39Arigatou

バイクのこと、日常のこと、そして病気のこと。

和訳・コピペでごめんなさい2/2

2009-01-21 03:39:39 | Weblog
我々の共通の防衛については、安全と理想とを(天秤にかける)選択が偽りであると拒絶する。我々の想像を超える危機に直面した建国の父たちは、法の支配と国民の権利を保証する憲章を起案した。憲章は、何世代を経て拡充された。これらの理想は、今日でも世界を照らしており、我々が遠征のために、これらの理想を手放すことはない。壮大な首都から私の父が生まれた小さな村まで、今日(就任式を)見ているすべての他国の人々と政府よ、米国は平和と尊厳の未来を求めるすべての国家、男、女、子供の友人であり、我々が再び、導いていく用意があることを知ってほしい。

 前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、強固な同盟とねばり強い説得を持って対峙したことを思い出して欲しい。彼らは、我々の力だけが我々を守るのではなく、また好きに振る舞う資格を与えるのではないと理解していた。彼らは代わりに、我々の力は賢く使うことで伸びていくと理解していた。我々の安全は、我々の大義の正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ。

 我々は、この遺産の番人だ。こうした原則にもう一度導かれることで、我々は、一層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向かうことができる。我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつての敵とともに、核の脅威をへらし、地球温暖化を食い止めるためにたゆまず努力するだろう。

 我々は、我々の生き方について謝らないし、それを守ることに躊躇しない。テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の推進を図る人々、我々は、あなたがたに言う。我々の精神は今、より強固であり、壊すことはできないと。あなたがたは、我々より長く生きることはできない。我々は、あなたがたを打ち破るだろう。

 我々のつぎはぎ細工の遺産は強みであって、弱みではない。我々は、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教、ヒンズー教や神を信じない人による国家だ。我々は、あらゆる言語や文化で形作られ、地球上のあらゆる場所から集まっている。我々は、南北戦争や人種差別の苦い経験があり、その暗い時代から出てきて、より強く、より団結するようになった。我々は信じている。古くからある憎しみは、いつかなくなり、民族を隔てる線も消えると。世界が小さくなる中で、我々共通の人間愛が表れることになると。米国が、平和な新しい時代に導くという役割を果たすと。

 イスラム世界に対しては、我々は、お互いに理解し、尊敬しあうことを根底に、新しい道を模索する。紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者、国民は、何を作れるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないと知るべきだ。腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者に告げる。あなたは歴史の誤った側にいる。こぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。

 貧しい国の人々に誓う。農場が実り、きれいな水が流れるよう、ともに取り組むことを。飢えた体を慈しみ、飢えた心を満たす、と。我々と同じように比較的満たされた国には、国境の向こう側の苦悩には、もはや無関心ではなく、世界の資源を効果を考えることなく使うこともない、と言えよう。世界は変わったのだから。そして、我々は、世界とともに変わらねばならないのだから。世界は変わった。我々も世界と共に変化しなければならない。

 我々の前に広がる道を思う時、今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに慎み深い感謝とともに思いをはせる。彼らは、アーリントン(国立墓地)に横たわる亡くなった英雄たちが、時代を超えてささやくように、今日の我々に語りかけてくる。我々は彼らを誇りに思う。それは、彼らが我々の自由を守ってくれたからだけではなく、奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かに進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ。これこそが現在の世代を決する時に、我々すべてが持たねばならない精神だ。

 政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心、暗黒の時に、友人が職を失うのを見るよりは、自らの労働時間を削る無私の心である。それは、煙に覆われた通路に突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思でもある。それこそが、我々の運命を最終的に決めるのだ。

 我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいかもしれない。しかし、我々の成功がかかる価値観、つまり、一生懸命働くこと、誠実さ、勇気、公正さ、寛容さ、好奇心、忠実さ、愛国心といったものは昔から変わらない。昔からの真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるための静かな力となってきたものだ。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

 我々に求められているのは、新しい責任の時代だ。米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえる。困難な任務に我々のすべてを与えることほど、我々の心を満たし、我々の特性を示すことはないのだ。

 これが市民の代償であり約束なのだ。これが我々の自信の源――神が、我々に不確かな運命を形作るよう命じている知識なのだ。

 これが我々の自由と信条の意味なのだ。なぜ、あらゆる民族、信条の男女と子どもたちが、この偉大なモールの至る所で祝いを共にできるのか。そして、なぜ60年足らず前に地方の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなたの前に立つことができるのか。

 この日を我々の記憶にとどめよう。我々が何者か、どれほど長い旅をしてきたかを。米国誕生の時、何か月も続く酷寒の中で、愛国者の少数の一団は、いてつく川岸で、消えそうなたき火の傍らに寄り合った。首都は見捨てられた。敵は進出していた。雪は血で染まった。我々の革命の結末が最も不確実な時、我が国の創始者は、この言葉を人々に読むよう命じた。

 「酷寒の中、希望と良識のみが生き残る時、共通の脅威にさらされた都市や国が現れた、と未来の世界で語られるようにしよう」

 アメリカよ。我々にとって共通の脅威に直面した、我々の苦難というこの冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。希望と良識を抱き、このいてつく流れに立ち向かい、いかなる嵐が訪れようとも耐えよう。

 そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。試練の時、我々が旅を終わらせることを拒み、後戻りすることも、くじけることもなかった、と。地平線と、我々が、神から注がれる愛をしっかりと見つめ、自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と。


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