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文明の「周縁」から生まれた文字

 エジプト南部のルクソールの北西にあるワディ・エル・ホルの周辺では、1930年代からヒエラティックで書かれた数多くの碑文がみつかっていました。とりわけ、軍事関係の碑文が多く、かつてこの地には、街道を警備するエジプト軍のやや大きめの前哨基地があった、といわれています。イエール大学のジョン・ダーネルさんは、ワディ・エル・ホル碑文の発見から2年後、最古のアルファベットの誕生の一端を推察できる重要な碑文を発見しました。その碑文にはアジア人の将軍「ベビ」についての記録がヒエラティックで書かれていました。「アジア人」とは、シナイ半島より東の地域出身の人々を指す言葉で.エジプト軍の中にエジプト出身ではない外国人がいたことを意味しています。そしてそれは当時としてはめずらしいことではなかった01のです。
 
この外国人の存在がアルファベット誕生の鍵だったのではないか、とダーネルさんは主張します。軍隊に同行していたエジプト人の書記が、アジア人の兵士たちに「発音をもとに書くんだよ」と表音文字だけを使って書くことを教えていたことは、想像にかたくない、とダーネルさんはいいます。このことにヒントを得て、アジア人が既存のヒエログリフなどから文字の形だけを借りて、自分たちの言葉を書き表わす文字システムを開発した。ワディ・エル・ホル碑文は、そうした過程で書かれたものだった、というのです。
 
「アルファベットは非常に便利なシステムに思えるのですが、エジプトではヒエログリフやヒエラティックにとってかわるということがありませんでした。たしかに、ヒエログリフやヒエラティックなどは、アルファベットとくらべるとずっと複雑です。習得にも時間がかかったでしょう。しかし、このときすでに、エジプトでは自分たちのヒエログリフを使った表語文字のシステムが確立していました。それは非常に優れたシステムです。表語文字は、文字自体が意味をもっていますので、そこにあいまいさはありません。読むだけで、意味がわかるのですから。古代エジプト人にとって、自分たちの言葉を表記するのに最適だったのは、やはりヒエログリフやヒエラティックなのです。だから、アルファベットを導入しなかったのだと思います。アルファベットはやはり、ヒエログリフの知識を学んでいないエジプト人以外の民族が、自分たちに覚えやすいようにつくり.発展させていったのでしょう。」01
 
一つの音だけを表す究極の文字アルファベットは、古代エジプトのヒエログリフから生まれてきたものでした。しかしその正当な継承者ではまったくなかったのです。それは古代文明の周縁にいた人々、複雑で精緻な表語文字を使いこなすことができなかった人々、その文明にとってのいわば異邦人たちが必要に迫られて生み出したものだったのです。


文明の周縁に生まれたあらたな輝き

01アルファベットはエジプトにいた“アジア人の兵士”が生みだした/ジョン・ダーネルJohn C. Darnell/アメリカ、イエール大学中近東言語・文明学部教授/Newton 20085月号

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