nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

穀 雨

2010-04-20 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
 穀雨とは,二十四節気の一つで,暦便覧によれば,
 「春雨降りて百穀を生化すればなり」とあります。
 田圃や畑の準備が整い,それに合わせるように、柔らかな春の雨が降る頃とのこと。
 この頃より変りやすい春の天気も安定し,日差しも強まるとされています。

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 今頃我が家の庭に咲く花、左は『ドウダンツツジ』、右は『コバノタツナミ』または『ビロードタツナミ』。
 下の左の写真は19日に行った地蔵桜の下に咲いていた『ヤマエンゴサク』、右の写真は我が家の庭のジュウニヒトエの仲間の『アジュガ』です。

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花見山・滝桜・地蔵桜

2010-04-19 00:00:00 | お花見

平成22年4月19日

 Img_0913_2クラブツーリズム社の『樹齢1000年の日本三大桜・三春の滝桜、百花繚乱・花見山公園と地蔵
 桜』というタイトルの日帰りバスツアーに参加しました。
 今年の春は気象条件が不安定で、平年より気温の低い日が続いていたため,桜の開花が大幅に
 遅れており,しかも17日には4月というのに雪が降ったばかりなので、どの程度の桜が見られ
 るか心配でしたが、天気は幸いにも晴時々曇りで気温も上昇して,今日の最大の目玉である
 『三春の滝桜』は五分咲きになっており、まずまずの状態で見ることができました。
 右の写真は、4月17日に地元の方が撮った雪の滝桜です。
 もうひとつの目玉『花見山公園』では、ちょうど桜などが満開で,それなりに楽しむことができました。    
     *
 綾瀬を2台のバスで出発しましたが、途中のSAなどでトイレ休憩をしているうちに、次第に観光バスの台数が増えてきて、現地での混雑振りが
 伺われるようになってきました。
 車窓から眺める山々は芽吹きが進んで、今の時期ならではの、パステルカラーの柔らかい風景が目に優しく映っています。

 また、那須高原付近からはあちらこちらに先日の雪が残っており、それが白河を過ぎるまで続いていたので、現地の開花状態が気になりだしました。
     *
安達太良山 1700m

 安達太良SAで休憩した際,展望所から雪を被った安達太良山の姿が素晴らしく,思わずカメラに収めました。
 この山も深田久弥氏の『日本百名山』の一つで,私も昭和60年9月に登頂しました。
 山名の安達太良山は、福島県安達郡の中でもっとも高い山なので,安達郡の長男 = 安達太郎という意味で安達太良とよばれるようになったという
 何よりもこの山を有名にしたのは、高村光太郎の
    「智恵子は東京に空がないといふ。…」に始まる『智恵子抄』でしょう。
     「阿多多羅山の山の上に,
     毎日出ている青い空が
     智恵子のほんとの空だといふ。」
 今日は薄曇りで,智恵子のいうほんとの青い空は見られませんでしたが、桜がその姿の引き立て役になっていました。
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 綾瀬 8.00. ~ 安達太良SA 11.15.
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 ここから花見山まで約1時間ほどかかるとのことで、バスの車中でお弁当を食べることにしました。
 クラブツーリズム社で、東北方面へ行くと必ず出されるお弁当は、宇都宮・松迺屋の『玄気いなり』弁当です。
 写真にあるとおり、地元の食材を使ったもので、大豆、ひじきの入った玄米の稲荷鮨で、お値段は500円。
 昨年同じくクラブツーリズム社の日帰りバス旅行で「大内宿」へ行った時も、このお弁当でした。我々年配者はこの量で充分でした。
 バスが福島市内へ入ると,途端に渋滞となりました。何しろ市の中心部を抜ける道なので,一般車も多く遅々として進むことができませんでした
 ようやく『花見山公園』への道に入ると,公園の駐車場が満杯のため、観光バスの長い待ち行列となって前へ進むことができず、遂に途中でバス
 を降りて歩くことになりました。
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 花見山公園 12時25分 ~ 14時20分
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花見山公園

