39Arigatou

バイクのこと、日常のこと、そして病気のこと。

和訳・コピペですみません。1/2

2009-01-21 03:38:48 | Weblog
市民の皆さん。私は今日、我々の前にある仕事に対して謙虚な気持ちを持ち、皆さんから与えられた信頼に感謝し、我々の祖先が支払った犠牲を心に留めながら、ここに立っている。ブッシュ大統領の我が国への奉仕、並びに彼がこの政権移行の間見せた寛容さと協力に感謝する。

 今これで44人の米国人が大統領就任宣誓を行った。宣誓は、繁栄の高まりのときや、平和で静かなときに行われたこともあった。しかし、しばしば、暗雲が立ちこめるときや荒れ狂う嵐のときにも行われた。こうした時、米国は、指導者たちの技巧や考え方だけに頼ることなく、事態を乗り越えてきた。なぜなら我々人民は祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であったからだ。

 それは今もそうあり続けている。この世代の米国人も同様だ。

 我々が危機の最中にあることは、今やよく理解されている。我々の国家は、大きく広がる暴力と憎悪のネットワークを相手に戦争を行っている。我々の経済は、きわめて弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であり、厳しい決断で間違いをおかし、国家を新しい時代に適合させようとする我々の全体的な失敗である。家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。我々の健康保険は金がかかり過ぎ、荒廃している我々の学校はあまりにも多い。我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているということについて、日ごとに証拠が増え続けている。

 これらは、データと統計に基づく危機の兆候だ。予測は困難で、我々の土地に広がる自信を徐々に弱らせるのはいうまでもない。米国の凋落(ちょうらく)は避けがたく、次の世代が下を向かなければならないとの恐怖がつきまとう。

 今日、私はあなた方に告げる。我々が直面している挑戦は本物だ。それらは深刻で数多い。それらは容易に、また、短い時間で対処できるものではない。しかし、米国よ、わかってほしい。これらの挑戦は対処できるだろう。

 本日、我々は、恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく、団結の目標を選んだためここに集った。

 本日、我々は、我々の政治をあまりにも長い間阻害してきた、小さな不満や偽りの約束、非難や言い古された俗説を終わらせることを宣言する。

 我々の国はまだ若いが、聖書の言葉には、子どもじみたことに別れるときが来たとある。我々の引き継がれてきた精神を再確認し、より良い歴史を選び、貴重な才能を駆使するときが来た。高貴な考え方は世代から世代へと引き継がれてきた。その考え方とは、すべての人は平等で、自由であらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、神から与えられた約束だ。

 我々の国の偉大さを再確認するとき、我々は、偉大さが決して与えられるものではないことを分かっている。それは勝ち取られなければならないのだ。我々の旅には、近道や楽な道はない。我々の旅に、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、臆病者のための道はない。逆に、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。それらの人々は著名な人たちばかりではなく、むしろ、無名の働く男女、長い、でこぼこした道を繁栄と自由のためにたどってきた人々のためのものだ。

 我々のために、彼らはわずかな持ち物を詰め、新たな生活を求めた大洋を旅した。

 我々のために、劣悪な条件でせっせと働き、西方に植民し、西に定住し、むちに打たれながら、堅い土地を耕した。

 我々のために、彼らはコンコルドやゲティスバーグ、ノルマンディーやケー・サーンのような場所で戦い、死んだ。

 しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり、働いた。彼らは米国を、個人の野望の合計より大きく、相異なる生まれや富や党派をすべて足しあわせたよりも偉大であると考えていた。

 これが今日、我々が続けている旅なのだ。米国は依然として地球上で最も繁栄し、力強い国だ。我々の労働者は今回危機が始まった時よりも、ずっと生産的だ。我々は相変わらず創意に富んでいるし、我々が生み出す財やサービスは先週や昨年と同様に必要とされている。我々の能力は衰えていない。しかし、同じ手を用いるだけで、狭い利益にこだわり、不愉快な決定を先送りする、そんな時代は確実に終わった。今日から我々は立ち上がり、ほこりを落として、米国再生という仕事に再び取りかかろう。

 我々がなすべき仕事は至る所にある。米国経済は、大胆かつ迅速な行動を求めている。そして我々は新規の雇用創出のみならず、新たな成長の礎を整えることができる。道路や橋を造り、ビルを建て経済を潤す。科学を正しく用い、健康維持の質を引き上げるとともに、そのコストの削減に結びつける。太陽光と風力を利用して車を動かし、工場を稼働させる。我々は学校を若者の要求に見合うよう変えていく。我々はすべてのことを成し遂げられるし、行っていく。

 我々の志の大きさについて疑念を抱く人がいる。我々のシステムは多くの大きな計画に耐えられないと指摘する人もいる。だが、彼らの記憶は浅すぎる。この国がすでに成し遂げたことを忘れている。想像力が公共の目的、勇気と結びついた時、自由な男や女らが何を成し遂げられるかについて忘れているのだ。

 皮肉屋が理解できていないことは、彼らの足元で地面が動いたことだ。長い間、我々を疲れさせてきた陳腐な政治議論はもはや通用しない。我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ。家族が十分な給与の仕事を見つけたり、負担できる(医療)手当や、立派な退職資金を手に入れることの助けに、政府がなるかどうかだ。答えがイエスの場合は前進するつもりだ。ノーならば、その政策は終わりだ。公的資金を管理する者は、賢く支出し、悪弊を改め、日の光の下で仕事をするよう責任を持つ。それによって初めて、国民と政府の間に不可欠な信頼を回復できる。

 問うべきなのは、市場が良いか悪いかでもない。富を作り自由を広げる市場の力には並ぶものがない。だが、この(経済)危機は、監視なくば市場が統制を失うこと、富める者ばかり優遇する国家では国家の繁栄が長続きしないことを思い出させた。我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の規模だけでなく、我々の繁栄が広がる範囲によるものだった。意欲ある心に機会を広める―慈善からではなく、共通の幸福のため、確実な手段として―我々の能力によるものだった。


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