nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

志摩紀行3

2019-11-30 15:06:33 | 旅行記

令和元年11月19日(火)晴

 昨晩心配した天気は晴れ、ただ東の空には雲が残っており、モルゲンローとは見られませんでした。

 朝食は洋食を選んで『ラ・メール』へ行きました。

       

 昨晩の雨の名残の雲が残っていましたが、英虞湾を眺めながらの食事は申し分がありません。

 『ラメール ブレックファスト』のメニューにより、最初は「オレンジ、グレープフルーツ、トマト、自家製野菜ジュース、自家製モーニングジュース、シャンパン」

 の中から選ぶことになり、私はシャンパン、妻はオレンジを注文しました。

 次いで「国内産野菜のサラダ、国内産チーズ添え(船越味噌風味のディップ)」が出ました。

        

 「パン」は「トースト、クロワッサン、デニッシュ」からトーストを選びました。作り立ての温かいパンでした。

 さらに「季節のフルーツ ヨーグルトを添えて」と「モーニングスープ」が出ました。

         

 「卵料理」は「エッグベネディクト ラ・メール風、海の幸オムレツ、海の幸と卵のグラタン」から私は鮑が入ってるという海の幸オムレツ、妻は海の幸と卵のグラタン

 を選びました。

        

 「飲み物」はコーヒーで、朝の食事を美味しく頂きました。 

     *

 部屋へ戻り帰りの支度をして、出発までの時間は『ゲストラウンジ』で、お茶を飲みながらもう一度英虞湾を眺めながら過ごしました。

       

 今日は観光バスで、伊勢神宮の別宮などを廻る予定になっています。

   ホテルから20分ほどで『伊雑宮』駐車場につきました。秋晴れの絶好の天気になりましたが、昨晩の低気圧の名残の風が強く、気温も低めでした。

 駐車場からは左手の狭い道を曲がると直ぐに標識があり、鳥居を潜り境内へ入りました。

 入口から右手には『宿衛屋』があり、ここで記帳やお札などが置いてありました。建物の右脇には楠の巨木があり、途中から二股に分かれていました。

      

 左手に『手水舎』があり、手、口を濯ぎ参道を進みます。

 参道の一番奥に『伊雑宮』がありました。『伊雑宮』でも平成26年秋に式年遷宮が行われたとのことです。

 現在の殿舎は西側の御敷地にあり、東側は『古殿地』となっていました。

      

 伊雑宮を拝礼の後、元の道を戻りました。境内は古木が多く背の高い森となっており、静寂な雰囲気が心を落ち着かせてくれました。

 古殿地の隣には『忌火屋殿』と『祓所』があり、その先の林にも斜めに伸びた大木がありました。

 「忌火屋殿」とは「神様に食事を捧げるための台所のこと」で、毎日、朝と夕方の2回行われる大御饌祭(おおみけさい)の折、神様へお供えする料理を調理して

 います。「忌火屋殿」の前庭は、「祓所」と呼ばれ、祭典の前に神饌と神職を祓い清めるとのことでした。

         

伊雑宮 

 伊雑宮は「いぞうぐう」とも呼ばれ、三重県志摩市にご鎮座される、皇大神宮の別宮です。

 『万葉集』に大伴家持の「御食つ国志摩の海人ならし真熊野の小船に乗りて沖辺漕ぐ見ゆ」の歌が残るように、志摩地方は、風光麗しく海産物に富み、古くから朝廷と

 神宮の御料を貢進した御食国として知られ、『古事記』にも「島の速贄」(志摩から朝廷に納められる初物の海産物)として登場します。

 伊雑宮も古くから、天照大神の「遥宮」として広く信仰を集め、また地元の人々によって海の幸、山の幸の豊穣が祈られてきました。  【伊雑宮】 

     *

 次は鳥羽市にある『神明神社』に向かい、40分ほどで駐車場に到着しました。

 駐車場からはお土産屋がある、緩い坂道を10分ほど歩いて境内に入りました。

 鳥居の前には「天皇陛下御即位」を奉祝する幟が並んでいました。

      

 神明神社の創立は、御由緒によると年代不詳で、神明八幡宮として造営され明治41年に境内諸社及び千賀神社・堅子神社を合祀した。

 また、明治42年に畔蛸神社も合祀し神明神社となったとあり、現在は二十六柱の神々が祀られているとあります。

 神明造りの『本殿』に拝礼し、その先にある『長寿の館』の「ご神木」に触れてきました。

       

 この「ご神木」は、楠木の枯木で「諸国誌草稿」によると、長さ約6.7m、周り約14.7m、径3.6mで八畳敷きの大きさであったと記されているそうです。

 この楠木を郷人の長寿の守りとして末長く保存しようと「長寿の館」と名付けたとのことでした。

     *

 元へ戻ると、社殿の手前に『十一面観音菩薩立像薬師如来立像』を納めた『薬師堂』がありました。

 これは神明神社の旧別当寺であった、朝福寺のものであったと伝えられているとか。

 十一面観音菩薩立像は今から800年程前の平安時代後期の作品で、薬師如来立像は室町期作といわれ、この辺りでは一番古く、一番大きな仏像とのことです。

 その手前にあるのは石神さん』で、この祭神は神武天皇の母であり綿津見神の娘である玉依姫命』。

 その昔、正月のある晩、島田髷に結った女神が石神さんの元に現れたという云い伝えを、相差の海女が古くから信仰し、海に潜る際の安全大漁を祈願してきました。

 そのことから、女性の願いなら、一つだけ必ずかなえてくれると言われるようになり、参拝者はその願い事を書いてお祈りすれば願いが叶うということが評判になって

 多くの女性が訪れるようになったとのことです。我々(?)も願い事を一つ書いてお祈りをしてきました。

        

 境内を入って直ぐのところには『山乃神』の小さな祠と、赤い鳥居が並ぶ『三吉稲荷大明神』の社殿がありました。

        

 駐車場へ戻る途中には『五左屋』という、築80年の古民家を再生したお土産物屋兼カフェがありました。

 昔の相差(おおさつ)町の海女の生活を、実物などの展示でわかりやすく紹介しています。

 またその先の曲がり角には『海女文化資料館』がありました。

 ここでも海女の大きな心に育まれた相差の暮らしや歴史を通し、相差の心に触れる体験を提供しているとのことでした。

          

                           * 

 ここからは伊勢神宮の内宮や外宮の近くを通って、昼食場所の『懐石 かみむら』に着きました。

 懐石 かみむら

  緑の森に囲まれた伊勢神宮の外宮。その北側の静かな住宅地の一角に、懐石「かみむら」はあります。

 昭和63年11月に伊勢に店を構え、現在のお店は数寄屋造りで平成11年9月にオープンしました。

 主人は関西で修行をしたのち伊勢に帰り、伊勢志摩の魚介類と京野菜をとりあわせ、お客様に懐石料理をご提供させていただいております。【懐石 かみむら】

          