 何台ものバスから降りた観光客で、狭い道路はラッシュアワーのような大混雑です。
 それでも前方の山々にある花々が目に入ると,その圧倒的な量と花の色に、頭がクラクラするような感じにさえなりました。
 ひたすら前の人の後を歩くだけでしたが,やがて公園の入口付近で、添乗員の竹沢氏から集合時間を告げられて自由行動になりました
 その後も人の流れについて歩いていましたが,突然この先行き止りの案内があり、地元の警備の方から公園の外側を歩いていたことを知らされました。
 そこから公園の入口へ行き,『60分コース』を歩くことにしました。
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 この『花見山公園』は、昭和35年、土地の所有者である阿部一郎氏が善意で無料開放を始めたとのことです。
 この公園とその周辺は、花卉園芸を行っており、春になると、切花出荷用の東海桜を始め,梅,桃,ソメイヨシノ,レンギョウ,ボケ,サンシ
 ュ、モクレンそして椿などが咲き誇るとのことです。
 そのさまを写真家の秋山庄太郎氏が
 「福島に桃源郷あり」と公表し、毎年訪れたという。
 それ以前は近所の人や市内の小学校の遠足などで児童が訪れる程度でしたが,秋山氏によって紹介されたことにより、2000年代に入ると,観光
 客やカメラマンが年々増加し,この時期だけで20万人余りの人が訪れるようになったとのことです。
 観光地化した現在も私有地であるため,公園内での宴会は禁止されており,ここではウォーキング型の花見をする場所になっています。
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 ここでは花卉園芸のため、花木収穫のためには自然な立位で枝を切るため、地上から1m強の部位を切断する。
 このため自然樹形とは異なり,地上から例年切断する部位までの幹は太いが,それより上には多数の枝が極端に細い枝振りで密集して上方に成長
 する。その結果,筆あるいは箒を逆さにしたような樹形となる。
 このような密集した枝に花が咲くため、自然樹形と比べて花の密集度が高くなるという。
 また、特定樹種のモノカルチャーにすると、繁忙期に家族で作業できないほど多くの人手が必要になり,かつ、年により豊作・不作の変動を受け
 ることになるため、人件費削減と収入安定の手段として、収穫期が異なる複数の樹種を栽培しており,結果的に【百花繚乱】になったとのことだ 
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 上の右の写真は,60分コースの頂上付近からの吾妻連峰の眺望です。
 ここまで来る人は少なく、登りですっかり汗を掻いた身体には,心地よい風が吹いていました。
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 かくして予定時間を1時間も余計にとってくれたお陰で,『花見山公園』を十二分に楽しむことができました。
 ここからは帰りのコースとなり,福島西ICから東北自動車道に入り,郡山JCTから磐越自動車道を進み、船引三春ICで一般道に降り,狭い山道
 を辿って今日の最大の目玉である日本三大桜の一つ,『三春の滝桜』に到着。
 午後も3時半を過ぎ,観光バスも少なくなってきたので、余り待つこともなく駐車場に入ることができました。
 この町で目立ったのは『シダレザクラ』の多いことです。場所によって大分花が咲いている樹から,全く蕾の状態の樹もありました。
 この町内には滝桜を含む約2000本のシダレザクラがあり、「日本さくら名所100選」には「三春町のシダレザクラ」が選ばれているとのことです。
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三春の滝桜

Img_0889 福島県田村郡三春町にある、樹齢1000年以上のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の古木で、『三
 春の滝桜』または単に『滝桜』と呼ばれている。
 毎年4月中・下旬に四方に広げた枝から薄紅の花が流れ落ちる滝のように咲き競うことから、
 この名があるという。
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 ここでは見物のために入場料(300円)が必要だ。
 これは滝桜の保護,管理及び周辺地域の環境保全並びに町の観光振興を図るために利用させて
 いただきますと,観桜券に書かれている。
 入口からは緩い傾斜の道を300mほど登ると,柵に囲まれた『滝桜』が見えてくる。
 昨日からの暖かさで五分咲きほどになっており,心配していたよりも華やかに見えているのでホッとさせられる。
 取りあえず樹を見下ろす高台から花を眺め,カメラに収める。
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 この桜は,天保の頃、加茂季鷹(1754~1841)の次の和歌によって、その名を知られるようになったという。
           ‘ 陸奥に みちたるのみか 四方八方
                  ひびきわたれる 滝桜花 ’
 また、三春藩主の御用木として保護されたとのことだ。
 樹高は12m、根回りは11m,幹周りは9.5m,枝張りは東西22m,南北18m。
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 三春の滝桜は、日本五大桜(石戸蒲桜、山高神代桜、狩宿下馬桜、根尾谷淡墨桜)または三大巨桜(山高神代桜、根尾谷淡墨桜)の一つであり,
 大正11年には国の天然記念物に指定された。
 平成2年には「新日本名木100選」の名木ベスト10に選ばれ,桜の名所ランキングでは常に第一位の評価を得ているとのことだ。
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 高台から降りて,滝桜の周囲に付けられている遊歩道を一周する。
 右手の坂道の途中から眺めた桜は,その名のとおり流れ落ちる滝のような形をしている。

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  三春の滝桜 15.45. ~ 16.30.
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 上の左の写真が,桜の右側から撮ったもので、右の写真が左側から撮ったものです。
 ご覧のように右側から撮った写真の方が、名前に相応しい形をしているようです。
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 またこの滝桜は、平成17年1月の大雪で、枝が十数本折れる被害に見舞われたとのことです。
 平成20年から21年にかけては、滝桜を含む14種の花の種を国際宇宙ステーションの日本実験棟『きぼう』に8ヶ月半滞在させて後に地球へ戻し,
 無重力状態が発育に与える影響などを調べるという実験が行われたとのことです。
 因みに、昭和50年5月、世界の最高峰・エベレスト(8848m)に初の女性登頂者となった田部井淳子さんはこの町の出身です。
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 上の写真は,4月24日満開になった現地の写真です.
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 今日の最後は、郡山市中田町木目沢字岡ノ内にある地蔵桜。
 三春の滝桜からさらに山奥の方にあり、バスは次第に高度を上げて行く。したがって木々の芽吹きも未だのようで、時折見られる桜も蕾のままだ
 その山道を10分ほど進んだ道端に地蔵桜がある。
 ここまで来る車は少ないようで、駐車場もバスが三台分と乗用車が10台分余りしか用意されていない。
 バスは我々の乗った車だけだった。
 肝心の地蔵桜は蕾がようやく膨らんで赤くなっている状態で,たった一輪、花が咲いていました。
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 地蔵桜 16.50. ~ 17.10.
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 紅枝垂地蔵桜

 三春滝桜の娘といわれるベニシダレザクラ(エドヒガン系)で、樹齢は約400年。
 この桜の下には地蔵堂があり、昔から赤ん坊の短命,夭折の難を逃れるため、この地蔵に願をかけたと言われています。地蔵桜という名は、この
 地蔵堂に因んで命名されたそうです。
 花の色が滝桜より濃く鮮やかで,樹勢は旺盛、妖艶という表現がよく似合います。夜のライトアップの美しさも素晴らしいとのことです。
 福島県のシダレザクラ番付では、東の横綱の三春滝桜に対し,西の横綱となっており、堂々たる風格があるとのことです。
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 かくしてツアーは終り,バスは東北道を快適に走行して,20時50分無事綾瀬に到着しました。


