デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー(術後10年クリアーし"卒がん")、海外旅行記、 吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

閑話休題 ( 視たまま聴いたまま)

2014-08-10 01:35:48 | 閑話休題



 若者たち2014
 かつて心躍らせた連ドラ「若者たち」。半世紀を経てリメイクされた「若者たち2014」は家族構成も筋立ても昔のまま第5話まで来た。が、若者の魂の叫びも真っ直ぐな怒りも心に届いて来ない。兄弟の掴みあいの喧嘩はカタチのみ、今風に言えばウザイ!

 かつての「若者たち」三部作は
 映画「若者たち」「若者は行く」「若者の旗」は70年代初めブロードサイド・フォーの主題歌とともに熱い共感を呼んだ。映画・音楽・文学すべからく思想性が問われた時代、思想性を正面に掲げた。今では野暮!ナンセンス!と嗤われる?

 

 「男はつらいよ」は くだらない?
 映画「男はつらいよ」。「あんなくだらん映画、タダでも観ない」と仰る方がいる。一家言を持つ立派な方ゆえちょっと怯む。まぁ気に入らんものは仕様がない。寅さんのくだらなさにこそこの作品の真髄があり、「くだらなくない」と反論しても仕様がない。

 寅さんに感謝!
 「男はつらいよ」全作をBSで放送中で、今日は檀ふみさんの美しさ、賢さ、優しさ際立つ第42作「ぼくの伯父さん」。この辺から寅さんに生気が欠けるが、渥美清さんの死で最後となった第48作「紅の花」までこの映画にたくさんの幸せを頂いた。

 『わたくし生まれも育ちも東京葛飾柴又。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。ヤケのヤンパチ、日焼けのナスビ、色は黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ。四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちしょんべん』【寅さん「口上」】 
 
  

 焼き場に立つ少年
 8月6日「広島に原爆」、9日「長崎に原爆」、15日「敗戦」。私はまだ生まれてはいなかった。が、亡くなった妹の骸を背負い焼き場で直立不動するこの少年の姿を見て、それは自分自身、あるいは私の兄弟、無数の友人達の姿であるのかもしれない。

  

【写真をとった従軍カメラマン J.オダネル氏へのインタビューより抜粋】
 少年は焼場までくると、硬い表情で立ち尽していました。5~10分立っていたでしょうか、白いマスクをした男たちが近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き焼場の熱い灰の上に横たえました。まばゆい炎がさっと舞い上がり、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気づきました。余りにきつく噛みしめたため、唇の血は流れることなく下唇に赤く滲んでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し沈黙のまま焼き場を去りました。背筋が凍る光景でした。


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18 コメント

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Unknown (花水木)
2014-08-10 08:45:28
デブと某医様、取り急ぎ僭越ながら申し上げます。
広島原爆の日は8月3日ではなく8月6日、長崎は8月9日です。
このコメントはお読みになったら削除してくださって結構です。
改めてまたコメントいたしたいと思います。
ご指摘ありがとうございました (デブと某医)
2014-08-10 11:16:37
花水木さん

おはようございます。
のろのろ台風、大阪は直撃を免れていますが、烈しい雨が降り続いています。
関東は如何でしょうか、お見舞い申し上げます。

> 広島原爆の日は8月3日ではなく8月6日、長崎は8月9日です。

ご指摘くださいましてありがとうございました。
早速、訂正させていただきました。
息子の誕生日が8月3日だったもので頭の中が乱れていたようです。
尤も、息子の誕生日の所為と言うより「そろそろ始まったかな?」かもしれません

> このコメントはお読みになったら削除してくださって結構です。
> 改めてまたコメントいたしたいと思います。

削除などとんでもありません、これも一つの記録だと思います。
実は花水木さんのブログにコメントされていた夢〇人さんのブログを訪ね、
なが~い記述に触発され、なが~いコメントを書きました。
ところがいざ送信する段になって消えてしまい・・・ガックシ!
夜も遅く改めて書き直す気力もなく・・・。
これは「一つの記録」にさえなりませんでした(笑)
こんにちは某医さん! (婆ちゃんねる)
2014-08-10 11:55:51
私も戦争を知らない子供です。
最後の写真には悲しみを通り越して強い憤りを感じます。
まだ幼い少年ですよね。
直立不動の姿勢が胸を打ちます。

若者たち、映画館で子供のころに見た覚えがあります。
佐藤オリエさんが印象的。
壁に貼ってあった五箇条のようなものの中に「働かざる者喰うべからず」とあったような。
それしか思い出せませんがたぶんテレビでも見ていたような気がします。
とらさんは全て見ました。

わが夫、八月6日産まれですので「国民全員が喪に服している日だから誕生日は無しよ」などと言われています。

そろそろ来ましたね (michi)
2014-08-10 12:03:24
でもねこの日は忘れられません。
経験はしておりませんが、父親が何時も「戦争はいけん。したらいけん」と繰り返しておりました。
鉄砲の弾が頬から耳までかすめ深い傷がありました。
仕事上、やくざさんも一目置いたとか(笑)

