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25 時への抗いと廃墟の法則

 建築においては「時間が排除され、消去され、隠蔽されている」*01と小林康夫はいう。すなわち作品としての建築は、「錯綜的、複合的な時間性を無視」することで「みずからの純粋な形態の超越性を確保」しようとしているというのだ。
 たしかに建築家はそうした思考の中で建築を発想する。磯崎新も「時間の進行を停止させることが、設計である」*02と述べているが、さらに磯崎は「にもかかわらず、徐々にこの(作品の)風化は進行する」と続けて述べているように、純粋な形態として発想された建築は、現実の空間に実体化した途端に「時間の予測しがたい暴力にさらされ、洗われ」*01ざるをえない。

カノープスの池/Villa Adriana/イタリア・ティヴォリ
ハドリアヌス帝のヴィラは「廃墟の美」のすべての要素を兼ね備えている。


建築における時間への抗い
 建築家の創作の歴史は、こうした時間の暴力に対する抗いの歴史であったといってもよい。建築に時間を取り戻すために、ガウディは「絶えず変貌してやまないある種の生命体」*01として建築を考えた。また「日常的な時間がもたらす乱雑化、不安定化を上回る複合性をあらかじめ建築のうちに仕掛け」*01ようと試みた建築家もいた。ヨーロッパの大聖堂では、ステンドグラスを通した光の変化による“時間の軌跡”を建築のなかに取り込み、古代マヤのククルカンのピラミッドのように都市的空間のなかにモニュメンタルに時間を取り込んだ例もあった。またハドリアヌス帝は、時と空間を越えて世界中(当時知られていた限りの)の景勝や建物を一箇所に再現しようとした。このような試みが「不滅性、永遠性の希求となって、数々のモニュメントの制作として歴史に記録され」*02たのだった。
 こうした時間に対する抗いの歴史の中で、つねに注目を集めてきたのが“廃墟”である。
 “廃墟”は建築が時間の暴力にさらされ、洗われた結果である。建築に対しどのように永遠性、不滅性を求めても、またどんなに資材と労力と叡智を投入しても、それがいずれは瓦礫の山の“廃墟”と化すのだとすれば、我々の努力は無でしかないのではないか。時間への抗いという人間の行為は、結局は絶望感しか残さないのではないか。“廃墟”はこのように人間が時間に抗うことの無意味さを示している強烈な証拠とされた。
 しかし一方で、ゲーテは、18世紀後半に古代ローマの様々な廃墟を見て回ったあげく、「むしろ、過ぎ去ったものは偉大であったということがわかれば・・・自分も何か意義あるものを作製し、それが将来、たとい廃址になってしまっても、私たちの後継者を高貴な活動へと鼓舞するようにしたい」*03と述べて、作品が廃墟となることに肯定的な見方を示した。

“廃墟”の発見
 ゲーテがこのように考えた背景には、ヨーロッパの建築がルネッサンス以降、古代ギリシャ、ローマの建物から普遍性の法則を導き出し、それを建築の理想としてすすめてきたことがある。過ぎ去ったものの“偉大さ”の基底にある原理に着目し、それらを将来へとつなげる原動力へと転化したのが、古典主義であったが、ロマンティシズムの時代になると、洞窟趣味などと同じく、廃墟そのものの形態へと関心が移っていく。そのきっかけとなったのが、古代マヤ遺跡の発見すなわち“廃墟”の発見であった。
 それはヨーロッパの人々に非常に大きな衝撃を与えた。「ヨーロッパ人は、アメリカ大陸の遺跡を、ギリシア・ローマの遺跡より早く発見」*04したといわれるように、それまで身近の瓦礫の山、石切り場でしかなかったギリシア・ローマの遺跡を“廃墟”として始めて意識したのだった。
 “廃墟”は時間に洗われたが故に、
自然美と人工美の中間を越えたあらたな美を生み出し、また見る人々の想像力を働かせて、時間が溶解した〈今〉〈現在〉の幅を広げ、悠久の時を飛翔する“拠り代”になるという働きもする。
 フランク・ロイド・ライトは、時間を越える普遍性を“廃墟”の形態に求め、古代マヤ遺跡の姿形をそのままデザイン・モチーフに取り込んだ。

旧山邑邸1924/フランク・ロイド・ライト/兵庫

 
改修前の旧山邑邸は、日本の廃墟を集めたサイト「
廃墟Explorer
」の基準に照らせば、十分な“廃墟”であった。フランク・ロイド・ライトは古代マヤ遺跡から強い影響を受け、Hollyhock House 1917、Dr.John Storer House 1922、Freeman House 1923などの作品にそのデザイン・モチーフを用いていた時期がある。日本における彼の作品、旧山邑邸1924にもその影響が見える。