キバナカタクリ

2010-04-10 18:45:23 | 日記・エッセイ・コラム
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 植えた球根に混じっていたのか,思いがけずに『キバナカタクリ』が芽を出し,咲き始めた。
 物の本によると『キバナカタクリ』は、ユリ科エリスロニウム属のもので、いわゆる『カタクリ』とはだいぶ趣が異なるようです。
 原産はアメリカ合衆国およびカナダ南部の亜高山帯に分布し、ロッキーの山中では「氷河のユリ(Glacier Lily)」と呼ばれているそうです。
 球根(鱗茎)からは2枚の葉を出し,花茎の先端に1~3個ほどの濃黄色の花が下向きに咲くとのことです。
 上の写真はその花芽が出てきたところです。
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 何れにしても、思いがけない清楚な花が咲いて、その種類の確認にしばし時間がかかりました。
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ツマグロヒョウモン

 先日8日に『ツマグロヒョウモン』の幼虫がいることに気がつきました。
 鉢植えのパンジーに脱皮した跡があったので,この冬、蛹か幼虫で越冬したものと思われます。
 一昨年,昨年と我が家では何頭ものツマグロヒョウモンが羽化していましたが、まさか越冬している個体があるとは思いませんでした。
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Img_0827_2 調べてみると,地域にもよるとのことですが,成虫は4月頃から11月頃まで見られ,その間
 に4,5回発生するようです。
 他のヒョウモンチョウ類がほとんど年1回しか発生しないのに対し,多化性という点でも例外
 的な種類とのことです。
 そして冬は,幼虫や蛹で越冬することが分かりました。
 写真でご覧のように,黒色の体の背に一本の赤い筋が縦に通る。体には分岐する棘状の突起が
 各節に6本づつある。突起は体の前半部では黒く,後半部のものは根元が赤く先が黒い。かな
 りとげとげしい毛虫で、派手な体色は毒虫を思わせるが,突起で刺すこともなければ毒もない
 とのことです。終齢で体長30mmほどになります。
 幼虫は各種スミレ類を食草とし、野生のスミレのみならず、園芸種のパンジーやビオラなども
 食べるので、我が家のスミレ類は、毎年丸坊主にされてしまいます。
 この分では、今年も多くの成虫が見られることでしょう。

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 ハラン

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 昨日、Yさんが訪ねてきた際に,我が家の庭の『ハラン(葉蘭)』を見て,
 「今頃は花が咲いているはずですよ」と言われ,密生している葉の根元を掻き分けると,地面にめり込むようにした紫色の花があるのを見つけて
 いただいた。
 今まで何年も庭の片隅にあったが,花が咲くとは知らなかったので,驚きとともに初めて見ることができました。
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 調べてみると,『ハラン』とは、ユリ科の常緑多年草で,巨大な葉を地表に立てる植物で,幅広い大きな葉は,食物を包んだり、盛ったりするの
 に用いられたという。
 九州南部の宇治群島,黒島,諏訪之瀬島が野生地であり、茎は地下を横に這う地下茎の形をとる。
 葉は薄いが硬くて艶があり,深緑色、楕円形で長さが50cmを越える。
 密な群落を作るので,地面からこのような大柄な葉が立ち並ぶような風景になるようだ。日陰で手入れをしないでもよく育つということだが、我
 が家の庭でもまさにそのとおりの状態でした。
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Img_0831_3 花は紫色で多肉質,春になると地下茎から出て地面すれすれに咲き、ちょうど花が地面にめり込ん
 だような格好である。
 果実も右の写真のように、地表に乗った姿になる。
 この植物の花は地上すれすれに咲くことから、カタツムリやナメクジにより受粉されるとの仮説を
 提唱した植物学者がいたが、1995年に日本の研究者がダンゴムシがこの種の花粉を媒介することを
 確認したとのことだ。