 通された和室での昼食は、『令和元年 霜月』の懐石料理でした。

 「前 菜」は、柿生酢 福沙玉子 仔持鮎甘露煮 蓮根煎餅 青身大根寿司 むかご串差しで、焦げ茶色の小さな箕に入っていました。

 「煮物碗」は、胡麻豆腐 堀川牛蒡 青身 紅葉麩 柚子。

        

 「お造り」は、天然鮃 寒八 ヤリ烏賊 あしらい一式。

 「焚合せ」は、鰆信州蒸し 山葵 葱。

        

 「変 鉢」は、鴨鍋 鴨丸 粟麩 焼葱。

 「御 飯」は、鱧 三つ葉。

 「デザート」は、百合根アイス でした。

      

 何れも美味しく、昼食には多すぎたお料理でした。

     *

 ツアー最後の観光地は、バスで10分ほどのところにある『月夜見宮』です。

 バスを降りて直ぐに参道入口の鳥居があり、それを潜ると右手に『手水舎』と『祓所』があります。その左手にある大楠が一際目立っていました。

                

月夜見宮

 ご祭神は月夜見尊。天照大御神の弟神で内宮別宮 月読宮のご祭神と同じです。

 月読宮は月読尊と荒御魂をそれぞれ別の社殿にお祀りしていますが、月夜見宮は、月夜見尊と月夜見尊荒御魂を一つの社殿に合わせてお祀りしています。

 月夜見宮は、古くより山田と呼ばれる伊勢市街の中心地に広がる森がその宮域で、クスやケヤキなどが茂り、三方を堀がめぐっています。

 この地は古くは大河原または西河原とち呼ばれ、農耕と深いつながりのある神社として信仰を集めてきました。  【月夜見宮】

     *

 手水舎』で手と口を濯ぎ、森に囲まれた参道を進み、『月夜見宮』に参拝しました。

 ここ月夜見宮も平成27年2月に式年遷宮が行われました。現在の殿舎は東側の御敷地にあり、西側は『古殿地』となっています。

       

 月夜見宮社殿の右手後方にご鎮座する『高河原神社』は、外宮の摂社で月夜見尊御魂をお祭りしており、宮川の高河原と言われた土地の開拓の守護神とのことでした。

         

十四の別宮

 神宮には、皇大神宮に荒祭宮、月読宮、月読荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈彌宮、瀧原宮、滝原竝宮、伊雑宮、風日祈宮、倭姫宮の十所、

 豊受大神宮に多賀宮、土宮、月夜見宮、風宮の四所、合わせて十四の別宮があります。

 別宮とは、正宮(本宮)に対する別宮(別け宮)であり、正宮につぐ重要なお宮です。

 古くは天皇の勅書により、後には官符を持って、宮号を宣下された神社だけが宮号を称しました。

 現在も、年間のさまざまなお祭りや式年遷宮は正宮に準じて行われます。  【神宮司庁】

       *

  これで好天に恵まれた三日間に亘る『あなた好みで過ごす伊勢志摩の旅』を終え、宇治山田駅に着き、観光バスの添乗員と運転手さんにお礼の挨拶をして別れました。

 宇治山田駅の駅舎は広く、新年などの物日の混雑ぶりが思い出されるようでした。

       

 宇治山田駅からは近鉄特急1512号で名古屋へ行き、新幹線に乗り継ぐ間に夕食用に駅弁ベストテンに選ばれているという『ひつまぶし巻き』を購入して、車内で

 その味を楽しみました。

                             

                          *

 10.00. ホテル発(観光バス)→ 1020. 伊雑宮 10.50. → 11.25. 神明神社 12.05. → 13.10. 懐石 かみむら(昼食)14.40. → 14.50. 月夜見宮 15.10. →

 15.25. 宇治山田駅 15.52.(近鉄特急1512号)→ 17.18. 名古屋駅 17.44. (のぞみ244号)→ 19.23. 東京駅着


志摩紀行 2

2019-11-30 10:24:44 | 旅行記
令和元年11月18日(月)晴後雨
 
 予報では曇後雨でしたが、起床して外を見ると青空が広がっていました。
 それではとご来光を見るために、屋上庭園へ行って見ました。
 今日の日の出は6時半ごろとのことでしたので、少し早めに着いたようで、未だ太陽は出ていませんでした。
 日の出を待つ間、伊勢志摩サミットの際に首脳たちの集合写真を撮ったという場所に行き、カメラに収めました。
         
 やがて東の空が赤く染まり、日の出が始まりました。
 モルゲンロートを見るのは久し振りのこととて、しばしその美しに包まれていました。
                                          
                            *                                                                                       
 朝食は私たちの部屋と同じ階にある『和食 浜木綿』で『志摩の朝餉膳』を頂きました。
 テーブルに着くと先ず『ジュース』が運ばれてきて、御飯の種類(白御飯、米澤もち麦御飯、白粥、海の七草粥、もずく粥、薬膳粥)を選ぶことになりました。
 私は『海の七草粥』、妻は『米澤もち麦御飯』を選びました。
        
 最初に運ばれてきたのは『桶盛り彩々』で、伊勢志摩産鹿尾菜煮、真珠貝柱胡麻酢和え、伊勢どり野菜浸し、胡麻豆腐 いくら、山芋とろろ、焚合せの六種類。
 一品毎にメニューを確認しながら頂きました。
              
 次いで『三点箱盛り』は、鳥羽産ちりめんじゃこ煮、唐辛子味噌、梅干し。
 選んだ御飯『海の七草粥』と焼魚』は、三重県産干物(鯖)出汁巻玉子添え、『味噌汁』は、あおさ海苔、『香の物』は、伊勢たくあん、『水菓子』は、果実(メロン
 とオレンジ)とヨーグルトが運ばれてきました。
       
 味の良い海の七草粥を頂きながら一品、一品を味わい、全てを美味しくお腹の中へ…。少々食べ過ぎたようでした。
     *
 部屋へ戻り、あらためてベランダからの景観をカメラに収めてみました。
           
                                  *
 9時から『館内見学ツアー』があるので、連絡バスで『ザ  クラシック』へ行き、そこから連絡通路を利用して『ザ クラブ』の集合場所へ行きました。
 そこは『伊勢志摩サミットギャラリー』がある場所で、当日のスケジュールや食事メニューなどを写真や記念品とともに紹介しており、『サミットテーブル』も展示
 してありました。
               