廃墟の法則
 廃墟は過去と現在を結ぶ。それだけではない。アルベルト・シュペーア*05は廃墟の中に未来を見た。はるか未来に投影された自分自身が、廃墟となった“現在”を振り返る。そこには自分がつくりだした作品が“廃墟”となって在る。人間すべてが排除された中で、自然と対話し、自然と融合しつつ、なおかつ自己の存在を主張し、人工物としての痕跡を残してきた“作品”がそこに“廃墟”として存在する。
 自らが生み出した作品が、自らの手を離れ、作品それ自体が自立した“存在”となって、数千年の時を超える。それは自らが創りだしたモノが、自らを超え、人間をも超えた“存在”になるということだ。ところが、その超越した“存在”をつくりだしたのは他ならぬ自分自身なのだ。
 “廃墟”となった作品が意味するこうした超越性と、それが指し示す作者の偉大さは、モノを創ることを業とする人間に究極の喜びをあたえるものとなる。シュペーアは、“廃墟”の持つこうした「法則」を発見し、恍惚となった。そして古代ローマの遺跡が、ローマ帝国の偉大さとそれをつくりだしたローマ皇帝の偉大さをも指し示したように、時の権力者であったアドルフ・ヒトラーがこの「廃墟の法則」を絶大に支持したのだった。
 そして磯崎新は「廃墟を内側に包含した建築」*02を構想し、その逆説的手法によって抗い難い時間の暴力を超えた作品の超越性を確保しようと試みた。
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つくばセンタービル1983/磯崎 新/茨城
“廃墟”となったドローイング(1985)が描かれた。

*01:身体と空間/小林康夫/1995.11.25 筑摩書房
*02:廃墟論/磯崎 新/見立ての手法 1990.08.10 鹿島出版会
*03:イタリア紀行/ゲーテ/相良守峯訳 1942.06.25 岩波書店
*04:知のケーススタディ/多木浩二+今福龍太/1996.12.10 新書館
*05:廃墟とユートピア/松田 達/20世紀建築研究/1998.10.10 INAX出版 


身体と空間
小林 康夫
筑摩書房

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見立ての手法―日本的空間の読解
磯崎 新
鹿島出版会

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イタリア紀行 上中下 (岩波文庫)
ゲーテ
岩波書店

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知のケーススタディ
多木 浩二,今福 龍太
新書館

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20世紀建築研究 (10 1別冊)

INAX出版

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24 〈時〉が走りだす廃墟

 古代マヤの神殿や都市は“過去”や“未来”を〈今〉〈現在〉に収斂する装置としてつくられた。しかし「収縮する時間」*01によって完結し、充足した〈時〉を演出した支配階級も、それを享受した民衆もすでになく、神殿・都市は遺棄され、深い自然に覆い隠された。
 こうして廃墟になった都市が、19世紀“遺跡”として再発見されたとき、その都市が“時”を超越するためにつくられたことも、それを示す過去と未来を記述した“文字”も、もはや解読不能であった。それらは奇怪な神の浮き彫りとともに、“意味ありげな装飾”としか映らなかった。しかしその廃墟には、読解のルールが失われている中でも、人々を引きつけてやまない理由があった。

総督の館 ウシュマルUxmal/メキシコ

悠久の〈時〉を飛翔する“拠り代”としての廃墟
 古代人の自然=宇宙の真理に近づこうという努力は、精緻な天文観測の積み重ねの結果、時間のひみつ=暦の存在に到達した。それは宇宙(=神)の真理に近づいたものと考えられ、その宇宙の真理を解き明かした証として、また時間を〈今〉〈現在〉に収斂する装置として、マヤの神殿や都市がつくられた。
 しかしその神殿や都市が突然遺棄され、人間の様々な干渉から一切切り離されてしまったときから、人工物と自然の融合が始まり、長い物理的時間が経過した。
 人間がつくり出した人工物が、人間不在の中で自然と融合していく。その融合の度合いが、人間の不在の長さを示している。しかしながらこれらの人工物は、人間不在の中でも自然=宇宙の真理と干渉し続け、それらと融合しながらも、人工物としての痕跡を残してきた。その事実こそが、この人工物が人間の手を離れた後も、悠久の〈時〉を飛翔する“拠り代”となっていることを示すものであった。時間を超越し、永遠の時を旅する神々の“のりもの”。それが再び我々の前に姿を現した“廃墟”だったのである。

〈時〉が走りだし、“過去”や“未来”へ発散する
 廃虚という日本語には静的なイメージが付きまとう。しかしラン(run=走る)という言葉と語源が同じであるルーイン(ruin=廃虚)という言葉のなかでは、「時間が走っている」*02“文字”の解読が進み、その意味が理解できるようになった現在においても、また春・秋分に繰り返し起こるククルカンのピラミッドの奇跡に、毎年大量の観光客が押し寄せるようになっても、もはや廃墟としてのマヤ遺跡が、かつてのように過去や未来を〈今〉〈現在〉に収斂する装置として機能することはない。
 その廃墟は、むしろ過去の記憶と未来への想像力(イメージ)が、数千年の時間を行き来するための“拠り代”として、時間が溶解した〈今〉〈現在〉の“幅”を拡げる働きをしている。それはいわば〈今〉〈現在〉から“過去”や“未来”へ向かって〈時〉が走りだし、発散して行くかのようである。
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*01:続 古代日本人の精神構造/平野仁啓/1976 未来社
*02:知のケーススタディ/多木浩二+今福龍太/1996.12.10 新書館


