2月に入ったので、お釈迦様のお涅槃の軸を掛けました。
「願わくは 花のもとにて春死なむ その如月の 望月のころ」
と生前に詠んでいて、そのうたの通りに如月(=2月)の望月(=15日)、お釈迦様の命日に亡くなったのは平安末期の西行法師です。
お釈迦様への追慕の情に感じ入るも、死ぬるなら某月某日に死んでゆきたいと願ってもなかなか法師のようにはまいりません。
我々の住むこの娑婆世界は、万事が常に移り変わっていく“無常”ですから、誰にも明日の命の保証なんてない。
無常というとネガティブな響きに感じるかもしれませんが、無常だからこそ、いきいきとしたイノチを生きているとも言えます。
我々人間の肉体は60兆ほどの細胞で成り立っていますが、細胞は目にも止まらぬスピードで常に代謝をしながら生きています。
諸行無常の世の中で、如何にすれば“明るく”“正しく”“仲良く”生きていけるか。
如何にすれば与えられた一日を全うできるか。
お釈迦様は2,500年前の昔から、現代の我々にその智慧を説き続けています。
「願わくは 花のもとにて春死なむ その如月の 望月のころ」
と生前に詠んでいて、そのうたの通りに如月(=2月)の望月(=15日)、お釈迦様の命日に亡くなったのは平安末期の西行法師です。
お釈迦様への追慕の情に感じ入るも、死ぬるなら某月某日に死んでゆきたいと願ってもなかなか法師のようにはまいりません。
我々の住むこの娑婆世界は、万事が常に移り変わっていく“無常”ですから、誰にも明日の命の保証なんてない。
無常というとネガティブな響きに感じるかもしれませんが、無常だからこそ、いきいきとしたイノチを生きているとも言えます。
我々人間の肉体は60兆ほどの細胞で成り立っていますが、細胞は目にも止まらぬスピードで常に代謝をしながら生きています。
諸行無常の世の中で、如何にすれば“明るく”“正しく”“仲良く”生きていけるか。
如何にすれば与えられた一日を全うできるか。
お釈迦様は2,500年前の昔から、現代の我々にその智慧を説き続けています。