 サミット関連の説明が終わり、そこから2000坪あるという庭園へ出て、昭和26年11月、昭和天皇が御滞在の際、賢島の印象を御歌に詠まれた、
 “ 色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島 ” の御製碑と、山口誓子の句碑 “ 高き屋に 志摩の横崎 雲の峰 ” の説明がありました。
                
 部屋に戻り、一階への階段を下りと、1951年の開業当時からの歴史を写真や年表で展示した『クロニクル ー ホテルの歴史』がありました。
 そこから『ザ クラブ』の建物を出て『ザ クラシック』の建物へ入りました。
               
 一階にあるレストラン『ラ・メール ザ クラシック』を入って右側の壁に、藤田嗣治の『野あそび(1936年)』の絵画が飾られていました。
 この絵はクラシックからモダンへと時代の異なるファッションに身を包んだ女性像が集う作品で、京都の丸物百貨店(後に京都近鉄百貨店)の依頼で制作され、
 百貨店というモード(流行)を扱う場に飾られることを意識して描かれたともいわれています。   【ホテル アートガイドマップ】
                 
                                    *
 これで『館内見学ツアー』は終り、今日は自由行動なので昨日予約していた観光タクシーによる『うっとり夢街道コース』を利用することにしました。
 車は『三交タクシー』の中型車で、ホテル ザ クラシックの玄関から出発しました。
 運転手さんに希望のコースを説明し、始めに英虞湾を一望できる『横山展望台』へ向かいました。
                   
 
 車は途中から桜並木が続く山道へ入り『横山ビジターセンター』を経て展望台の駐車場に着きました。
 駐車場からは急な石段を登る道と、その左手には傾斜の緩やかな木道ができており、我々はその木道を利用して『天空カフェテラス』に着きました。
      
 我々は展望デッキで、運転手さんの説明を聴きながら、目の前に広がる英虞湾を一望する景色を楽しみました。
               
 天空カフェテラスから1分ほど歩いたところに木漏れ日テラスがあります。
 木々に囲まれたプライベート感のある空間で、テラス中央にはケヤキやスダジイを配置し、心地よい木陰を造りだしています。
               
横山展望台  標高 140m 
 英虞湾に浮かぶ 60の小島と幾重にも折り重なるように突き出た半島を一望できる展望台。
 標高140mの高さから、日本有数のリアス海岸美を誇る絶景が楽しめます。ミシュラン・グリーンガイドジャポンで一つ星の絶景。
 遊歩道も整備されているので、ハイキング・トレッキングにも最適。
 2018年3月31日に横山天空カフェテラスの展望テラス、木漏れ日テラス、そよ風テラスがオープンし、8月5日には横山天空カフェテラスの展望休憩所           (カフェコーナーを併設)がオープンしました。のんびりとくつろぎながら、里海の美しい風景をお楽しみください。   【志摩観光ナビ】 
                             *
 次いで車は灯台のある大王崎を目指しました。
 うららかな日差しのもと、車窓の景観を楽しみながら、30分余りで波切魚市場を過ぎ、大王崎灯台の入口に到着しました。
 車を降りて海岸沿いの堤防のある道を行くと、宝門の浜という標識があり、右手に砂浜が広がっていました。
 その先からは狭い傾斜のきつい道で、両側にはお土産屋がありましたが、多くの店は閉まっており、観光客の姿もありませんでした。
               
宝門の浜
 万葉仮名地名の浜です。ここでは、海女さんなどの風景を見ることができます。八幡さん公園のある城山の西側一体が宝門の浜です。  
 ここからの景色は多くの画家の題材になってきました。                                                                                                                                                             近くには大王崎灯台があり、絵描き、写真撮影に好スポットになっています。    【志摩観光ナビ】
     *
 灯台の敷地内へ入り、塀越しに熊野灘と遠州灘を分けるという太平洋を眺めることにしました。
       
 灯台の展望台までの狭い急な螺旋階段を登るのは遠慮して、敷地内を見学しました。
 と、海を隔てた塀の上に「カマキリ」がいるのに気がつきました。なぜか我々の様子を伺っているようなので、カメラに収めてみました。
       

 大王埼灯台

 太平洋の荒波が寄せる岸壁の先端に立つ白亜の灯台です。ここの美しい風景は、多くの画家たちにも親しまれ「絵かきの町」として有名です。

 熊野灘と遠州灘を分ける海の難所、大王崎に建っています。鳥羽の鎧崎沖と並んで、船乗りたちに怖れられていました。

 大王埼灯台も参観灯台で、上からは真下に石坂が美しい波切の町、大海原の向こうには神島や渥美半島も見渡せます。

 沖から来る船がマストの先端から現れることから、地球の丸さを実感することができます。   【志摩観光ナビ】

                    

                                 *

 灯台見学を終え、元の道を戻るとすぐに左手に入る『八幡さん公園』の標識があるので、坂道と階段を上がって小さな公園に出ました。

 ここに八幡神社やベンチなどがあり、大王崎灯台の絶好の見物場所になっていました。ここで再び太平洋などを眺めて過ごしました。

         

波切城跡(八幡さん公園)
 大王崎は二つの小山からなっています。ひとつは藤島武二の絵で有名な崎山公園です。

 今ひとつは灯台のある山で、山の名を「城山」と言います。ここの八幡さん公園が波切城だったのです。

 ここに貞治元年(1362)九鬼隆良が波切城を築き、九鬼水軍の拠点となり、嘉隆に至る二百有余年間九鬼氏代々が在城。

 九鬼嘉隆が鳥羽の城主となった天正年間の末に廃城となりました。       【大王崎灯台パンフ】

     *

 ここでちょうど昼時となり、食事処を探し『田中料理店』に入りました。

 私は猟師町ならではの「漁師ずし(てこねずし)」、妻は「天ぷら定食」を注文しました。

 上品な形で出された漁師ずし、カツオを漬ける醤油ダレはその店の独自のタレとか。使うたびに継ぎ足しており、味や香りがまろやかになっているそうです。

 ご飯に乗せられた海苔と生姜も味のポイントになっています。

 半分ほど食べてから、お茶漬けにして食べるのが本来の食べ方とのことでしたが、いずれも味がよく、満足の一品となりました。

      

                                 *

 午後は朝一番で見た英虞湾の景観を反対側から見ることができるという『桐垣展望台』へ向かいました。

 今年始めに設置されたという真新しいウッドデッキがあり、ここでの夕陽見物が評判になっているとのことでした。

 下右端の画像は『ホテル ザ クラシック』が見えるというので、画像を拡大して撮ったものです。

      

桐垣展望台(ともやま公園内)

 英虞湾の東側の展望台で、右手に賢島、前に間崎島を置き、左からは前島半島がのびています。リアス海岸の様子を楽しめる貴重なスポットです。

 夕陽に染まっていく英虞湾の光景は、訪れる人々を魅了します。2019年2月28日~ウッドデッキが新設されました!