清明

2010-04-05 22:10:48 | 日記・エッセイ・コラム
 今日は二十四節気の一つで『清明』(せいめい)。
 『暦便覧』によれぱ、
 「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」
 とあります。
 「清明」とは「清浄明潔」の略で,草木が芽吹きだして、草木の種類が明らかになってくる日の意味とのこと。
 この頃の晴れ渡った空にはまさに「清浄明潔」の語がふさわしく、地上では新芽が芽吹き,いろいろの花が咲き出し,万物が新鮮になり,明るく
 清らかな季節がやってきたということです。
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 とはいうものの、今日は終日冷たい雨が降っており、気温も低く折角満開になった桜も震えているようでした。
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 写真は『葛西用水親水水路』沿いにある桜並木ですが,昨日4日に撮ったものです。
 ここには約290本の桜が植えられていますが、昨日現在では7~8分咲きといったところでした。
 今日の此の雨では、まだ満開にはなっていないようでした。
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 ところで、最近気になっているのは上の右の写真のように,ヒヨドリやスズメが桜の花の蜜を吸っては地上に落としていることです。特に今年は
 その数が増えているように感じていますが,どんなものでしょうか ?
     *
【葛西用水親水水路】
 1660年代に利根川からの水を埼玉東部に引き込む用水路として完成。
 延長を重ねて1760年代に完成し、『見沼代用水』(足立区)、『明治用水』(愛知県)とならぶ日本の三大農業用水の一つとして、埼玉から都内
 の水田へと水を供給した。
 しかし、戦後急速に都市化が進み、水田面積の減少とともに、用水の必要性が薄まり,1977年(昭和52年)東京葛西土地改良区から離脱したのに
 伴い,足立区神明3丁目にある水門が閉じられる。
 そのため、さらなる都市化とともに生活雑排水が流れ込み,水質が悪化していく。
 1980年代に入り,街造り資源として見直されるようになり,1987年(昭和62年)「足立水の回廊構想」が策定され,1992年(平成4年)に『葛西
 用水親水水路』として生まれ変わることになった。
 この水路は、水と親しむレクリエーション機能の他,火災時の延焼を防ぐ防火機能,災害時の緊急用水としての機能なども兼ね備える。             [                                      [自然教育研究センター]資料より


石砂山(いしざれやま)