知のケーススタディ
多木 浩二,今福 龍太
新書館

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23 〈今〉〈現在〉へ収斂する都市

過去と未来を現前化する“文字”
 過去の記憶をとどめる手段として人間が創り出したものが“文字”である。それまで“過去”は、人それぞれの記憶の中にしかとどめる事ができなかった。その過去を他人と共有するために“言葉”があったが、言葉は発せられた瞬間に消え去り、言葉を聴いた者もまたその言葉を記憶としてとどめる事しかできなかった。
 文字の発明は、それまで記憶の中にとどめるしかなかった“過去”を、眼前の“現実”として立ち現れるものにした。人々が実際にその過去を体験し、その記憶を持っていなくても、また発せられた言葉を記憶にとどめていなくとも、刻み付けられた“文字”によって“過去”を呼び起こすことができた。
 しかし“文字”が現前化するものは“過去”だけではなかった。

ティカルComplex-Q Stella-22/グアテマラ
 
 古代マヤでは、神殿の壁や石碑に多くの神々の姿や“文字”が刻み付けられた。そこには王家の歴史や神話、伝説などの“過去”の記憶のほかに、高度な天体観測にもとづく“暦”が刻まれていた。それは太陽や星々の運行とそれに伴う雨期や乾期の気候の移り変わりを正確に予測し、未来に起こるであろう(正確には繰り返し起こるであろう)出来事が記述されていた。すなわちマヤで刻まれた“文字”は“過去”と“未来”を現前化させるものであった。

“時間”を超越する神殿と都市
 もともと古代の時間概念は、現代のように直線的ではなく、円環的で、不連続で、自由自在に変化する概念*01であった。一日、あるいは一年単位のループ状をなしていたり、昼と夜のように「繰り返し現れる対立の不連続」*02であったり、伝説や神話のように、過去におけるインパクトの大きさによって、その過去の時間距離が決定されたり、予言や神託のように、現在において未来の事象が決定されるなど、時間概念は過去、未来にわたって、自由自在に変化した。
 過去-現在-未来という“時間”を超越する存在が神だとするならば、古代マヤでは、神殿全体がその神の真理である“時間”を現前化し、記述する“文字”のための記録媒体としてあった。そして春分と秋分の日に、ククルカン(羽毛の蛇の神)が姿を現すチチェンイッツァのピラミッド*03やテオティワカンの“太陽が訪れる日”*04のように、神殿や都市計画そのものが、その形状や配置、都市軸などによって“暦”を現前化し、“時間”の超越を民衆に証明する装置としてつくられた。それは神のみに与えられていた時間を超越する特権を人間が手に入れた証でもあった。そして“文字”と“時間”を操る神官=王が神の代理として現世を支配した。

〈今〉〈現在〉に収斂する過去・未来
 古代マヤでは“時間の超越”として神殿や都市がつくられたが、それらは神殿の形や都市の配置、刻み込まれた“文字”などによって、物的に現在化された“過去”と“未来”であった。過去のその現象が起きた日の記憶と、未来の再びその現象が起こる日の正確な暦による予測。これら過去の記憶と未来の予測が、テオティワカンにおける“太陽が訪れる日”のように、ある〈時〉に向かって集約し、〈今〉〈現在〉眼前で起こる現象へと収斂する。その〈今〉〈現在〉は過去と未来が融合した〈時〉であり、平野仁啓のいう「収縮する時間」*05である。未来と過去と現在が“一点”の〈時〉に収斂することによって完結し、充足する。そしてまさにマヤの神殿と都市は、“過去”や“未来”を〈今〉〈現在〉に収斂する装置としてつくられたのである。
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*01:時間の比較社会学/真木悠介/1981.11 岩波書店
*02:人類学再考/エドマンド・リーチ/1990.01 思索社
*03:ククルカンの像のある階段の側面に、春分と秋分の年2回、太陽の光によって蛇の胴体が現れ、時間の推移によって蛇が階段を下りてくるように見える現象。(七つの蛇の現象

Castillo(戦士の神殿より見る)/チチェンイッツァChichen Itza/メキシコ
*04:テオティワカンの「大通り」は南北軸から約17度ずれており、5月12日と7月26日の年2回、太陽が中央メキシコの真上を通過する日、太陽のピラミッドの正面に太陽が沈み、正午にはテオティワカンからは影というものがまったくなくなる。「太陽がわれわれの都市」を訪れたとして盛大な祭典が繰り広げられたという。(川添 登/都市と文明 雪華社)

太陽のピラミッド(左)と「大通り」/テオティワカン/メキシコ
*05:続 古代日本人の精神構造/平野仁啓/1976 未来社


時間の比較社会学 (岩波現代文庫)
真木 悠介
岩波書店

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人類学再考
エドマンド・ロナルド リーチ
思索社

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都市と文明―古代から未来まで (1966年)
川添 登
雪華社

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古代日本人の精神構造〈続〉 (1976年)
平野 仁啓
未来社

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