 その美しさに誘われて県内外からプロ・アマを問わず、たくさんのカメラマンが撮影に訪れます。    【志摩観光ナビ】

     *

 観光の最後に運転手さんが勧める『安乗神社』へ行くことになりました。この頃から雲が広がってきました。

 安乗神社は人生の荒波を安全に乗り越え、開運の波に乗れるようご祈祷されている「波乗守」があり、運転手さんから勧められた方々からも感謝されるなど評判の

 神社ですので、参拝してお守りを拝受してくださいと、そのお守りを見せながらの話でした。 

        

 こじんまりとした神社に拝礼、お勧めのお守りを戴いてきました。

 帰りに気がつくと、鳥居の先に海が見えていました、海に近く漁業に従事する地元の方々の信仰の対象であることが分かったことでもありました。

 駐車場へ行くまでの道は、海岸に沿った坂道を降って行くのですが、雲が多くなり冷たい風が吹き付けていました。

        

安乗神社

 安乗神社のご祭神、綿津見命は日本神話に登場する海の神様です。その娘の豊玉姫命は鮫であったと云われております。

 はるか昔から島の漁民たちは海に対し感謝と畏敬の念を抱きながら海の恵みを享受してきました。 

 文禄の役では九鬼嘉隆が率いる船団の航海を助け、また嘉永7年の安政東海地震の折にも大津波の勢いを減じさせたと伝えられており歴史上、海とかかわりの深い神社

 です。

 安乗神社はその社名から「安全」「平安」を想起させ人生の平安を望むすべての方々から尊敬されております。   

 また開運の波に乗る「波乗守」は、漁業にマリンスポーツに、平安を望むすべての人々が人生の荒波を安全に乗り越え、開運の波に乗れますように御祈祷してござい

 ます。この守袋は穢れを祓うと云われる麻で奉製しています。     【安乗神社】

     *

 これで予定の観光地巡りを終え、ホテルへ戻ることになりましたが、途中から小雨が降り出しました。

 2時過ぎにホテルに着きましたので、のんびりと汗を流した後、買い物をしたり、ゲストラウンジでお茶タイムなどで過ごしました。

 部屋の浴槽からは外の景色が見えるようになっていますので、ついつい長く浴槽に浸かってしまい、汗が止まらなくて困るほどでした。

         

 夕食は『浜木綿』で “ 伊勢志摩の神楽月を彩る美し国 華会席 ” の和食を楽しみました。

 先 付「焼き茄子琥珀寄せ 車海老 畳鰯 美味出汁」。

 前 菜「錦秋和え 柿の木茸 長芋 とび子、白絹衣和え 零余子 蟹身、丸十擂り流し、サーモン砧巻、絹皮付小芋、銀杏伊勢茶揚げ、鶉玉子柿見立て、

     伊勢どり生ハム、毬栗帆立貝柱」。

        

 吸 物 「土瓶蒸し 松茸 鱧 栄螺 三つ葉 酢橘」、松茸は今年の初物でした。

 造 り 「伊勢海老姿作りなど 魚介五種盛り合せ あしらい一式」。

        

 これを頂いている頃から、降り出していた雨が強くなり、ガラス窓に叩きつけるような吹き降りになっていました。

 焼 物 「伊勢海老磯の香 真名鰹味噌漬け焼き 黒毛和牛身巻 柚子麩田楽 万願寺唐辛子」。

 箸休め 「あおさ素麺 穴子たれ焼き 生姜 葱 旨出汁」。

      

 焼物の料理と一緒に万葉集からの歌が添えられていました。それは万葉集第6巻 1033番歌、大伴家持の歌で、

 “ 御食つ国 志摩の海人ならし 真熊野の 小舟に乗りて 沖へ漕ぐ見ゆ ” とありました。

 歌の意味は「天皇に御食料を奉る国、志摩の海人であるらしい。小さな熊野舟に乗って、沖を漕いで行くのが見える。」とのことでした。

 温 菜 「伊勢海老具足煮 煮野菜添え」。昨晩と同様に、三種類の伊勢海老の料理を楽しみました。

 揚げ物 「蒸し鮑紅葉揚げ 檜扇貝 おくら 真珠塩 檸檬汁」。

        

 食 事 「寿司盛り合せ にぎり寿司 秋鯖小袖寿司 生姜甘酢漬け」、留 椀  「赤だし」。

 水菓子 「甘味と果実盛り合せ」。

          

 昨晩と同じように最後の水菓子に結婚記念日のお祝いのメッセージ(チョコレート)がついており、中居さんからお祝いの言葉を戴きました。

 先ほどまでの強い雨は、食事の終わる頃には弱くなっていましたが、明日の天候が心配です。

 今日も大満足の一日でしたが、明日の準備をして早めに寝ることにしました。


 9.00. 館内見学ツアー 9.40. … 10.00. ホテル発(観光タクシー)→ 10.25. 横山展望台 10.50. → 11.20. 大王崎灯台 11.50. → 昼食(田中料理店)

 12.30. → 12.45.  桐垣展望台 13.10. → 13.25. 安楽神社 13.45. → 14.15. ホテル着   18.30. 夕食(浜木綿)20.20.



志摩紀行1

2019-11-29 21:59:43 | 旅行記

令和元年11月17日(日)晴

 結婚記念日と妻の誕生日を兼ねて、クラブツーリズム社主催『志摩の華宿に連泊で寛ぐ3日間』のツアーに参加しました。

 日曜日だったので東京駅までの電車は空いており、新幹線で名古屋へ。すっきりとした青空ではなく富士山も少し霞んで見えていました。

 名古屋からは近鉄特急で賢島まで、2時間ほどの車窓を楽しみました。途中昼食は大増のお弁当でした。

                

                                                                                     賢島の画像 真中の建物が ザ ベイスイート

             

賢島

 真珠養殖が盛んな賢島に、電車が開通したのは昭和4年。昭和26年から、近代的な開発が急ピッチで進行し、ホテルや旅館、民宿、志摩マリンランドなどの施設が競

 うように次々と建てられた。周辺は観光基地として外観を一変。昭和45年、近鉄特急の乗り入れにより、観光客は急増した。

 英虞湾島めぐりでは、伊勢志摩国立公園に指定される恵まれた自然、そして人々の営みを、海上から改めて見つめ直すことができるだろう。 ※参考文献阿児町史』

     *

 賢島駅からはホテルの送迎車で『志摩観光ホテル ザ ベイスイート』に着きました。

           

 ホテルロビーで館内の設備の説明を受けた後、部屋へ案内されました。ロビーの照明のカバーに真珠が9千個使用されていたり、エレベーターの手すりに2千個の真珠

 が使用されており、さすがは真珠の産地を思わせる設備がありました。

          

