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22 廃墟の誘惑

 熱帯ジャングルの奥地に忽然と姿を現す巨大遺跡。古代マヤ文明最大の都市遺跡ティカルTikalは、中米グアテマラ北部のペテン低地に広がる熱帯雨林の中にある。巨大なピラミッドの頂上を鬱蒼と生い茂るジャングルの樹上に突き出したその壮大な遺跡群は、失われた古代文明への憧れと未開の地へ向かう人々の冒険心を強く揺さぶり続けてきた。
 難解な文字や奇怪な神々が刻み込まれた神殿の壁や多数の石碑群。高さ50mにも及ぶ大建造物を築き上げた技術力と組織力。そして都市や神殿の計画に秘められた“数字”の奇跡の数々。それは天体運行の精緻な観測に基づく“暦”をつくり出した高度な文明がそこに存在していたことを示している。
 こうした、栄華を極めた古代文明が突如滅亡し、遺棄され、廃墟となってジャングルに埋没していく。歴史から、人々の記憶から忘れ去られていったこうした廃墟が、人々を限りないロマンの世界へと誘う。廃墟は〈今〉〈現在〉そこに実在するものであるが、人間を悠久の時間の旅へと誘う入口ともなる。このように廃墟ほど、様々な意味で刺激的なものはない。

ティカル/Central Acropolis/グアテマラ

芸術美と自然美の中間をこえて
 かつて下村寅太郎は、廃墟の美とは「芸術美と自然美の中間」*01にあるといい、松岡正剛は、「芸術が自然を模倣しているのでもなく、自然が芸術を模倣しているのでもなくて、自然と芸術の両方が廃墟を模倣し、廃墟が自然と芸術を模倣しているにちがいない」*02と述べた。このように廃墟は、自然と人工とが渾然一体と溶け合った中で生み出された「美」をもっている。それは従来の対立概念としての自然―人工という枠組みをこえ、人工物と自然なもの、作られたものと生まれたものの垣根が取り払われた後に浮かび上がるあらたな「美」の領域なのではないだろうか。
 いま人工物と自然の区別をつけず総体として捉える考え方(ヴィヴィシステム)がパラダイムシフトになりつつある中、廃墟の美は自然美と人工美のたんなる中間という位置づけにとどまらず、それらを超えたあらたな「美」の創造の可能性を示唆している。

想像力の投影
 こうした自然と人工の関係性の中で廃墟の美をとらえる見方がある一方で、また下村は、廃墟の美はロマンティシズム時代の懐古趣味から生まれたものであり、過去の栄光の跡がないと廃墟美にはならない*01とも述べている。それはトルソtorsoと同じく、本来あるべき部分が欠けている状態が、見る人々の想像力を働かす快感、美感の媒介物となるからであり、小川国夫がいうように、現代人は、その自由な想像を働かせてギリシャの廃墟を見て美しいといっている*01のである。廃墟を見て美しいと感じること、すなわち廃墟の美とは、見る側の美意識が投影されたものともいえるのである。
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*01:光があった-地中海文化講義/下村 寅太郎+小川 国夫/朝日出版社1979.07
*02:松岡正剛 千夜千冊 1052/『廃墟の歩き方』栗原亨/2005.8.1



光があった―地中海文化講義 (1979年) (Lecture books)
下村 寅太郎,小川 国夫
朝日出版社

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