ズッコな日々

高校時代のあだなはズッコ。

【ズッコケ】のズッコ。

専業主婦になったズッコな日々。

備忘録。

2013年03月11日 | 想い

こんにちは。   昨日の暴風は アチコチに爪痕を残して 去って行きました。


携帯に登録してる 市役所で発行している 安心安全メール。 火災や市内で起こっている緊急事態をメールで知らせてくれます。


そのメールが 昨日だけで10件以上。 全て 自然災害 の消防出動メールでした。  暴風で建物に被害が多かったみたいです。






そんな今朝の風景。  昨夜から降った雪が ウッスラ積もって、空は青空、 でも すごく寒い。


2年前の あの日を思い出します。




今日は3月11日。    あの日の備忘録。    書き出しておこう・・・・   そう思いました。   長いよ。  





震災の起こる2日前  3月9日。  この日 震度5強の地震がありました。   震度3以上の余震の数が ハンパない。  


余震で いつも揺れるので、小さい地震には誰も反応しなくなるくらい・・・。  2階の本棚の物が色々 落ちてました。








余震の続く 3月11日。 お昼御飯を済ませて・・・   夕飯はおいなりさんにしよう・・・   チョット早いけど 準備を始めた 2時過ぎ・・・。


キッチンに居たワタシ。


いきなり 最初から強い地震。  家中の物が音を立てて揺れる・・・・。   また?  思いながら  食器棚の扉を押さえる・・・。


一度弱くなりかけた揺れ、 あぁ・・止まるかな?  思った瞬間!! 更に強い揺れと 家中の物がぶつかって鳴る音・・・ 音・・・音。


「  お願いー!!  もう 止まってー!! 」   宮城県沖地震など 大きな地震を経験してますが、 今回の揺れは 初めて命の危機を感じました。





食器棚の扉を 押さえてるのか 掴まってるのか・・・。   足元には リュウ・・・・。  長くて 強い 揺れ・・・。



揺れてる最中に 停電。   その日は水も出ず。   金魚の水槽は 揺れで床に水が溢れ、 水量が半分になってました。






震度5、 とか 震度6の地震が 余震。  部屋は足の踏み場も無く、 外の石油タンクは倒れてました。


どこから・・・   何から・・・  目茶苦茶な家の中で  ボーゼンとしてる ワタシ。 


そんな中  いつも通り 3時に リュウの散歩に出掛けた姑の姿が忘れられません。








なかなか繋がらない携帯。  会社帰りの旦那さんが ワタシの実家に寄ってくれて 無事を確認してから 我が家に帰宅。


その時 旦那さんから手渡されたのは  マリンパル女川 の包装紙に包まれた マグロの刺身。


これ・・・・  なに?      「 あぁ。 実家のじぃとばぁ、 午前中 女川に居たんだって。 お土産だってさ。」


あと 1時間 そこに居たら・・・    膝がガクガクいったのを 覚えています。



その日は 余震がすごくて しばらくの間、下の和室に ワタシ達夫婦、お姉たん、 息子、 4人で布団敷いて寝ました。










12日。  我が家の近くが 給水車の 給水ポイントになってるらしく 水道が出始めました。  ガスもプロパンなので すぐ復旧。


土鍋でご飯を炊きました。  昔 よく行ってたキャンプ用品が活躍。  特に ランタン類。 蛍光灯代わり。 テーブルにランタン置いて ご飯も食べました。


この日の夜、 沸かしたお湯で 旦那さんが 髪を洗ってくれました。  お風呂場も真っ暗だからね、 一人じゃ何にも出来なかったんですよ。









13日。  水も出ない ワタシの実家まで 2往復して水を運びました。 卓上のガスボンベと、 茹でたうどん、 温かいうどんのつゆも別鍋に作って届けました。


隣町の 義姉の所にも 水を届けました。  その時のポリタンクは そのまま貸しててくれと言われ、置いて来ました。








14日。  近所の友達の娘ちゃんが誕生日なのに ケーキも買えず お祝い出来ない と 聞いたので、 


ホットケーキを焼いて、奇跡的に買ってあった 生クリームでデコ。  届けたら とっても喜んでくれました。


その子も今年、成人式でしたよ。   この日の夜から 携帯が通じました。







16日。  ガソリン不足事情から お姉たんの会社の人が 我が家に泊まり込む事に。 