 部屋のベランダからは英虞湾が見渡すことができ、ここで三日間過ごすことができる贅沢な時間を、たっぷりと味わうことになりました。

          

 ゲストルーム、標準客室はゆとりの100㎡。全ての客室がスイートルーム、心もやすらげるゆとりの広さを確保しています。

 ゲストルームやバスルームからは伊勢志摩国立の木々の緑、波穏やかなリアス式海岸英虞(あご)湾がご覧いただけます。

 バルコニーに出れば鳥のさえずりや、やさしい潮風が、ゲストを非日常の極上の休日へお連れします。    ホテルHP】         

志摩観光ホテル

 「志摩観光ホテル」は、都ホテルが展開する1951年に開業したリゾートホテルです。 

 日本有数のリアス海岸として有名な英虞湾を望む高台に立ち、開業当初より昭和天皇を はじめとする数多くの賓客をお迎えして参りました。 

 当ホテルは、昭和を代表する建築家・村野藤吾氏が設計した「ザ クラシック」と、全客室がスイートルームでモダンなデザインの「ザ ベイスイート」の二館と、

 開業当時の面影を残す、寛ぎのパブリックスペース「ザ クラブ」を擁しており、伊勢志摩の旬な食材を豊富に使った料理をご堪能いただける海の幸フランス料理

 「ラ・メール」をはじめ、和食、鉄板焼き、 ワインバー等の多彩なレストランは、国内外より高い評価をいただいております。

 お客様にくつろぎに満ちた最高の時間をお届けするため、これまでの歴史の中で受け継がれてきた「おもてなしの心」を守りながら、新たな創意工夫を取り入れ、

 さらなるおもてなしの向上に努めて参ります。 【ホテル HP】 

                      

                                      *

 一休みの後のち『英虞湾遊覧』のため、ホテルのバスで港へ向かいました。

 既に岸壁には遊覧船の『エスペランサ』がいて、観光客の乗船が始まっており、我々も続いて3階の展望デッキに場所を取りました。

          

 エスペランサ 総トン数 約166トン、旅客定員 250名、航海速力 約11.00ノット、就航年月 平成7年10月

 スペイン語で“希望”を意味する「エスペランサ」は3本マストの帆船タイプで、スペイン大航海時代のカラック船と呼ばれる船をモチーフにしています。

                                                                【志摩マリンレジャー】

  汽笛が鳴り、船は波静かな英虞湾を滑るように進み始めました。真珠筏や美しいリアス海岸を眺めながらの遊覧です。

          

 湾内には数多くの真珠の養殖筏があり、遊覧船はそれを避けながら進んでいきます。

            

 遊覧の最後には真珠モデル工場へ寄港します。ここでは養殖真珠の核入れ作業の実演を見ることができました。また真珠製品の売店もありました。

         

 50分ほどの遊覧を終え、夕日が輝き始める頃、港へ戻りました。

          

 港からは迎えのホテルのバスを待って、ホテルへ戻りました。

 夕食までの時間があるので、5階のゲストラウンジ屋外庭園で一時を過ごすことにしました。

     * 

ゲストラウンジ

 最上階にあるゲストラウンジは、ご滞在中自由にご利用いただけるスペースです。

 伊勢志摩サミットでは、こちらで首脳会議が開かれました。

 ソフトドリンクやスイーツを無料にてご用意しております。お部屋での充実した滞在をお楽しみいただくためのDVDもございます。

                                      

屋上庭園

  ザ ベイスイート最上階に位置する「屋上庭園」では、真珠筏が浮かぶ様子や「日本の夕陽百選」の美しい夕陽をご覧ください。

 伊勢志摩サミットでは首脳たちの集合写真が撮影されました。

 また、在来種の草花のみを植え環境に配慮をしており、そこからは刻々と変化する英虞湾が楽しめます。      【ホテルHP】

     *

 屋上庭園では沈みゆく太陽が英虞湾を赤く染めており、自然の美しさを見事に演出していました。

 その屋上庭園からは、たまたま湾内に定期船の『おくしま』が航行しているのに気がつきました。

     

 今日の夕食は洋食で5階のフレンチレストラン『ラ・メール』で Menu “Traddition” を頂くことになりました。 

フレンチレストラン「ラ・メール」

 「ラ・メール」を象徴する “ 海の幸のフランス料理 ” と、その伝統を進化させた総料理長 樋口宏江の創造的なスペシャリティの数々。

 英虞湾の景色とともに、黒鮑や伊勢海老などを活かした伊勢志摩ならではのメニューでお迎えします。  【ホテルHP】

     *

 まずナプキンが、真珠のついたホルダーに挟まれて出されましたが、ご当地志摩らしさを思わせることでもありました。

 最初の料理は『アミューズ ブーシュ』、あこや貝、鹿の燻製。

 『伊勢の野菜』は、チコリ、きゅうり、赤蕪、人参、イシガレイをベースにしたソース。

        

 次いで『うにボンファム キャビア添え』、そして『鮑ステーキ ブールノワゼットソース』。どちらも美味しい !

                

 ここから伊勢海老料理が続きます。『伊勢海老クリームスープ』、『伊勢海老のコンソメジュレ』、『伊勢海老アメリカンソース』、既にお腹は一杯ですが…。

           

 箸休めの『バラのシャーペット』に続いて『松坂牛フィレ肉ステーキ ペリグーソース』が出ましたが、これはもう最高の一品でした。

        

 その後、ここで思わずの一品、我々の結婚記念日を祝ってのメッセージを添えたケーキが届けられました。

        

 最後にアイスクリームとコーヒーが出されると、総料理長さんとスタッフの皆さんが記念日のお祝いに来てくださるというハプニングがあり、大感激の時を過ごす

  ことになりました。

     *

 これで忘れ難い志摩の1日目が終わり、部屋へ戻りました。

 下の画像はベットルーム、左側にロッカーがあり、右手入口付近にTV がありました。

                

 10.00. 東京駅(のぞみ 221号)→ 11.41. 名古屋駅 12.10.(近鉄特急・7215号)→ 14.22. 賢島駅 14.40.(ホテル送迎車)→ 14.45. 志摩観光ホテル

 ザ ベイスイート着 4010号室 15.10.(ホテル送迎車)→ 15.30. 賢島港(エスパーニヤ クルーズ)→ 真珠モデル工場 → 16.20. 賢島港 16.30.(ホテル送迎車)

  → 16.40. ザ ベイスイート着  18.30.夕食 ラ・メール 20.40. 

