瀬戸の住職

瀬戸内のちいさな島。そこに暮らす住職の日常。

お彼岸

2013-03-20 | Weblog
お彼岸です。

日常の唯物的な暮らしをいったんニュートラルにし、目には見えない繋がりに想像力を働かせたいと思います。

般若心経には「色即是空 空即是色」とあり、我々が認識できる“色”も、認識できない“空”も隔たりなどないと説きます。
見えるとか見えないで、勝手に区別しているだけなのですね。

仏教では、形ある物は“地”“水”“火”“風”4つの要素(四大)で形成されていると考えます。
我々の肉体を例にとると、地は骨格、水は水分、火は体温、風は呼吸で、これらが假に和合した状態を“四大假和合”と言い、病を得て具合が悪い状態を“四大不調”、死んで火葬や埋葬され土に還れば“四大分離”です。

物理学では、物質は92の元素でできているとされているそうです。
我々の肉体は92の元素が集まって形成されていて、死んで火葬や埋葬され土に還ることは、預かっていた92の元素を宇宙に返すことと言えます。

仏教の四大と物理の元素と数は違えど、考え方としては同じですね。
認識外からさまざまな要素が“縁”のはたらきによって和合して物が生まれ、縁がほどけて物が滅びればまた認識外のところへ還る。

どうやら“ゼロ”や“無”になるのではないようです。

お彼岸はご先祖参りの好時節。
我々の先輩がたは姿なきご先祖さまを拝んで、連綿と繋がってきたいのちの不思議に、「おかげさま」と感謝して暮らしてきました。

厳寒の冬を越えてきた今年の桜は、例年よりも開花が早い様子。
花を楽しみつつ、花が開くという不思議にも思いを巡らせたいと思います。

渡水看花

2013-03-07 | Weblog
啓蟄を過ぎると、春があわてて動き出しました。


渡水復渡水 (水を渡りまた水を渡る)

看花還看花 (花を看てまた花を看る)

春風江上路 (春風、江上のみち)

不覚到君家 (おぼえず、君の家に到る)


中国明代(1368-1644)の詩人高啓が、友人を尋ねる「尋胡隠君(胡隠君を尋ぬ)」という詩です。

「川を渡り、花をながめ、春風の吹く江辺の小路を歩いていると、いつのまにか友の家までたどり着いていた。」

という、たったそれだけのシンプルな詩。

目的地である友人の家が作者の眼中に収まった、その時点でこの詩は終わる。

そこからは、友と酒でも酌み交わし語らい合っただろうか。

いずれにしても、楽しい時間が流れたことは、往路の春の描写が示している。


“おぼえず”

という箇所がまた良いですね。

作為がない。

尋ねる人も迎える人も自然体で、構える必要のない間柄なのだとわかる。


こちらも春風に誘われて出掛けたくなるような気分になります。

いざ旅となると、昨今は事前にインターネットで下調べが出来て便利です。

行程のスケジュールを立てて、移動と宿の手配ならまだしも、食事やオヤツの店まで決定してこれに臨む。

計画的で合理的ですが、やや興が醒める思いです。


冬の寒さが厳しかっただけに、行程の春の景色も楽しみつつのんびりと。そんな旅に憧れます。