私は「若者たち」を見たことがありません。
何故なんでしょうかね~~
逃亡者なども。
「へんくうもの」だったんだと思います。
音楽は好きでしたから今も時々聞いていますが
昔の若者はなんであんなに暗いのでしょう?
「君のいく道は果てしなく遠い・・・」
遠かったですか?
「歯を喰いしばり」?
喰いしばってないよ~~
ただ青春の時は異常に長かったように思います。

広島、長崎は近いのでよく行きました。
資料館に行くと今あるのこの歴史上なんだと心が痛みます。
パゴラも門司にあります。
優秀な若者が日本の為に命を落としました
それを考えると今チャラチャラしてる若者が許せん。
平和が涙と血の上に成り立ってる事を教えなきゃ~
蓋をしてはいけんのよ。
父は葬儀無用と言い残しました。
死んだ仲間を置き去りにしてきた。
鳥が獣がむしばむ無残な姿を見てきた、だから検体を。と

寅さんもほとんど見ていません
前にも書きましたっけ?
山田洋二さんのお父さんの面倒をよく見て差し上げたんですが・・・一言のお礼も聞いていません(笑)
シマジロウ君じゃなかったのね… (リーのママ)
2014-08-10 15:47:39
私が若者の頃は無気力無関心無なんとか、と6無主義と言われたものです。
だから若者たちのように熱を帯びた生き方とは無縁だったような気がします。
ぼんやりと過ごした日々が勿体ないと思うのは、自分が歳をとったからでしょうね。

働かざる者・・・ (デブと某医)
2014-08-10 16:03:48
ちゃんねるさん
旅から帰られお疲れのところ、コメントありがとうございます
午後3時を過ぎて関西も漸く風雨が鎮まりました
ちゃんねるさん地方は如何でしょうか?
実はお嫁さんと孫娘が水戸に帰省中で、気を揉んでいます。

> 最後の写真には悲しみを通り越して強い憤りを感じます。
> 直立不動の姿勢が胸を打ちます。

『少年は、妹が焼かれる間、それをじっと歯を食いしばってみつめていました。
 気がつくと余りに強く噛んだ唇の端に血がにじんでいました。
 背筋が凍りつくような光景でした。』
 ※ 以上、この写真を撮った従軍カメラマン、J.オダネル氏の述懐です。

> 若者たち、映画館で子供のころに見た覚えがあります。佐藤オリエさんが印象的。
> 壁に貼ってあった・・・「働かざる者喰うべからず」。
佐藤オリエさんはこの役名「オリエ」から命名・・・映画処女作でした
「オリエ」は、あの時代の「懸命に生きる若い女性」像そのものでしたね。
ところで「働かざる者、食うべからず」は言わば社会主義用語ですが、
一緒に映画をみた先輩から「社会主義と共産主義のちがいがわかるか?」と・・・。
『生産力が低い社会主義では働きに応じて配分される。
 生産力が高くなった共産主義では必要に応じて配分される。
 だから共産主義では人を押しのける競争はなくなる』と。
そういうエピソードもこの時代特有かも・・・(笑)

> わが夫、八月6日産まれですので
>「国民全員が喪に服している日だから誕生日は無しよ」などと言われています
でも皆さんに誕生日を忘れられないですし、夏休み中!というのがいいですね
私はいつも12月の期末テストの最中に誕生日、厭でしたねぇ
幸せな晩年 (デブと某医)
2014-08-10 17:12:57
michiさん
コメントありがとうございます
michiさん地方も台風一過・・・晴れてきた由、
こちら関西も漸く風雨がおさまり、いま陽がさし始めました。

> 経験はしておりませんが、父親が何時も「戦争はいけん。したらいけん」と・・・。
> 鉄砲の弾が頬から耳までかすめ深い傷がありました。

お父上、前線にも出られ、さぞご苦労されたことでしょう。
私の父は呉・熊本の高射砲部隊でB29に立ち向かいました。
日本の高射砲の能力は米軍に把握されていましたから、
それより高いところを飛ぶB29には「絶対に!命中しなかった」そうですが・・・。

> 私は「若者たち」を見たことがありません。
> 「へんくうもの」だったんだと思います。

「若者たち」を見ていない人が「へんくうもの」なら
日本は「へんくうものの国」になってしまいます(笑)
文化は須らく「出遭い」・・・人と人もそうですけど、予定調和とはなりません。

> 音楽は好きでしたから今も時々聞いていますが
> 昔の若者はなんであんなに暗いのでしょう?
暗い!と言えば暗いですね、暗いことは必ずしも罪悪でも不幸でもありませんが・・・。
かつて鉄道事故で亡くなった私の最初の(直属の)上司は、
カラオケに行くと必ず「君の行く道は果てしなく遠い~」と・・・。
歌い終わるといつも羞かしそうに「オレのオレに対する応援歌やねん」。
葬式の日、彼が歌っていた姿を思い、涙がとまりませんでした。