     * 

伊勢志摩国立公園 指定:昭和21年11月20日、面積:55,544ha

 伊勢志摩国立公園は、三重県中央部に位置する志摩半島とその周りに広がる国立公園です。
 伊勢市、鳥羽市、志摩市、南伊勢町にかけて、およそ6万haの広大な面積を占めています。
 伊勢志摩国立公園は、おおよそ2つのエリアに分けられます。
 一つは、伊勢神宮と背後に広がる自然豊かな森林環境を中心とした内陸のエリア、もう一つは複雑な地形・地質及び小さな入り江と岬が無数に点在するリアス海岸に
 代表される海沿いのエリアです。
 ほかの国立公園に比べると、民有地の割合が非常に高く(96%以上)、公園内の居住人口も非常に多いため、地域の方たちの生活、歴史、文化、風習などに深く触れる
 ことができるのが特徴で、美しい景観を誇るとともに人と自然の関わりを感じさせてくれる国立公園です。   【環境省HP】
 

那須紀行

2019-10-20 15:30:43 | 旅行記

令和元年10月26日(土)晴後曇

 今年の兄弟旅行は、那須温泉は『ホテルエピナール那須』へ行くことになりました。

 目的地が決まらす、しかも土日利用ということで満席が多く、中々決めかねていたところ、どうにかここに予約することができました。

 前日の台風25号による影響で、関東地方も大雨による被害が出ていましたが、今日は朝から青空が広がり、気温も高くなって汗ばむほどの陽気にな

 りました。

     *

  我々は松戸駅西口発のホテルバスを利用しましたが、昨日の大雨の影響で、欠席された方もおられました。無事で被害が無いことを祈るばかりです。

 出発して間もなく、江戸川を渡りましたが、河川敷のゴルフコースは洪水のため使用できなくなっていました。

         

 バスは東北道が事故のため渋滞しているとのことで、常磐道経由で行くことにしますとの運転手氏のアナウンスがありましたが、これが裏目に出て、

 外環状道から常磐道に入る手前からノロノロ運転となり、こちらも事故の影響で時間が掛かることになってしまいました。

 平常ですと途中一回の休憩で2時間半程でホテルへ着く予定でしたが、止むを得ず守谷S Aで休憩することになりました。

 その守谷S Aに入る手前に、利根川を渡ることになりますが、ここでも増水していることが見られました。

        

 その後は車窓左手に筑波山を眺めながら、友部 J C Tから北関東道を経て栃木都賀J C Tから東北道に入り、2回目の休憩を昼食を兼ねて上河内SA

 で採ることになりました。といってもレストランは大混雑で時間が足りず、売店でお弁当などを購入し、バスの車内で食べることにしました。

        

 ということでホテルに到着したのは結局4時間のバス乗車で、午後2時を過ぎてしまいました。

 ホテル内の案内を聞いて、先ず部屋に入り、荷物を置いて何処かに出掛けることにしましたが、タクシーなどの手配がうまくいかず、午後も3時を回

 っていたのでホテル内の敷地を散歩することにしました。下の画像はホテルロビーにあったハローウインの飾り物です。

        

 広い敷地内の紅葉はこれからのようで、曇がちの天候になって、冷たい風にコートが必要になりました。

        

 部屋に戻って、14階の屋上に360°の展望台があるとのことで行ってみました。

 広大な那須高原から茶臼岳連峰まで、冷たい風に吹かれながら展望台を一周しました。

 雲が多く、今朝ほどの晴天であれば一層景色が映えるのにと、少しばか残念な気持ちで眺めていました。

        

 夕闇が迫り、夕焼けが雲に反射して一瞬綺麗な自然を見せてくれました。

        

 その後は汗を流し、食事処・和匠ダイニング『菜す乃』で会席料理『和』の夕食を楽しみました。

 先附「白和え最中 柿 木の実 杏子 胡桃 那須産バターナッツ擦り流し 口、黒胡椒」

 前菜「季節の前菜三種盛り」ヤーコンの金平、薩摩芋のレモン煮、早桃李のムース

          

 造り 「旬山海の造り三点盛り」平政、鮪、生木耳

 温物 「菊花鍋 秋刀魚つみれ 旬菜 香、柚子胡椒」これは4人前です。

          

 煮物 「蓮根饅頭 牛有馬煮 蕎麦の実 鼈甲飴 天、芥子」

 炭火 「本日の焼き物 ヤシオ豚蒸し焼き西京仕立て りんご酢卸し」

         

 食事 「やしお鱒と秋茸のはらこ飯 鱒っ子醤油漬 三つ葉 なめこ汁 香の物」

 甘味 「金ごまぶりん 大豆蜜掛け 林檎のソルベ、焼きりんご」

        

 次々に出される品々を味わいながら、積もる話に花を咲かせての会食を堪能して2時間ほどになり、部屋に戻りました。

          *        

 ホテルエピナール那須は、那須高原の森のなかに立地する地域最大級の総合リゾートホテル。

 旬の素材に徹底してこだわった料理や、温泉露天風呂など、日帰りでも利用できる施設がいっぱいです。

 5万坪の敷地には、ツリートレッキング、テニスやグランドゴルフ等のアクティビティに、全天候型温泉プール等のスポーツ施設が充実。

 さらに体験工房では、本格的な陶芸や天然石アクセサリー作りなどの体験プログラムを多彩に用意して、お子様連れからアクティブシニア

 の皆様まで、あらゆる年代のお客様に那須高原での充実した時間を提供させていただいております。 ホテルエピナール那須』HP

       *

那須温泉郷

 那須温泉郷は、今から約1380年前の舒明2年(630)、狩野三郎行広の鹿の湯(元湯ともいう)発見に始まり、明治以前に板室、三斗小屋、大丸、

 北、弁天、高雄と次々に温泉が発見され、これを那須七湯といい、すでに江戸時代には世に知られていました。

 明治時代に八幡温泉が、大正時代には、旭、飯盛、郭公が発見され、さらに、大丸温泉の湧出湯を自然流下によって引用した新那須温泉を加えて

 那須十二湯と呼ばれていたこともありましたが、現在では、地理的にやや離れた板室を除いて、那須十一湯と呼ぶのが主流となっています。

 また、旭、飯盛、郭公温泉には現在、宿や温泉の設備はなく、温泉跡地と化しているため、那須温泉(鹿の湯)、三斗小屋温泉、大丸温泉、北温泉、

 弁天温泉、高雄温泉、八幡温泉を那須七湯、新那須温泉を加えて那須八湯と呼ぶこともあります。 【那須町観光協会】

     *

 10.05.松戸発(ホテルバス) → 10.50. 守谷SA 11.05. → 12.50. 上河内SA 13.15. → 14.00. ホテルエピナール那須 着  


令和元年10月27日(日)曇時々晴

 5時半過ぎに起床して外を見ると、薄曇りの空に朝焼けが見えています。急いでカメラに収めてみましたが、時既に遅く色が薄くなっていました。

 もう少し早く目が覚めていればと早起きは三文の徳を逃してしまったようです。

        

