◎お友達のタンクがとれるかも
・大量出血後、2年間も肝臓でできた胆汁を管を通して外のタンクに
溜めているのですが、外科の主治医の話ではこれ以上治療の方法が
無いとのことで、これじゃ~胆汁が永遠に身体の中に戻らないよォ。
(結局、面倒を見ると言っていた外科の主治医(執刀医)も病院を
辞めて、他の病院へ移ってしまいました。)
・3年目突入の頃、手術後の様子を超音波内視鏡で見てくれていた
内科の先生から胆汁を身体に戻す方法があると提案されたので、早速
お願いしました。
(とにかく外付けタンクは不便なので早く解放されたいです。)
・内科による手術は胃カメラの様に口から装置を入れてERCPと言う
方法で胃と肝臓をプラスチックの管(ステント)で結び胆汁を胃へ
流すのです。
(管を通す前に胃と肝臓に針を刺すと思うのですが、外から見えない
のになぜこの様な事が出来るのか不思議です。)
・この胆汁を身体に戻す方法も良いことばかりじゃなく、管が4か月程で
詰まってしまい、その都度入院にて交換しなくてはならないのです。
・手術は麻酔により寝たまま終わってしまうので、外科で行っていた
ドレーンの管の取り換えに伴う痛みからは解放されて助かりました。
・その後、管が折れたり適正な太さの管を見つけるため、何度か交換
手術を行い現在は管を二重にして胆汁が流れそうな感じ。
◎ドレーンの管が変わり痛みからの解放
・胆汁が順調に流れても体内で管が詰まった場合はドレーンで外に
出さなくてはならないため、ドレーンは重要ですが今までの外科の
先生がメンテしていた細い管ではすぐ詰まるので頼りないですね。
・っと言うことで、内科の先生が新たにドレーンの管を適切な場所に
入れてくれました。外科では複数の先生立ち合いのもとで行いまし
たが、内科では先生が一人で出来ちゃうのです。凄い!
・今度のドレーンの管はお腹の出口を糸で縫わなくても抜けなく、順調に
胆汁が流れます。これまでの糸の縫い付けの痛みは何だったのだろう。
(元々このドレーンの管交換は内科が専門なかも?初めから内科にしてよ)
・ドレーンのお腹の出口には膿が溜まり、管を留める糸が皮膚を引っ張る
ため常に前かがみで生活していたのですが、夜寝るため横になるとき
グググっと引っ張られるので毎晩唸っていました。
(一回伸びるとその後はOKになるのですが・・)
でもでも内科のドレーンになってから、この痛みから解放されてとっても
楽になり幸せ。
◎自由に動き回れる喜び
・すべて準備が整ったのでドレーンの管を止めて、胆汁が2年半ぶりに肝臓
から胃へ流れました。
今まで長い間お世話になっていたお友達のドレーンのボトルともお別れが
出来て自由に動けるようになり最高で~す。
・その後、少しでも管の詰まる期間が長くなればと材質の異なる管に変える
手術をしたのですが、管(チューブ)が直ぐに抜けてしまうので、元に
戻しています。(これは長くても4か月で詰まってしまうみたい)
◎気付いてしまった治療の恐怖
・超音波内視鏡で行う肝臓と胃を結ぶ手術は、麻酔をかけて行うため口に
マウスピースを付けた後は何をしているのか分からなかったのですが、
初めの管を通すときは少し暴れたと看護師さんから言われました。
・その後の管の交換も何も分からず平和でしたが、何回ケ後麻酔の効く前に
薄いマットレスみたいな物で身体を縛られる事を知ってしまったのです。
(まるで時代劇の「す巻き」状態です。)
その後は寝てしまって分からないのですが、これがトラウマになって・・・
・チチは閉所恐怖症で暗い所と身体が自由にならないことが耐えられない
体質なのです。それが「す巻き」とは恐怖で考えられない事です。
(麻酔をしても暴れるので身体を縛っているのでしょう。)
・「す巻き」を知ってしまってからその後の手術はドキドキ状態ですが、
麻酔が効いてから縛って貰うよう事前に看護師さんにお願いをしています。
・病院ではこの「す巻き」同様MRI検査も動けない時間が長いため恐怖です。
せいぜいCT検査までが許容範囲ですね。
◎これからも終わりのない治療
・次から次へと新たな病気とともに入院を繰り返していますが、これからも
管の入れ替えは入院が伴うためブログタイトルの21回も近いうちに越え
そうです。早く投稿を完了しないといけないね・・・
