Heal-log

つれづれなるままに。

イタリアその6:ナポリの横顔。

2006年09月19日 | 

ポンペイからの帰りはイタリア国鉄を使った。
「カワイイ」と思って撮った標識。
これが大きな意味を持っているとはつゆ知らずに。


駅のホームから、反対車線の電車をパチリ。
壁際に写る黄色い箱が大きな意味を持っているとはつゆ知らずに。


事件はナポリ・ガリバルディ広場駅で勃発。
改札にて持っていた切符を取り上げられ、強面のオッサンにどえらい剣幕で怒られる。
どうやら購入した切符に駅名と時刻を記録しなければならなかったらしい。
その刻印機が冒頭の写真の黄色い箱と標識だったという訳なのだ。
それを怠った罰金は、一人当たり34ユーロ=約5,000円。高っ!

「知らなかった」とか「そんなこと言われなかった」とか、そんな言い訳はやはり通用しないらしい。
必要以上に怒鳴られ、怒られながら3名分・102ユーロを徴収される。
そんなに怒らなくてもいいのに。
何だか納得いかないまま、少しゴキゲンナナメで駅を出る。

けれども、ナポリはそこからの名誉挽回も早い。
続いて乗ったバスでは、乗客総動員(?)で目的地を教えてくれた。
優しさが身に沁みる。


歩いている途中に見つけて入ったカフェ。
ここでも店員さんはとても親切だった。
「当店ではメニューはございません」と何処かのTVのようなことを言われる。
では何が用意できるか・・・ということを逐一説明してくれる。

で、選んだのがコチラ。

レモンのフローズン。甘くなく酸っぱくなく爽やか。
疲れたカラダにレモンが染みる。


人の親切さに感激したと思ったら、急に怖くて冷たい面を見せ付けられる。
現実に凹んでいたら、別の人の親切や陽気さに救われる。
その落差も激しければ、スピードも速い。
2日間で一番印象に残っているナポリの風景は、まさに人。

結局解らず仕舞いだった地図と同様に、この街はきっともっと奥深い筈。
僅かな期間で去るのは惜しいけれど、明日からは、いよいよカプリ島へ・・・!

イタリアその5:ポンペイ時間。

2006年09月19日 | 


9月19日、朝からポンペイ遺跡へ出かけた。
(写真は遺跡内の広場=フォロからヴェスヴィオ山を望む)

火山の噴火で一日で滅びたというポンペイの話を知ったのは小学生の時。
何かの本で見た「逃げ遅れた人」の骸骨の写真が印象に残っている。
その女性の指にはルビーの指輪が嵌ったままで、噴火の急さを物語っていた。


ナポリからポンペイまではCircumvesuvianaという周遊鉄道で40分ほど。
ポンペイを廃墟に追い遣ったヴェスヴィオ山の名前が含まれている路線だ。
ヴェスヴィオ山。
その名前を聞いて、急に「フニクリフニクラ」の歌詞が浮かぶ。
「あれーが火の山ベスビアスー、ひのやまー、ひのやまー」の火山はこれか!

この時に本日のテーマソング決定。
(しかし、この歌はどのような経緯で「おにのぱんつ」になってしまったのだろう)


40分でポンペイ・スカービ駅に到着。
スカービとはイタリア語で「遺跡」の意味らしい。


駅から遺跡の入り口までは5分とかからない。
チケット(11ユーロ)を購入したら、いよいよ遺跡に突入。
最初の門は自動改札だった(!)。

ポンペイが時を止めたのは、西暦79年8月24日。
2000年近くを一気に遡る。


これはバジリカ。裁判や商取引が行われた場所との事。
外側と内側、異なる2種類の柱で支えられていたようだ。


遺跡中の街区は綺麗に残っている。
道路と呼べる広いものも路地のような狭い道もある。
狭い道には馬車が入れないように車止めもあった。
写真は道に遺された馬車の轍の跡(左右に走っている)。
この道はメインストリートで、轍も私の踝まではまるほど深かった。


これは「ヴェッティの家」の内部。修復中なのか、中には入れず。
この家は壁画で有名だそうだ。
裕福な商人の家らしい広さ。


赤い文字が書かれた民家の壁。
何でもこれは、選挙ポスターのようなものだとか。
こんなに綺麗に残っているなんて、現代と同じように「ポスターには触るべからず」というお触れがあったのだろうか?
ちなみにこのように壁画や文字がある外壁はアクリル板で保護されている。


歩き回った最後は円形闘技場。
ローマのコロッセオよりも小さいけれど、保存状態は良い。


コロッセオのアリーナには下りられないけれど、ここでは降り立てる。
意味もなく走りたくなるのは何故だろう。

ちなみに建物のいくつかは物品の倉庫になっていて、中には人が安置されているところもあった。


逃げ遅れた人の石膏型。
火山灰の中に埋もれた死体は、年月を重ねるうちに腐ってなくなってしまい、空洞として残ったらしい。
そこに石膏を流し込んで、人を復元しているのだそうだ。
幾つかは骨が残っていたし、その姿勢は、紛れもなく「人」のものだと実感。


古代ポンペイの街はとても静かだ。
有名な観光地で沢山の見物客で賑わっているにも拘らず、そこにはある種の「静けさ」のようなものが立ちはだかっている。
道路の上に立ち、壁に手を触れても、景色と自分の間には一枚のアクリル板のような隔たりが存在するのを感じた。

天災である日突然滅びて、それから二度と人が立ち入ることすらなかった空間。
そんな状況が、独特の雰囲気と時間の流れ方を作っているのだろう。
フォロ・ロマーノよりもアユタヤよりも兵馬傭よりも、ポンペイは静かな場所だった。