 朝食は一階のNASUバイキング『エルパージュ』での和洋バイキング。

 一番空いている時間帯は6時30分からとのことで行ってみると、既に多くの方が来ていました。

 小生は相変わらずの和食中心にしましたが、当ホテルでの有名メニューと言われている『フレンチトースト』を勧められたので、それも頂くことしま

 した。出来立てのフレンチトーストにブルーベリーとヨーグルトを乗せて頂くと、これはまた良い目覚ましの一品になりました。

              

 今日の観光を、現在の紅葉の見頃の場所をホテルに伺うと、マウントジーンズ那須のゴンドラを利用すると良いとのことで、当ホテル発の那須高原観

 光周遊バスキューピー号レッドラインに乗ることにしました。

 このバスはホテルや遊園地なとを経由しながら走るので、1時間余りかかって那須ゴンドラ山麓駅の駐車場前に到着しました。

 ここから道路下のトンネルを潜り、長いエスカレーターでゴンドラ山麓駅(950m)に着きました。

       

 日曜のこととて長い待ち行列ではと思っていましたが、天候が悪いことと紅葉の時期に遅くなったこともあって、20人ほどの行列でしたので、それほ

 ど待つこともなくゴンドラ乗ることかできました。

       

 上空は薄日が差していましたか、山の方は一部雲が掛かっているようで、景色が少しばかり暗くなっているようでした。

       

 ゴンドラから見える紅葉は少なく、ゴヨウツツジの紅葉が目立つ程度でした。

       

 10分ほどで山頂駅(1410m)に到着。駅前にある案内図により、まず茶臼展望台へ行くことにしました。

            

 山頂広場にはドックランがあるので犬連れの方も多く、またハンモックの森には子供たちの遊技施設もあって多くの方が見えていました。

 茶臼展望台には5分ほどで到着しましたが、生憎と茶臼岳(1915m)山頂部分に雲が掛かかっており、すっきりとした姿を見ることができませんで

 した。朝日岳(1896m)と共にこちら側から見るのは初めてのことでした。

       

 また、茶臼岳は昭和53年8月17、18日に家族で登頂し、平成7年10月14日には妻と三本槍岳(1917m)と朝日(1896m)登頂の際に三度目の

 登頂をしています。この時のロープウエイからの紅葉はちょうど見頃で、忘れがたい思い出になっています。

 清水平(1810m)とスダレ山(1880m)はガスのためはっきりと見えませんでした。

       

 弟たちはブナ遊歩道を散策するとのことでしたが、小生は山頂カフェでコーヒーを飲みながら一休みしていました。

 帰りのゴンドラも混雑することなく乗ることができました。

       

 この頃になると時々日差しが出て、周囲の景色が一段と鮮やかに見えるようになりました。

         

         

 これで今回の観光を終えてホテルへ戻り、食事処の菜す乃で昼食を採ることにしました。

 食事は銘々が選ぶことになり、小生は彩り旬菜そばを注文。出てきたのはその名のとおり彩り鮮やかで、食欲を唆られる一品でした。

               

 その後は帰りのバスの時間まで、ショッピングなどをしながら過ごしました。 

      *

 バスは予定時間通り出発しましたが、日曜の午後とて帰りの車が多く、那須市内はノロノロ運転が続いていました。

 那須 I C から東北道に入ると、スムースに走ることができました。

 途中「洗練された粋な和モダン」をコンセプトにした、情緒漂う和風モダンな建物が印象的といわれる羽生PAでトイレ休憩の後、ほぼ時間通り

 松戸駅西口に到着しました。

      

 5.40.起床 … 6.30.朝食・NASUバイキング「エルパージュ」7.10. … 9.10.ホテル発・那須高原観光周遊バス きゅーぴー号レッドライン →

 10.20.マウントジーンズ那須ゴンドラ … 10.40.那須ゴンドラ → 10.50.山頂駅 … 山頂自然広場 … 12.00.那須ゴンドラ → 12.10. 山麓駅

 12.20.タクシー → 12.40.ホテル着 … 昼食・菜す乃 … 14.20.ホテル発(ホテルバス)→ 16.10. 羽生PA 16.25. → 17.20. 松戸駅西口 着

 


丹後半島巡り 3

2019-05-06 22:06:46 | 旅行記

平成31年4月27日(土)曇時々晴、俄雨

 起床して窓を開けると漸く青空が覗いている。どうやら天気が回復しそうだ。

 朝食も部屋食で和食膳。具沢山で美味しく頂きました。参考までに部屋の外にある露天風呂を載せておきます。

  

 出発前に付近を散歩しましが、冷たい風が強く吹いて寒さを感じました。ホテルの脇の道を見ると外湯の一つ『まんだら湯』のユニーク

 な建物が見えていました。その手前の『曼荼羅場橋』から大谿川を撮った画像も載せておきます。

  

 今日は最初に待望の『コウノトリ郷公園』へ向かいました。

 ホテルから30分足らずで公園の駐車場に到着しましたが、開園まで少々早く到着したので、公開エリアにある人工巣塔』を覗いてみま

 した。雛が2羽いて、子育て中のようでした。

  

 公開時間となり、鎌谷川にかかる橋を渡って、『コウノトリ文化館』に入り、公開ゲージから観察することになりました。 

   

 目の前の草地などに10羽ほどのコウノトリが、思い思いの場所で餌を漁っていたり、のんびり立ち止まっていたりしています。

  

 建物の屋根上では、けたたましく嘴を鳴らして(クラッタリング)相手を呼んでいる個体や、上空を飛び交う個体などどれに焦点を当て

 たら良いのか戸惑うほどでした。夢中でカメラに収めていると、あっという間に予定の30分が経ち、渋々引き上げざるを得ませんでした。

  