> 広島、長崎は近いのでよく行きました。
> 資料館に行くと今あるのこの歴史上なんだと心が痛みます

広島にも長崎にも各々一回行ったきりです。
私は、凄惨な資料をなかなか直視できませんでした。
長崎では修学旅行の一団と一緒になり、
資料をろくに見ない生徒に教員が「よう見とき!おまえ達の明日かもしれんぞ」と・・・。
自分が叱られているような気持で見学していました。

> 今チャラチャラしてる若者が許せん。
> 平和が涙と血の上に成り立ってる事を教えなきゃ~ 蓋をしてはいけんのよ。

いつの時代も 何度も何度も高い授業料を払っては同じ轍を踏むのが・・・歴史かなぁ。
「負の遺産」は受け容れ難い!と言う人々がいますから・・・。

> 父は葬儀無用と言い残しました。
> 死んだ仲間を置き去りにしてきた。
> 鳥が獣がむしばむ無残な姿を見てきた、だから検体を。と

外地に遣られた人は、一様にそうした負い目を背負っていましたね。
よくぞ帰って来られた、よくぞ生きて帰ってこられた・・・。
栄養失調で「幽霊のように」帰還した叔父は、
死線を彷徨う記憶が生涯つきまとっていたようです。
お父上は、献体を・・・。なかなか容易ならざるご判断です。

> 寅さんもほとんど見ていません
> 山田洋二さんのお父さんの面倒をよく見て差し上げたんですが、一言のお礼も聞いていません
そうでしたか・・・。山田監督がこのブログを読んでればいいのですが・・・
寅さんの晩年について山田監督は
「寺男になってお詣りする人々に愛嬌をふりまく」シーンを考えていた由。
みんなに迷惑をかけて生きているけど、みんなを幸せな気持ちにさせる寅さん。
山田監督の欠礼・・・彼の生み出したたくさんの幸せな作品に免じお赦しください
それぞれの時代・・・ (デブと某医)
2014-08-10 17:40:05
リーのママさん
こんにちは!コメントありがとうございます

> シマジロウ君じゃなかったのね・・・
はい、シマと共同執筆のブログでして、「吾輩も・・・」はシマジロウ
この「閑話休題」のほか、「腎がんのメモリー」「海外旅行記」が私の担当です。

> 私が若者の頃は無気力無関心無なんとか、と6無主義と言われたものです。
> だから若者たちのように熱を帯びた生き方とは無縁だったような気がします。
「無」の中でもとりわけ衝撃的であったのは「無感動」でした
人間の人間らしさの根源ですから・・・。
そんな大事なことを「無感動」などと流行語にする世相こそ猛省すべきでした。
若者がパッションを持たない(持てない)時代ほど不幸なことはありません。
リーのママさんは、パッションを大切になさったのですね

> ぼんやりと過ごした日々が勿体ないと思うのは、自分が歳をとったからでしょうね。
ぼんやりと過ごせた幸い・・・もありますから、良いように解しましょう
先夜、中村雅俊が学生時代の仲間と一緒に歌う小さなドキュメントが放映されました。
彼の「俺たちの旅」、改めて小椋圭の歌詞をみて、
あの時代って、みんな難しいことを考えてたんだなぁ・・・と(笑)

♪夢の夕陽は コバルト色の空と海 交わってただ遠い果て
輝いたという記憶だけで ほんの小さな一番星に 追われて消えるものなのです
https://www.youtube.com/watch?v=Uy3WPxAAX0I
Unknown (SORA)
2014-08-10 20:52:46
デ某さん、こんばんは。

台風の方、被害なく過ぎましたか?私の方は大したことなく強風吹き荒れ過ぎ去り一安心です。

寅さん、うちの主人がよく見てましたね(TVで)
私は、じっくり見たことがないのですが、寅さんのイメージは、義理人情に厚く自由奔放で恋愛体質男の人なら、あの自由きままな生活に憧れるのかな?(笑)

最後の写真に胸が引き裂かれそうになりました。
母から戦争の話はよく聞きました。
小学校の修学旅行で広島を訪れ、原爆ドームや原爆資料館を見た時の衝撃は未だに忘れられません。
二度と悲劇を繰り返すことのないよう祈るばかりです。

「好きな人」にコメントし損なったのでここで一言。
 才女で美人がお好みなんですねぇ~
観てないです。 (花世)
2014-08-10 21:03:32
「若者たち」は全く知りませんが
寅さんは一時、いつも利用するツアーバスの帰り路の時間つぶしの定番でした。
いつ観ても、内容はほとんどわかっていてもけっこう楽しく観てたですね。
3.4年前に「釣りバカ日誌」になってアレは観る気が起こりませんでしたが。
どんな映画が好きなのかは人それぞれでしょうから、私は寅さんに近親感を覚えます。
苦労は多くても自由な生活に魅了されるからでしようかね。

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