2010-04-03 00:00:00 | 旅行記
 4月1日に東京の桜の満開が告げられた最初の土曜日とあって、高速道は何処も渋滞が激しく,相模原市藤野町にある石砂山へ向かう中央道も断
 続的な渋滞が続いていた。
 それも相模湖ICで降りると、道路は空いており、折から相模湖周辺の桜も見頃を迎えており,車窓からそれらを楽しみながら、石砂山への登山口
 に当たる篠原に到着した。
 今日は鳥仲間のMさんの誘いで、石砂山周辺に生息する『ギフチョウ』観察のために同行させて頂いた。
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 車をバス停の先にある空き地に止め,少し先にある『東海自然歩道』の標識に従って、右手の狭い道に入る。
 近くでウグイスの鳴声が聞こえ,小さな流れからはミソサザイの囀りが響いてくる。この辺りの桜も梅も綻び始め長閑な雰囲気が心を和ませてく
 れる。
 その道に入ると直ぐに『ギフチョウとその生息地』の看板が立っている。下左の写真だ。
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 それによると『ギフチョウ』は、
 アゲハチョウ科に属する本州特産のチョウで、春に出現,その美しく可憐な姿から「春の女神」と称されている。
 成虫は暖かな日中に活動し,日当りのよい斜面を地上低くゆるやかに舞い,またスミレやサクラの花を求めて吸蜜する。真珠のような卵はカンア
 オイの仲間(藤野町ではカントウカンアオイ)にまとめて産み付けられ、ほぼ20~25日後に幼虫が孵化する。幼虫はカンアオイの葉を食べて成
 長し,約40日で蛹化、初夏から翌春までの長い間を蛹で過す。
 かって神奈川県では、表丹沢と東丹沢の山麓から津久井郡にかけて広く分布していた。しかし、これらの生息地の多くは1960年以降に相次い
 で消滅し,現在では藤野町の一部で少数の自然発生が確認されているにすぎない。
 神奈川県に生息するギフチョウは、分布上太平洋側の東限をなし、独特の形質をもつ個体群を形成していることで、その自然誌的価値はきわめて
 大きい。絶滅に瀕した県下のギフチョウを後世に永く残すため、県指定天然記念物として保護するものである。
                                      昭和58年3月  神奈川県教育委員会      とある。
     *
 また【日本大百科事典】によると,ギフチョウは本州のみに生息し,西は山口県、北は太平洋側では東京都西部の多摩丘陵,日本海側では秋田県
 南端部に達する。東京都、神奈川県,京阪神周辺では主として生息地の環境破壊によって多くの産地で絶滅した。
 羽の開張50~55mm程度で,アゲハチョウ科としては小形。羽の地色は黄色で,縦に黒の縞模様があり、後ろばねには赤色,橙色,青藍色の
 斑紋があり美しい。この段だら模様から『ダンダラチョウ』の別名がある。
 年1回の発生で,暖地では3月下旬から4月下旬(最盛期4月上旬ごろ)、分布の北限に近い地域(例えば山形県)や標高の高い場所では4月下
 旬から5月下旬(最盛期5月上旬ごろ)に出現し,その最盛期はサクラの開花期にほぼ一致する。
 年に1度春だけにその姿を現す生物をスプリング・エフェメラル(春のはかない命)というが、チョウでは本種がその代表的なものである。
     *
 左手にある土手にはスミレ類などが咲いており,皆さんのカメラの被写体になっている。今日は野鳥よりも花や蝶が我々の足を止めることに
 なる。上右の写真は『エイザンスミレ』。
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 さらに奥に進むと上の左の写真のように古い案内板があり、その隣に割と立派なトイレがある。
 その先の登山口には上の右の写真の案内板があり,ここから本格的な山道となる。
 この案内板の付近には数名のカメラマンが待機している。そのうちの一人の方から,
 「ギフチョウを見るならば山頂へ行かなくともここで見られるよ」と教えて下さる。民家の庭に咲いているカタクリや、小さな流れの反対側にあ
 るマメザクラの花などに吸蜜に来るというのだ。撮影場所のベストポジションまで教えて下さるという、まことに親切な方だった。
 そうこうしていると、カメラマンが何やら写しているのに気がつく。すわギフチョウが出たかと,飛んで行くとそれはセセリチョウ科の『ミヤマ
 セセリ』だった。広げた羽の黄色の斑点が目立つ。
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 ミヤマセセリをカメラに収めて,我々は目的の石砂山の山頂を目指すことにして、杉林の中の急坂を登りだす。
 ジグザグの急坂が終ると緩やかな尾根になり,カラマツや雑木林の尾根歩きとなる。ここでは『春蘭』や『破れ傘』などが目立ち,これもカメラ
 の良い被写体となってくれました。 
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 その先にはギフチョウの食草である『カンアオイ』が多く生えている場所がありました。これがあるからギフチョウが生息しているのだというこ
 とを、実感することができました。カンアオイの大きな葉の陰には,小さな黒紫色の目立たない花があることも分かりました。
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 ここまで植物の写真を撮るなどして大分時間がかかりましたが,登山道は最後に250段ほどの傾斜の厳しい急な木の階段を登ることになりまし
