子どもが騒ぐのは当たり前だし、公共の場で静かにするのも当たり前。
人がたくさんいる公共の場にいるのなら親が子どもを静かにすることを教え、騒いで迷惑かけてしまったことを周囲に詫びるのも当たり前。
これがめっきり減ってしまってるみたいでね。
育児経験者としては
親は何故やるべきことをやらないのか?できることをやらないのか?
と疑問なんだよね。
不快に思う対象は騒ぐ小さい子どもではなく、それを放棄している親。
例えば電車の中だと途中で降りたりしないし。
そこから批判しているのに
世間は冷たい、寛容じゃないとネットなどで書き込んでいる。
そんな気持ちが態度に出しているから周りの人に「うるさい」と言われたり睨まれたり冷ややかな目で見るんだよ。
多くは
“自分の子の不始末は親であるあなたが対処しなさい”
と言ってるんだよ。
何故それに気づかないんだろうか。
“社会が子育てをする”という意味を履き違えて
自身が産んだ子を他人に押し付けすぎ。あてにしすぎ。
今の小さい子の親が自分の子を騒がせて世間は冷たい!寛容じゃない!と言った態度を出してネットで声をあげていたら、萎えると言うか。
公共の空間で騒がせている親が我慢しないで周囲の人がうるさいのを我慢している光景はやはりおかしいと思うし、無くすべきだと思う。
それから世間は親切な人が多いよ。
昨年の年始に大きなバッグ持って娘と息子と一緒に都内でうろうろしていた時、エレベーターがないのを承知の上で階段使っていたら
情けないことに体力不足のためかぜぇぜぇ息切らしてしまい、子どもたちに先行くよう指示したら
「荷物持ちましょうか?」と通りすがりのサラリーマンに声かけられて。
丁重にお断りとお礼をしたけど。
...子どもはすでに中学生と高校生、大きくなった今もまだ親切にしてもらえるのか!
内心びっくりだったよ。
と同時に親切な人って必ずいるものだと実感した。
そんな人たちの優しい気持ちを失わせているのが世間は冷たい!寛容じゃない!とネットで騒いでいる親たちなんだよ。
ただでさえうるさいのを我慢してもらっているんだからそれ以上のことを期待するのはおかしいでしょ。
してもらうことばかり期待して自分の子どもを騒がせて放置して思う通りの反応にならないからってネットでいちゃもんつけて。
耳障りなのをただ黙って我慢していたのにネットで突っかかれたら小さい子連れが嫌いになるでしょうよ。
それが分からないなら小さい子連れの親はずっと冷たい目で見られるだろうね。
育児経験してきた自分も軽蔑するよ。
もう一度言う。
子どもを産んだ親は何故やるべきことをやらないのか?
できることをやらないのか?
そして世間は冷たくも不寛容ではないから。