コウノトリの郷公園 

 国の特別天然記念物コウノトリを保護増殖し、科学の理論に基づいて野生復帰を実践する研究機関として1999年に開園しました。

 兵庫県のコウノトリ保護事業の歴史は、1955年の特別天然記念物コウノトリ保護協賛会の発足や、1965年のコウノトリ飼育場における

 飼育の開始に遡ることができ、すでに半世紀以上に及んでいます。そして2005年には、コウノトリの郷公園が満を持して野外への再導入、

 つまりコウノトリの野生復帰を開始したのです。

 コウノトリは湿地生態系の頂点に君臨する鳥で、大型の淡水魚をはじめとする水生動物から、ヘビやバッタのような陸生動物まで、多様

 な餌を食べる肉食の鳥です。現在では、極東に2000羽あまりしか生息していない絶滅危惧種です。 【兵庫県立コウノトリの郷公園】

  1. 名称 英名  Oriental White Stork  学名  Ciconia boyciana(キコニア・ボイキアナ)                                                                                                     
  2.  分類 コウノトリ目コウノトリ科 
  3.  大きさ 両翼を広げたときの大きさ(翼開長)は200~220cm、立った状態での高さは100~110cm。体重は4~5kg。                                
  4.  雌雄の区別 外見上の差異はほとんどありませんが、一般的にオスはメスより大きいです。                                                                             
  5.  餌生物 肉食性で、ドジョウ、フナなどの魚類をはじめ、ヘビ、カエル、バッタなどの多様な動物を餌とします。                                  
  6. 分布 ロシア極東地方や中国東北部等で繁殖し、中国の長江中流域、台湾、韓国、日本などが主な越冬地です。かつて繁殖していた 本や韓国では、野生復帰事業が進められています。
  7.  国内での保護上の位置付け 環境省レッドリスト 絶滅危惧ⅠA類(CR)(ごく近い将来、野生での絶滅の危険性が極めて高いもの)
     *
 次は 古来より絹織物の産地として栄えた加悦の与謝野町 へ。

 ちょうど祭礼の時期らしく、家々へ獅子頭を付けた方が、数人の笛のお囃子を伴って訪問する場面に出会いました。またちりめん街道

 ある路地では、山車に飾り付けをしていました。
 
  
 上左の画像は『旧尾藤家住宅』で、昭和初期の洋風住宅建築が付加された貴重な建造物で、その和と洋の融合した建築が高く評価され、
 平成14年3月26日、京都府指定有形文化財に指定されました。                【与謝野街観光協会】
 
  

                                                                                                                         

与謝野町 面積 : 108.38㎢、人口 : 2万1834人(2015)

 京都府北西部、与謝郡にある町。

 江戸時代以来、機織業が盛んで、京丹後市とともに丹後縮緬の主産地として知られた。平成13年岩屋に老舗の織物工場跡を活用して丹後

 ちりめん歴史館が開館。加悦の中心街区には「ちりめん街道」の通称がある。近世から昭和初期に建てられた建造物が一体となって織物

 の町として栄えた特色ある景観をよく伝え、重要伝統的建造物群保存地区に選定される。    【与謝野町観光協会】

     *

 ここで昼食の時間となり、天橋立方面へ向かい、阿蘇海沿いにある『シーサイド・センター』で、焼きアワビサザエあさりの酒蒸し

 などを頂きました。この頃から青空が広がり、食後センターの前庭から日差しを浴びた阿蘇海の模様を撮りました。

  

 食後は歩いて『元伊勢籠神社』へ行きました。籠神社は伊勢神宮の元宮として知られていることから元伊勢籠神社」と呼ばれ、“お伊

 勢さんのふるさと”として親しまれているとのことです。

  

 拝殿で拝礼しての帰り、境内にある『大和さざれ石』に気がつきました。この石は長い年月をかけ、小石が粘土・砂に混じり、大きな岩

 となったとのこと。あの ‘ 千代に八千代にさざれ石の巌となりて… ‘ のさざれ石とのことでした。

  

 この後は、天橋立観光船に乗るため、観光船乗り場の『一の宮駅』に向かいました。

  

 観光船は20分ごとに出航しており、乗船客も多く見受けられました。

 船は左手に天橋立を見ながら進み、ここでもウミネコが飛来し、餌をねだっていました。

  

 船は12分ほどで『天橋立桟橋』に到着しました。  

            

 ここで自由時間があるので、桟橋付近から珍しい『廻船橋』と『大天橋』を渡って、松林の中などを散歩することにしました。

 下の画像は大天橋から桟橋付近と天橋立の松林を撮ったものです。

  

 次いで松林の入り口にあった『日本三景の碑』と、天橋立の宮津湾に面した海水浴場です。

  

 ここまでで元に戻り、知恩寺の山門前にある『吉野茶屋』で天橋立の名物和菓子『智恵の餅』を頂きました。

 江戸時代から伝わるこの餅は食べると智恵を授かるといわれており、軟らかい餅にこし餡をのせたものでした。

  

 かくして今回のツアーの見学は終わり『知恩寺』の山門を潜り、『文殊堂』で拝礼し駐車場へと戻りました。 

  

知恩寺

 日本三文殊のひとつで通称切戸(又は九世戸)の文殊堂として知られている文殊菩薩の霊場です。 

 智恵を授かる文殊さんとして有名で、受験や資格試験などの受験生やその御家族がお参りに来られます。

 茶屋通りに面する山門は、黄金閣とも呼ばれる市の指定文化財で、楼上に釈迦如来を中央に両脇士・十六羅漢を安置する、禅宗様式・

 三間三戸二重門の丹後地方最大の山門です。              【天橋立観光協会】

     *

 バスは宮津天橋立 I Cから京都縦貫道に入り、綾部JCTで舞鶴若狭道、敦賀JCTで北陸道、米原JCTで名神高速道を経由して岐阜羽

 島 I C から岐阜羽島駅に到着しました。

 舞鶴若狭道の途中急に雲が広がり、雨が降ってきた際に低い位置に虹が出て暫し楽しませてくれました。

 また、三方五湖PAでトイレ休憩の際は、雨が上がっていましたが、強い北風が吹いていました。

  

 画像は三方五湖の水月湖です。

  

 その後、名神道では養老SAでトイレ休憩して、岐阜羽島駅に到着しました。

 岐阜羽島駅からは『こだま678号』に乗車し、途中夕食のお弁当(松坂牛めし海女のわっぱめし)を頂いて、東京に着きました。 

  

  

  

     *

 8.25. 旅館発(バス)→ 8.50. コウノトリ郷公園 9.30. → 10.40. 与謝野 11.15. → 11.35. シーサイド・センター(昼食)… 12.40. 元伊勢籠神社

 13.00. … 13.20. 一の宮駅(観光船)→ 13.32. 天橋立桟橋 … 天橋立 … 知恩寺 14.30.(バス)→ 16.00. 三方五湖PA 16.15. → 17.20.

 養老SA 17.50. → 18.20. 岐阜羽島駅 18.48.(こだま678号)→ 21.47. 東京駅着

観察した野鳥】 24種類

  1.ウミウ      2.ダイサギ     3.コサギ      4.アオサギ     5.コウノトリ    6.カルガモ   

  7.ミサゴ      8.トビ       9.ユリカモメ     10.ウミネコ      11.コゲラ       12.ヒバリ    

   13.ツバメ       14.セグロセキレイ    15.ヒヨドリ      16.イソヒヨドリ   17.ウグイス        18.オオルリ

   19.シジュウカラ    20.カワラヒワ      21.スズメ       22.ムクドリ    23.ハシブトガラス        24.ハシボソガラス