説にうなずける神秘な趣が辺りに漂う。
 岸から梓川に降りることもでき、流れに手を浸せば、夏でもしびれるほど冷たい。源流の槍ヶ岳を思う一瞬だ。
       *
Img_2566 Img_2577  河童橋の上でしばらく穂高連峰が顔を出してく
 れないかと待っていましたが、重く垂れ込めた雲
 は一向に動きを見せてくれないので、今日のとこ
 ろは諦めてホテルへ入りました。
 気温が高めですっかり汗を掻かされたのでシャワ
 ーで汗を流し、河童橋を眺められるレストランで
 夕食を楽しみました。
 その料理は、半径90km以内を食材圏内として山
 海の幸を集めた旬の食材を使用したものでした。
       *
 レストランの壁面には、このホテルを定宿とされた秩父宮が使用されたというスキーが 掲げられていました。
       *          
上高地
 江戸時代前期、松本藩による木材伐採が上高地開発の始まりでした。
 明治以前は近代登山とは性格を異にする山岳信仰の登山として槍ヶ岳を中心に上高地周辺の山々へ登られていたようです。
 近代化を進めたい明治政府によって雇われた外国人技師の一人ガウランド氏が明治10年に槍ヶ岳を登った記録を英国の雑誌で「Japan alps」と紹
 介。今日の「日本アルプス」の語源となりました。
 大正4年には焼岳が大爆発。土石流が梓川をせき止め、きた池は大正池と命名され上高地の風景のひとつに加わりました。当時までは島々~徳本
 峠~明神~槍ヶ岳と通るルートが一般的でしたが、上高地一
 帯が国立公園に指定される頃、国道158号線の昭和8年開通により河童橋までバスが運行されるようになりました。
 昭和50年にマイカー規制を実施。その後徐々に強化し、現在は全面禁止となりました。
 また、安房トンネルの開通と共に益々158号線の交通量と上高地への観光客が多くなってきたのにともない、上高地への新たな交通手段として沢
 渡から上高地まで、トンネルによる登山鉄道計画が進められているそうです。
 昭和2年は上高地にとって重要な年でした。文豪芥川龍之介が3月に彼の代表作の一つである小説『河童』発表、上高地と河童橋を登場させまし
 た。                                    【上高地公式ウェブサイト】
       *
 夕食後、晴天ならばネイチャーガイドによる『夜の自然観察』が予定されていましたが、夕方からの雨で中止となり、談話室で上高地の紹介ビデ
 オが上映されました。
 明日の天気予報は雨が続くとのことですが……。
       *
 9時26分 上野(あさま511号)→ 10時52分 上田 11時00分(松本電鉄バス)→ 12時20分 松本ホテル(昼食)13時10分 → 14時00分 風穴の里
14時15分 → 15時00分 大正池 … 自然研究路 … 17時00分 五千尺ホテル 泊
       *
過去の記録
・昭和30年8月15日
Img_170030_6994117_5 友人と穂高~槍ヶ岳縦走をした際、第1日は小梨平でキャンプをした。
 その際、次のような記録を残している。
 「薪拾い、買い物などをして驚いたことは、スーツケースにハイヒール姿の女性や、下駄に浴衣姿の人たちがゾロ
  ゾロ歩いており、どこかの温泉街にでもいるようだ。
  1500mの標高にあり、大正池や穂高連峰が眺められる場所へバスで来られるのだから致し方ないが、これほどと
  は思ってもみなかった。
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  『上高地はすでに神河内ではなかった。桂、栂、落葉松、ことに思い出多い白樺はいつの間にか伐り尽くされて
   白く冷たい切り株が、僅かに昔を語って居る丈であった。伐り残された小梨の幹に倚りかかって、しんとした
   山の空気を振わせて、地響きをさせながら倒されてゆく森の木立を見つめた時、こうしなくては生きてゆかれ
   ないのかと、腹が立つよりも、なさけない心持ちになってしまった』
 と辻村伊助が大正元年に[神河内と常念山脈]の中に書いているが、著者が現在を見たらさぞかし腰を抜かすこと
 であろう。」                        【rihcio@yahoo.co.jp】(36 - 3 参照)
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・昭和62年8月21日
Img_170030_7375320_5 乗鞍岳登頂の前日に大正池から自然研究路を河童橋まで歩いた。
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・平成3年5月2~4日
 日本野鳥の会東京支部の『上高地探鳥会』に参加した。
 2日は吹雪に見舞われたが、4日には快晴となり新雪を頂いた穂高連峰が眩しく輝いていた。
 コマドリやヤマセミが見られたのも、忘れられない思い出になっている。
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・平成4年10月10~11日
 登山規制が解除された焼岳登山の際、上高地側から登り、中尾口へ降り、栃尾温泉で一泊。
 帰りに新穂高ロープウエイを利用して上高地へ戻った。 【rihcio@yahoo.co.jp】(19 - 2.3 参照)
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・平成12年6月18日
Img_170030_8215185_6 高校時代のクラス会旅行で、『上高地と乗鞍スカイライン』というツアーを利用。
 大正池から河童橋までの自然研究路を歩く。
 好天に恵まれ暑いほどだった。
    【rihcio@yahoo.co.jp】(8 - 5 参照)