瀬戸の住職

瀬戸内のちいさな島。そこに暮らす住職の日常。

花まつりお寺寄席ありがとうございました

2011-03-31 | Weblog
3/27(日)曹洞宗四国管区教化センター・禅興寺共催の『禅をきく会・花まつりお寺寄席』、大勢のご参加有難うございました。
25日の乗禅寺さん、26日の掌禅寺さん、そして最終日27日の禅興寺と、3日間の寄席。

お彼岸も過ぎたというのに、夜は真冬並みの寒さ。
本堂は特に寒く、凍えました。
前日の掌禅寺さんの名物【金龍桜】が昨年同時期には満開だったのに、今年は二分咲き程度だったというから、昨年に比べても随分寒い。

まずは、昨年に続き3日間のイベントの発起人であり、曹洞宗四国管区教化センター布教師の掌禅寺さんが檀上にて法話。
姿勢と呼吸と心を整えて一同数分間の坐禅。

座を改め、寄席スタート。
トップは寿亭又三郎さん。
南海放送ラジオでは”宙也”さんというお名前でご活躍中とか。

らくさぶろうさんが一旦登場して後、旭堂南青さんの講談。
上方でご活躍中。奥様が愛媛の方だそうです。

そしてらくさぶろうさんの落語で締め。

どなたもさすがの話芸で、存分に笑わせて頂きました。
また是非お願いします。
打ち上げも楽しかったです。
お3人とも普段着が最高にお洒落!(写真を撮らせてもらえば良かった)

大三島の”リモーネ”さん
http://www.limone2.com/index.html
ドリンクとなつかしいポン菓子持参での出店有難うございました。
ポン菓子は西条市丹原町の”ひなのや”さんで製造しているそうです。
http://www.hinanoya.net/

会場に設置した東日本大震災の義援金は¥27833集まりました。
前日の掌禅寺さま分と合わせて、日赤に送金しました。
ご協力有難うございました。

初の靖国神社参拝

2011-03-18 | Weblog
去る3月11日、初めて靖国神社へ。

修行でお世話になった愛媛新居浜の瑞應寺僧堂
http://www.rinkun-wa.com/~kjol/chiiki/0611.htm
敬愛してやまない老師と、一緒に修行した仲間10名余りが参加。

当日午前9時頃、九段下の大鳥居に到着。
広く長い石畳を徒歩にて上殿。

受付の後、この日は月次祭(つきなみさい)という月例行事があり、幸運にも本殿にて参列することが出来た。
本殿に入ったのは我々のみで、他の参拝者は拝殿という本殿から10メートル程下った建物から本殿を拝んでいた。
特別なご配慮を頂いた模様。

定刻になり、神官の方々15名程が続々と本殿に上殿してくる。
恭しく供物を神前へ供え、雅楽の演奏に合わせて巫女さん2人が息のあった舞いを踊る。
所作進退が大変美しい。
言葉を交わさず、鳴らし物を合図に進んでいく法要の荘厳さは、仏式も神式も同じだと思った。

靖国神社を後にして、徒歩にて千鳥ヶ淵墓苑へ。
http://www.env.go.jp/garden/chidorigafuchi/index.html
ここは、先の大戦で海外における戦没軍人及び一般邦人のご遺骨を納めた「無名戦没者の墓」。
敷地内では保育園の園児らが遊んでいた。
慰霊碑の前にて、老師とともにお経をあげた。

墓苑の管理責任者と思しき方が出ていらして、我々の参拝を歓迎して下さった。

「遺族の高齢化が進む中、宗教関係の方々を頼りにしています。千鳥ヶ淵参りの輪を広げていって下さい」

というお言葉を頂いた。
この管理責任者風のお方はボランティアでお勤めされているとのこと。
国立の施設なのに、スタッフはボランティアというのもヘンな話だが、政教分離とかいうやつだろうか。
正直申し上げると、どこかから天下って管理職に納まっているのだろうと誤解していました。
いや、大変失礼しました。

千鳥ヶ淵墓苑からタクシーで皇居へ移動。
写真屋さんがいたので記念写真を撮ってもらった。

この場所に限ったことではないが、都内の観光地にはとにかく中国の方が多かった。
僧侶の集団が珍しいのか、老師を中心に写真を撮りまくる中国の青年が数名。
撮影するのに全く遠慮が無いのはお国柄だろうか。

皇居から道を渡って、楠正成の像へ。
馬に跨った勇ましい武将の顔は皇居の方を向いて、見守っているかのようだ。
因みにこの像は、新居浜の別子銅山の銅を用いて鋳造されたそう。
奇縁でございます。

昼食後ぶらり歩いて、丸の内辺りでタクシーを拾って、一路羽田空港へ。

午後2時46分ごろ、高速道路上のタクシーの車中であの恐ろしい揺れを体験した。
路面や街灯のポールがグニャグニャ揺れるような不気味な揺れが長く続いた。
羽田空港に着いてからも数回揺れた。

便の欠航や遅延のアナウンスが続々。
我々は16:50発便に搭乗予定だったが、その前の15:40発便もまだ飛んでいない。
15:40発便に変更してもらえ、その便が飛んだのは18:00頃だった。
16:50発便は結局欠航だったらしいので、予定より遅れたとはいえ、この日のうちに松山まで帰れたのは助かった。

その惨劇を目の当たりにしたのは翌日の報道だった。
被災された方々の僅かな希望や願いのひとつひとつが、少しでも叶うように祈るばかりだ。



靖国神社は都内のど真ん中に位置しながらも、世塵を絶した静寂清浄たる場所で、心安らぐ空間だった。
この場所この空間があることで、遺族の方々はどれほど精神的に救われているだろう。
しばしばこの場所も、靖国問題という言葉で喧騒にさらされるが、御霊が眠る為の静けさを保つことをもっと大事にしたいと感じた。

『国立無宗教慰霊施設』を作ろうという意見があって、意外とマジョリティを得ているらしいが、そんな場所へ誰がお参りするだろうか。
そもそも『無宗教』と『慰霊』が同居するネーミングは矛盾している。

終戦から66年になるが、過ぎ去った昔の出来事として扱うのは大間違いで、まだほんの66年。
我々の聴く姿勢が足りないだけであって、往時の悲しい思い出がすっかり癒えた訳ではない。

悲しい出来事に下を向いてばかりではいけないが、悲しい出来事は忘れてはいかんと思います。
戦争も災害も。