仕事場は水が使えず、 毎日 山程の野菜を持ち帰り 洗う。  毎日 もの凄い量の水も 二人で 我が家から運んで行きました。








17日。  23日まで 自宅待機してて良いって言われてた 旦那さん。 急遽 本社が有る静岡まで出動。  この日から救援物資運び。


ここも 被災地なんですけどねぇ・・・。


でも、 関東方面に行く旦那さんのお陰で、 ガソリンを買って来てもらえる。 高速道路を走れるのは指定された車だけでしたから。


この日遅く 電気が点きました。  今 ○○地区が電気きたって。  今は○○地区まできたって。  リレーのように点いて行く電気。


我が家に点いた時、 涙が出ました。








18日。  義姉の家族が 沢山の洗濯物を持って来ました。 洗濯機2台をフルに回して・・・  その間にお風呂に入って・・・。


結局 洗濯3回で済んだんだっけ?






19日。  ワタシの実家の ジジ&ババ、兄ちゃんが  やっぱり洗濯物を持って来ました。



夜明け前、電話。  こんな時間に? 不審に思いながら出たら 中学から高校までの間、 文通していた岐阜の男性。 


やっと繋がったと 無事を確認して喜んでくれました。   ビックリしましたよ。








20日。   従兄弟のお兄ちゃんが どこにも売ってない と 自転車を探して来ました。 奥さんの車が津波で流されたそう。


当時 牡鹿半島で校長先生だった従兄弟は 津波の一部始終を学校から見てたそうです。   無事で良かった。


ワタシの自転車と米と水と、野菜を積んで帰って行きました。









21日。   泊まってた お姉たんの会社の人が ガソリン買えたと言う事で 帰宅して行きました。   久々に 家族だけになりました。







22日。   いつも行ってた 隣町のスーパーが店を開く と 聞き、 息子と二人、並んで買い物。


一人何点まで と 言う規制が多かったのですが、 取りあえず 色々買って・・・・   友達の家にも届けました。







23日。   久々に旦那さんが帰宅。  仙台から 次女カップルも泊まりに来ました。








そこから 少しずつ 少しずつ お店が開き、 食品や生活雑貨が やっと買えるようになって行きました。



海辺の方々から見たら 内陸地方のワタシ達の生活なんて ずーっと 恵まれていました。


そうは 分かってても、 頭では思っても なかなかのストレスでしたねぇ・・・・。






そして この後 ストレスで 十二指腸から出血。  


下血中に 姑の事故死。  亡くなった次の日の地震・停電・・・・。      火葬場は 津波犠牲者でいっぱい・・・・。予約が取れない。


停電の為に 葬儀や法要が 出来るか 出来ないか・・・・。


なにもかも 通常とは違う現実に 翻弄されて ボロボロでした。







死後5日目に やっと火葬。  隣の炉に 飾られてたのは 小さな写真。  津波の犠牲になった 生後5ヶ月位の男の子でした。


見ず知らずの男の子ですが、 あまりの非情さに 声をあげて泣いてしまいました。


きっと、 あの子の顔は  一生忘れないと思います。










2年経った今、  思い出そうとしても 思い出せない事がたくさん有るようです。


姑が亡くなってからの数日が 曖昧で・・・。


葬儀後 旦那さんと病院に行って・・・   大きな病院に回されて・・・・   車椅子に乗ってたのは 覚えてます・・・・。


重症の ド貧血でした。  入院を断り、 家で子供達や 旦那さんの看護で 少しずつ元気になりました。


貧血改善には3ヶ月かかりましたケド・・・・。








今月末には 姑も3回忌。   


地震の事も 自分の・・・   我が家の備忘録として 書き出してみました。


思い出したくない    でも  忘れてはいけない。  





こんな内陸に住んでいて こんな思いをしたからこそ、 海沿いの方々の悼みも分かります。


あの子の事と一緒に ずっと 忘れずに、 過ごしていこうと思っています。




未だに みつからない 2668人の方が 一日も早く 待っているご家族の元に帰れますように・・・・。







祈っています。






今日だけ こんなんで  ごめんなさい。


ちゃ-んと ゆ・ばーば、 頑張ってますからね。



またね。