・4年目に突入しても今まで同様病院通いは続き苦悩の連続ですが、でも
時々小さな幸せを感じる事があるため、ヨレヨレでも生きていた方が
いいですね。「人間万事塞翁が馬」って感じ、
・複数回の手術失敗、10リットル輸血の大量出血、繰り返す新たな病気等
精神的に参ってしまうような状況ですが、意外と平静を保っていられるのは
68歳で亡くなってしまった「友人」と深くは理解できない「歎異抄」の
影響が大きいと思います。(友人は空海さんがイイっと言っていましたが、
無宗教ですがチチ的には親鸞さんが合っているみたい・・・)
おおっと忘れていた、一番はハハの介護が無くてはこれまで生き延びられて
いないですね。
・これから先、いつまで続くか分からない入退院(手術)ですが、旅行も
出来ず、好きな物を食べられない生活でも生きていれば良いことは必ず
あるはず、とにかく「死ぬまで生きる」
・最後は駆け足になってしまいましたが、直に22回目の入院が控えているので、
ブログタイトルの「あれから3年 21回もの入退院」を守るため、この辺で良く
分からない病気の途中経過を終了します。
「おわり」 「その1へ」
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しかも主治医は逃げるように?他の病院へ。
まさかこのような体になるとは思ってもみなかったでしょう!
度重なる入院の費用もバカになりませんが、明らかに
医療ミス、何らかの保障されるのでしょうか。
今頃はひょっとすると22回目?
これからも定期的に管の入れ替えの為の入院が繰り返えされる事が気の毒です。
そんな中生きてる喜びをお感じになられ、私まで嬉しくなります。
生きていればこその良い事は沢山有ります。
2組のH田さん、誤嚥性肺炎で8月2日お亡くなりになりました。
88歳、高齢でしたからね。
28期3人目です。
合掌
今まで毎日が戦いで余裕がなかったのですが、やっと落ち着いて考えると年金生活者にとっては経済的に大ピンチですね。
完全なミスだと思いますが、当然保証はなく高額医療制度があっても入院回数が多いので膨大な支出で、その他の医療品も必要になるので馬鹿になりません。
任意の医療保険に加入しているのですが、入院日数が125日を超えると入院給付金が貰えなかったり、手術が連続すると手術給付金が貰えないことを初めて知りました。
また、この病院は診断書の手数料が高く、駐車場代も何百回も利用しているのでバカになりません。
と、一通り病院の愚痴を言いましたが、何処にも出かけられなく、好きな物を食べられなくなりましたが、それでも生きているだけでぼろ儲けですね。
我が家の嫁もそうでした。
同じ原因で何人も亡くなり大きくニュースで取り上げられましたが
医療ミスは余程の場合以外は裁判で勝てないそうです。
泣き寝入りなんておかしいですね。
保険に上限があるとは知りませんでした。
医療費が月に6万円だか8万円を超えると、超えた分が
還付されると聞きましたが、繰り返しではだめなんでしょうか。
この程度の保証で大丈夫と思っていても見直す必要が有りますね。
例えば夫は身障者1級で医療費は無料です。
なので医療保険には加入していません
パリパラリンピックを見ていると皆さん障害を抱えながらの健闘!
正に“生きてるだけで丸儲け”です。
頑張りましょう
同じ経験をされた人も多数いると思いますが、目には見えない生命力が影響されているみたいですね。お孫さんの事を考えると、こんなおやじがと思ってしまいます。
また、高額医療限度額については70歳前は個別に申請が必要でしたが、70歳を超えてからは自動的に一定額以上は取られません。でも入院回数が多いので大変です。
個人的に加入している医療保険は保険会社が損をしないように色々な条件を付けて払わないようにしているみたいです。(何のための保険なのか?)
ひよこさんのブログ記事で、私も以前『玉家』の前を通った時入りたいと思っていたのですが、行けなくなってしまいました。
何処へ出掛けるのもチョット危ないので保護者同伴での行動となりますが、保護者が鰻を食べられないので、保護者が他の物を食べれれるイオンのなんちゃって鰻で我慢しています。
愚痴が多くてすみません、最後に医療ミスでも身障者認定してほしいです。