 た。
 登山道の各所には、下の写真の左にあるギフチョウに関する注意書きの立札がありました。
 右の写真は最後の木の階段を登る手前に建てられてあり,頂上まで0.3kmとなっていました。
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 急な階段に息を弾ませながら、やうやく頂上に到着すると,狭い頂上には2つのベンチがあり,10名ほどの方が思い思いの形で待機していまし
 た。上空は雲に覆われており,気温も低く、これでは蝶類は出てきそうもありません。朝の天気予報では、午前中は晴れるとのことでしたが、ど
 うやら晴れるのは遅れるようです。
 588mの頂上には二本の頂上の標識があり,1つには『藤野町15名山』 、他の1つには『神奈川県』の名が刻まれていました。
     *
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 しばらく周囲の草花などを観察していましたが,中々雲が取れそうもないので,早めの昼食を採ることにする。
 眼下の道志川を挟んで丹沢山塊の東端に当たる山並みを眺めながらの食事,かって昭和61年11月にヤビツ峠から塔ノ岳、丹沢山(泊)を縦走
 し、主峰蛭ヶ岳を経て姫次、焼山から西野々へ下ったことを思い出しながら……。
 その姫次、焼山から西野々などを眺めながらの食事は、またひと味違ったものがありました。
 下の左の写真は丹沢山塊の眺望,右の写真は頂上にある東海自然歩道の標識 。
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 食事が済む頃に、20名ほどのハイキンググループが来て、頂上が大分賑やかになる。
 上空の雲がようやく切れ始め,青空が次第に広がり,日差しが出て気温も上がってきました。
 と、それを待っていたかのように蝶が二頭、もつれるようにして飛来した。待っていた人たちが一斉にその後を追う。地上に止まったのを確か
 めると,黄色いギフチョウではなくタテハチョウ科の橙赤色をした『ヒオドシチョウ』。6月に発生して翌年の春まで生き残るという種類だ。
 止まっている時間は短く,直ぐに舞い上がり、そして二頭がからみあったりしてまた地上に降りる。それの繰り返しだ。
     *
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 そのうちに『ミヤマセセリ』も現われ,『ヒオドシチョウ』に絡むように飛び回る。これは小さいので止まった場所を見つけるのが難しく,ここ
 ではカメラに収められなかった。
 何回となくヒオドシチョウが出てくるので,それを追いかけているうちに,周囲を見ると登山者の姿が無くなり,我々の他3名のカメラマンがい
 るだけになっていた。この方々は間違いなく[蝶マニア]のようだ。
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 何回目かのヒオドシチョウが出たとき,一緒に小さな黄色い蝶が飛んできた。まさしく『ギフチョウ』だ。思っていたより小さい蝶で,しかも目
 まぐるしく飛び回るのみで,何処にも止まらないので,とてもカメラには収められない。そのうちに林の中へ飛び去ってしまった。
 我々はお互いに顔を見合わせると、興奮している状態が分かる。折角出てきてくれたが,じっくりと観察することはできず、勿論カメラに収める
 こともできなかったのだ。しかし、これで次への期待が高まってきた。
 問題は帰りの予定時刻が迫ってきていたことだ。何とか続けて出て欲しいと思っていると、しばしの後,再び小さな黄色の蝶が飛来した。今回も
 周囲を飛び回るのみで、止まることがなかった。これでは今回もカメラに収めることはできなかった。
 予定時刻を過ぎたので,後ろ髪を引かれる思いで山頂から引き上げることになった。残念ではあるが,兎に角ギフチョウがいることが分かったこ
 とで、よしとすることにした。
     *
 急な木の階段を下り,尾根道を下っていると,そこへ『ギフチョウ』が飛来する。今度は地上に降りて止まったりするが,直ぐに飛び立つので,
 今回もカメラに収めることはできなかった。右に左にと飛び回り,我々が下る道案内をするかのように 飛んでくれた。この辺りは『カンアオイ』
 が多く見られる場所でもあった。
     *
 そしてその先の尾根筋で4頭目が飛来する。今度は登山道脇の草原に止まった。これは絶好のシャッターチャンスとなってくれた。私は先ずビデ
 オに収め,次いで静止写真を撮るべく準備していると,飛び上がり林の奥へと消えて行った。同行の皆さんは、それぞれにカメラに収めることが
 できたようだ。
 まさにスプリング・エフェメラル、ビロードのような黄色の翅に鮮やかな黒の縦縞模様,それに後翅の赤・橙・青藍の斑紋が美しく,忘れ難い強
 い印象を残してくれた。
 下の写真は左がM氏、右がA氏が撮影したものを、ここに掲載させて戴くことにした。
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 かくして「終りよければ総て良し」という結果になり、今日の目的を果たして帰ることになった。
 帰りの高速道も所々で渋滞し,特に首都高に入ってからはノロノロ運転が続いた。
 そのお陰でもあるが,千鳥ヶ渕や隅田公園の満開のサクラと大へんな人出を眺めることができ、有終の美を飾ってくれるおまけが付いた1日と
 なりました。