goo

37 都市の変容

異質を飲み込む都市
 都市には様々な物や人や言語が集まってくる。それらがたとえ異質で、対立的で、相容れないものであっても、都市はそれらをまるごと飲み込む。しかしそれは都市の許容性、受容性といったものを示すものではない。領土的エリアを市壁などによって強制的に囲い込むことからスタートする都市の物理的な成立の過程の中で必然的に生じる現象を、それは示しているに過ぎない。

都市の“裂け目”と“交通”
 若林幹夫*01は、都市の内部に生じるそうした様々な差異が、「“裂け目”を挟んで隣接」している状況を“開かれ”と呼び、“交通”を、それらの間の、行き来、交渉の過程として捉えた。もともとメディアの語源であるラテン語のメディウムの複数形は、人と人とが出会う街路や通りを意味*02していたように、コミュニケーションは「ここ(私)とは違う場所(他者)への現実的かつ/または想像的な移動の契機をはらんでいる」(上野俊哉)*02のである。街路や通りは、共同体の外部の“交通”の場として空間化されたものであった。

等質な速度の時代
 都市の成立の根本に“交通”があることはいうまでもない。“交通”とは、人と物の行き来―移動であり、それらの間に横たわる空間(あるいは“裂け目”)を移動という物理的行動によって埋める行為であり、結果、その“交通”を通じて異質なもの同士の間の何らかのコミュニケーションを媒介する契機となるものである。そしてこの“交通”には、本質的に速度と、その速度を獲得することによって空間を専有するという特質が付いてまわっている。
 近代前史の都市では、等質な速度が都市全域に浸透していた。市壁という境界線によって切り取られた等速の領土。都市はヒューマンな速度の温存器として、交易と交歓の場を提供していた、と彦坂裕*03は述べる。都市がもともと本質的に抱える様々な異質なものと、その間の“裂け目”。それらの間を埋める“交通”が人馬であった時代、すなわち等質な速度が支配する時代にあっては、この異質なものの間の“裂け目”は“交通”によって十分に埋められ、また埋める役目を“交通”が果たしてもいたのである。

高速度と専用の空間の獲得
 そうした都市が変容する兆しは、西洋の中世都市の成立の過程の中にすでに見られていたと若林は指摘する。「領土的な支配の原理に、それを超える交通と自由の要素が加わることなしには、西欧中世における都市は存在しなかった」*01のである。“交通”は都市を越え、都市と都市の間に横たわる空間(=裂け目)を埋めるものへと役割を拡大していく。そしてその拡大に伴い、異質なもの同士の行き来、交渉の可能性と期待感も拡大し、“自由”の気配を生み出していったことも事実であろう。「市民の共同体」としての西洋の都市のあり方の出発点には、この“交通”の拡大もあった*04のである。しかしまだ中世都市の時代の交通の速度は、人馬を超えるものではなく、等質な速度が支配していた。
 それが変容し、都市が飲み込んだ異質なもの同士の間の“裂け目”が、都市空間そのものを切り裂く物理的な“裂け目”へと拡大していくのは、産業革命以後、都市における“交通”が飛躍的な速度を得てからである。
 最初は都市と都市の間の交通が、鉄道の登場で速度を獲得した。決定的となったのはモータリゼーションが都市の中に入り込んでからである。高速で移動するヴィークルのために、専用の空間が設けられ、都市を物理的に切り裂いていく。
 等質な速度の時代には、共同体の外部の“交通”の場として、異質なもの同士のコミュニケーションを獲得する契機の場でもあった街路であるが、“交通”が高速度を獲得し、街路がその専用空間と化すと、その周囲に隣接する異質なもの同士の行き来、交渉の過程としての“交通”の役割は、もはやはたされなくなった。若林のいう異質なもの同士が“開かれ”ていた状況は一変し、それらは自らの内へと“閉じて”行かざるを得なくなる。”交通”のための専用空間という物理的空間が、都市を物理的にも本質的にも分断し、隔離していく。
todaeiji-weblog

都市を分断する”交通”のための専用空間

*01:CIVITASではなく、SUBURBIUMからの思考 若林幹夫/遠くの都市 ジャン=リュック・ナンシー他/青弓社 2007.03.16
*02:移動する大地のテクノ=ノモス 上野俊哉/InterCommunication No.01.1992 Summer NTT出版
*03:トランスミッション・シティ 彦坂裕/InterCommunication No.01.1992 Summer NTT出版

*04:リン・ホワイトによると『あぶみは東洋から導入されて、8世紀に初めて西洋に出現した』(メディア論/マーシャル・マクルーハン みすず書房 1987.06.22)という。そうだとすれば、ヨーロッパの中世都市の“交通”の拡大には、馬具の導入による馬の卓越したスピードと耐久力の利用が非常に大きな役割をはたしていたといえるだろう。しかしながら人類が初めて馬具を発明したのは紀元前一世紀頃の西アジアの遊牧民であったといわれており、西洋への技術伝搬のテクノ・ラグは大きなものであった。

遠くの都市
ジャン=リュック ナンシー,ジャン=クリストフ バイイ
青弓社

このアイテムの詳細を見る

メディア論―人間の拡張の諸相
マーシャル マクルーハン
みすず書房

このアイテムの詳細を見る
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )