ヨウ素剤で刑事7人に踏み込まれる

ヨウ化カリウム、ヨウ素剤、安定ヨウ素剤、放射線防護剤、KI、Potassium Iodide

ヨウ素剤 = 危機管理の原点

2012-10-08 19:29:58 | 主  張

ヨウ素剤 = 危機管理の原点

  


ヨウ素剤 = 危機管理の原点

 ヨウ化カリウムは、

“ヨウ素剤”

 “安定ヨウ素剤”      または

 “放射線防護剤”      とも呼ばれます。

  

“放射線防護剤”といっても、すべての放射線に対して防護するのではなく、放射性ヨウ素に対してだけです。すべての放射線(プルトニウム、ウラン、セシウム、コバルト等々)に対して有効なわけではありません。

  

それでもこう呼ばれるのは、核(原子力)災害時に最も急速に広範囲に拡散する放射線である放射性ヨウ素の被害(甲状腺ガン等)を最小限にとどめることができるためです。

  

現に世界保健機構(WHO)は、1999年公表のガイドラインで核災害時におけるヨウ化カリウムの服用を推奨しています。ちなみに”核災害 / nuclear disaster” と呼ぶのが正しく、 ”原子力災害”という表現は海外ではほとんど使われません(これについては別ページを参照)。

 

英語では、Potassium Iodide (ポタッシウム・アイオダイド)、ドイツ語で Kalium Iodide です。

 カリウムは英語ではポタッシウムと言いますが、元素記号はドイツ語の Kalium の K です。

 放射線防護剤としてのヨウ化カリウムは、英語では一般に単に KI(ケー・アイ) と呼ばれます。

  

ヨウ化カリウムは化学的固有名ですが、これを放射性ヨウ素防護剤として扱う場合は、単に“ヨウ素剤”と呼んでいいと思います。ここではおもにこの簡単な“ヨウ素剤”という用語を使います。これは英語での“KI”にほぼ相当します。

  

さて、このヨウ素剤は、海外では主にサプリメント錠剤として、ビタミンCやカルシウムと同じように街のドラッグストアで購入できます。医薬品指定のものもありますが、処方箋なしで買えるのがふつうです。

  

しかし日本では、医薬品扱い、しかも”劇薬指定”にされていて、医師の処方箋がないと手に入れられません。ふつう薬局の商品棚に置いてあることはありません。客の目にふれる商品棚に出すことじたいが違法になりかねないものです。

  

実は上記のWHOのガイドラインは、核発電所(いわゆる原発)を持つ各国政府に対して、国民がヨウ化カリウムを自由に購入できるようにしておくようにも勧告しているのです。

  

ところが日本政府は、この勧告に従うどころか、逆にヨウ素剤を国民の手に渡りにくくしています。なぜでしょうか?

  

日本の”原発”は絶対に事故を起こさないという“安全神話”にとって具合が悪いからです。具合が悪いどころか、安全神話の“矛盾”をするどく突く存在であるためです。

 

ヨウ素剤は放射線防護剤として、その存在じたいが原発事故の発生の可能性を前提にしているものです。当たり前です。

 

おもにチェルノブイリ事故以来、核発電所(原発)を抱えている国々において、反応炉の建屋が眺められるような市町村の家庭ではヨウ素剤を常備することが常識になっていました。自治体が事前配布するか住民の自主購入です。

  

しかし、日本政府は、逆にヨウ素剤を巧妙にしまい込みました。安全神話を国民に吹き込んで日本の”原発列島化”を推進するうえで非常に邪魔になるからです。

 

厚生省が副作用があって危険であるという理由で“劇薬指定”にしました。しかし、およそどんな薬でもサプリメントでも副作用のないものは存在しません。塩や砂糖でも副作用はあります。

 

ちなみに、チェルノブイリ事故直後に、ポーランド政府は、1,050万人の子供たちにヨウ素剤を投与しましたが、副作用の報告はほとんどなかったという事実が厳然としてあります。この数字のケタはミスではありません

  

さて、核災害は核発電所の事故に限ったものではありません。歴史上最大の核災害は広島・長崎の原子爆弾投下ではないでしょうか?原爆は実際に人間に対して使用された最初の核兵器ではなかったでしょうか?

 

それも、非戦闘員の一般市民に対してでした。それも1度ではなく2度でした。

  

「2度あることは3度ある」とはよく言ったものです。わたしたち日本人はもしかしたら、国内に核発電所などなくてもヨウ素剤を家庭に常備していなくてはならなかったのではないでしょうか? 

  

極端な話だと思われるかもしれませんが、冷戦当時ソ連からの核攻撃に備えてアメリカやNATO諸国ではヨウ素剤を常備している家庭がいくらでもありました。

 

冷戦が終わり、テロの時代に入ってから核攻撃の危険はむしろ高まったという説があります。アメリカでは9.11事件以降、テロリストによる核攻撃の危険に備えてヨウ素剤を備える家庭が増えました。そして、3.11福島原発事故の発生によって販売数が跳ね上がりました。危機管理とはそういうものではないでしょうか?

 

我が国にあるパトリオットミサイルやイージス艦は何のためにあるのでしょうか?極東アジアにおいても日本に対する核攻撃の脅威は決してゼロではありません。核ミサイル攻撃も核発電所の事故も核災害ではないでしょうか?これを世界でいちばんわかっていなければならなかったのは日本人ではないでしょうか?

  

核の使いみちは核発電所だけではありません。その力学的破壊力、生物学的、生態学的破壊力を利用した兵器としての核兵器の使用を過ぎ去った過去のこととして見ようとする観点は日本独自のように思えます。なぜ、今日でも起こりうる現実の可能性として、核発電所事故と同じ視野に入れて考えようとしないのでしょうか?もう自分の番は終わったとでも思っているのでしょうか?

  

世界唯一の原爆被爆国、それもダメ押しに2つも落とされた国民が、もうこれからは落とされることがないだろうと思う根拠は何ですか?何となくそう思っているその根底には、あたかも人類の業苦を背負ったようなマゾヒズムが潜んではいないでしょうか?被害者であることにあぐらをかいていませんか?

  

日本には核発電所のある県にはヨウ素剤の備蓄がありました。しかし、その存在は一般の県民には知らされてはいませんでした。そして、3.11の福島での事故の際も、被災地のヨウ素剤の備蓄のほとんどは手をつけられませんでした。

  

3.11後、政府はヨウ化カリウムの増産を製薬会社に命じ、現在多くの地方自治体がそのヨウ化カリウムを備蓄をしています。特に原発のある県やその隣の県では、それによって県民の核発電所事故に対する不安を少しでも解消しようとしているようです。これについては別に論じています

 

しかし、自治体によるヨウ素剤の備蓄は、本当に必要な時に配布される保証がまったくありません。そうした備蓄に対する配布の指示は非常時の政府中枢からトップダウンでなされることになっています。しかし、日本の場合、隠ぺい、優柔不断、責任逃れ、保身、といった思惑が渦巻くばかりで、かりに指示が出るとしても相当の時間がかかります。おそらく数日はかかるのではないしょうか?

  

しかし、放射性ヨウ素は核災害発生から目に見えないまま、たちまちのうちに市町村を覆いますから、トップダウンの指示を待っていてはすべて手遅れになります。指示があってからやっと配布ですが、配布じたいが時間がかかります。それから投与、服用ですから、もはや間に合う間に合わないの問題ではなくなって、話はすでに責任のなすりつけ合いになっていることでしょう。

  

ヨウ素剤は核災害発生もしくは発生と思われる状況であれば、すぐに服用しなければならないものです。災害が発生したのなら、もう早すぎるということはありません。遅すぎる危険だけがあります。

  

住んでいる町が放射性ヨウ素にすっぽり包まれても、人間の五感ではまったく知覚できません。聞こえず、見えず、匂わず、味もせず、触れることもできません。火事、地震、津波のほうがどちらに逃げたらいいか多少は教えてくれるだけまだましかもしれません。

 

また、本当に発生したのかどうかはっきりわからなくても、核災害が本当に起きた可能性がわずかでもあれば躊躇なく服用します。飲むことによる害がほとんどなく、飲まないことによる潜在的な害は計り知れないからです。

  

それならば、そもそもなぜ核発電所付近の住民に事前にヨウ素剤を配布しておいてくれないのでしょうか?実際フランスをはじめとして、海外ではそれが当たり前になっている国はけっこうあります。事前配布だけでなく、ヨウ素剤の説明会を開いたりするなど、ふだんから住民の危機管理意識を高めている国もあります。

  

しかし日本の政府側の白衣の脅迫者はこう言うのです。医師がその場で投与しないと住民が必要のない時に飲んでしまう、間違って多く飲んでしまう、ひとによっては副作用が出かねない、紛失して必要な時に出てこない、云々。すべてヨウ素剤についての講習と訓練をふだんからしていれば解決する些細な問題です。本当の理由は別にあります。

  

第一の本当の理由は、安全神話をうたって住民にいわゆる”原発建設”を呑ませてきているいじょう、電力会社がヨウ素剤を配布することは電力会社が自分のウソを自分でバラすことになってしまうからです。

 

つまり、住民に「絶対に毒ではありませんから」と言って”原発”を呑みこませておいて、あとから「えーと、これは解毒剤なんですが・・・」と言いながら手渡すようなものだからです。

 

第二の理由は、ヨウ素剤は薬事法上、劇薬指定の医薬品になっており、医師による投与が建前になっているためです。ヨウ素剤の備蓄があっても、核災害特別措置法によっても、政府の決定を受けた医師の指示がないと住民は服用できないのです。

  

核災害の実際の状況を想像してみてください。このトップダウンの危機管理対策では対処できないことは、今回の3.11東日本大震災、福島”原発”事故のような大災害を経験しなくても明らかではないでしょうか?

 

つまり、生死を分けるような緊急災害の場面にも、お役所仕事や薬事法にしばられた手続きを持ちこんでいるのです。実際、福島”原発”事故の際には、現場で被ばくの危険にさらされているひとびとの自己判断を許さず、備蓄があっても、お上(カミ)の指示を待たせ、手遅れになっても放置しました。国民を守ることを本気で考えているとはとても思えません。

  

実は、そもそもヨウ素剤を備蓄するのは、地域住民の実際の放射線防護を考えてのことではなさそうです。政府や自治体の組織としての責任逃れのためというのが役人にとっての動機です。つまり、備蓄が無かったとなると、事故があったときに責任追及されますが、それを避けるためです。

 

たとえ配布しなくても、いちおう備蓄はしてありましたということで責任追及を少しでも緩和できれば、彼らにとって備蓄しといてよかったということになるだけです。つまり責任逃れのために多少役に立つからです。住民の防護、安全のためなどではありません。役人の発想にヘタな幻想を持たないことです。

  

砂糖にも塩にもコーヒーにも副作用があります。そしてヨウ素剤にも副作用があります。しかし服用量を守れば、ほとんどの人には出ません。ごくわずかなひとに出る可能性がありますが、核災害時に服用しないで蒙ることになる健康被害のほうが圧倒的に大きいことは明白ではないでしょうか?

  

日本の医学、薬学、つまり医師、薬剤師の世界では、ヨウ素剤は劇薬指定の医薬品であり、そういうものとして扱われていますから、一般人が自己判断で服用することに対しては、“白衣の脅迫”が矢のようにあります。しかし、実際の副作用、毒性は市販の風邪薬よりもずっと小さいのです。しかし、”ヨウ化カリウム”というあまり聞き慣れないコワモテの名前にふつうのひとはちょっと引いてしまうのではないでしょうか?そこに乗じて脅しをかけてくるのです。

  

はっきり言って、ヨウ素剤は日本政府によってその“原子力政策上”、劇薬指定にされているだけです。一般人を怖がらせて遠ざけるのが目的です。権威主義的な医師や無知な薬剤師が自分たちの権益のために加担しているのが実態です。

 

安全神話の矛盾を暴(あば)いてしまう厄介なものを一般の人々から遠ざけ、目に触れないようにするという政府の本当の目的も知らず、薬事法を”金科玉条”にしているのです。

 

イギリスにもアメリカにもフランスにも核発電所はありますが、日本政府のように国民からヨウ素剤を取り上げて平気で見殺しにするような政府はありません。日本政府による計画的、組織的な”ヨウ素剤の入手困難化”は人道的にも大きな問題であると思われます。

  

ヨウ素剤は、何ら怖がることはありません。現にチェルノブイリ事故の際に、ポーランド政府は、1,050万人の子供たちにヨウ素剤を投与しましたが、副作用の報告はほとんどなかったという厳然たる事実があります。この数字は国際的にも公認されているデータです。ケタに間違いはありません

  

ヨウ素剤のボトル1本が意味するものは非常に重いものです。核発電所事故の可能性、核ミサイル攻撃の可能性。そこからさらにエネルギー問題、大地震、津波、日本の未来、世界の未来、極東の平和、軍事バランス、基地問題、北朝鮮問題、拉致問題、米中問題…。

  

しかし、それらによって万一核災害が起きた場合、いつ配布されるかわからない、いや、そもそも配布されるかどうかもわからないヨウ素剤を、あなたはじっと待ちますか?それとも、自宅に常備してあるほとんど副作用のないヨウ素剤を自己責任と自己判断によって自分と家族とで服用しますか?

  

「核兵器廃絶!」、「原発ゼロ!」もけっこうだと思います。しかし、現に大きな核災害を繰り返し経験している国ならば、国民はその潜在的な莫大な被害を最小限に抑える方策を少しは取るべきではないでしょうか?

  

理想を掲げることは大切ですが、愛する家族や子供たちを現実に起こりうる核災害から守ることも少しは考えてもいいのではないでしょうか?さもないと、それらの理想論はオール・オア・ナッシングの玉砕主義になります。それだけでは地に足の着いていない教条主義に終わるのではないでしょうか?

  

「あやまちはくりかえしません」と言うならば、まず、ヨウ素剤を備えてはどうでしょうか?「地球から核兵器をなくそう!」と言うのなら、それらが使用された場合のことも常に考慮に入れるべきでしょう。ヨウ素剤という物質的実体を持ち、それを家庭に備えることによって、空念仏や平和ボケから脱する必要があるのではないでしょうか?

  

こう言うと、「別にそんなもの無くたって、世の中が良くなればいいじゃないですか!」とか「いや、むしろ、そういうものが無い世界を作りましょう!」という声が聞こえてきそうです。それこそが、われわれ日本人の困ったところです。

  

お題目を唱えるのが日本人は大好きです。毎日の現実の生活とは切り離された理想、観念の世界に遊ぶのは心地よいものです。しかし、あなたには大切な家族がいて、あなた自身も家族には大切な存在です。万が一の時に家族やあなた自身の身を守ることもあなたの義務の一つではないでしょうか?いざというときは自分がみんなを守ろうというリアルな危機管理意識を持とうとは思いませんか?

  

自動車保険、生命保険、ガン保険、火災保険に月々何万円も払っていても、ヨウ素剤1ビンに出すお金もないのでしょうか?核災害時にこれらの保険はどれ一つとしてあなたを放射線から守ってくれません。たしかに保険は被害にあってはじめて役に立つものです。しかし、被ばく保険があったら月々千円でも払いますか?被ばくした後のことを考えるよりも、まず少しでも自分や家族が被ばくしない現実的な方策をとるべきではないでしょうか?

 

ヨウ素剤を持つことは、一般人にできる核災害に対する危機管理対策のリストのトップに来ます。たしかにこれだけあれば万全というものではありませんが、これが無いようではまったく話になりません。

  

あなたのまわりで反原発、危機管理についていろいろ論じている人のうち、いったいどれだけのひとが実際にヨウ素剤を持っているでしょうか?これを持っている、いないで、その人の語っていることのリアリティがまったく違ってくるのです。持っていない人の話は、けっきょく“ことば”だけで終るのではないでしょうか?

 

日本人には危機管理という観念がどうも希薄です。わたし自身が自分の心をのぞきこんで、つくづくそう思います。仏教的な諦念からくる面もあるようですが、地震や、核事故や津波や核戦争にしても、「そうなったら、そのときは、そのときだ」とか「死ぬときはみんないっしょだ」などと心のどこかで思っているのではないでしょうか?

  

ヨウ素剤を自分で手に入れて、そのボトルを居間の目につく場所に置くのです。それの意味することを常に頭の隅におくことです。そして5年ごとに買い替えてください。安価なものです。少し余分に確保しておくことです。黙ってしまっておいて、万が一のときは近所の人々や知り合いにすぐに分けてあげることです。

  

ヨウ素剤を自分で持つことは、自分の身を自分で守ることの自己確認になります。核災害時にお上(カミ)からの配布を期待しないことを意味します。そうしたうえで、「反原発」「原発ゼロ」を主張すれば、より地に足の着いた主張になるのではないでしょうか?

  

3.11東日本大震災における政府や行政の失策は目を覆うばかりで、それはそれで批判する必要があります。しかし、それと同じくらい大事なことは、これを機会にわたしたち国民が自らを振り返ることではないでしょうか?

  

3.11東日本大震災はわたしたち日本人に大きな試練と教訓を与えました。わたしは、まず自分の危機管理意識の欠如を反省しました。自分がサプリメントを扱う輸入代行の仕事をしながら、3.11直後までヨウ化カリウムの存在に気づかなかったのです。実に情けないことですが、事実です。

  

いわゆる”原発の安全神話”は3.11後の今でこそさんざん叩かれていますが、それ以前は大手を振るってまかり通っていましたし、わたしを含む日本国民の大半はそれを見過ごしていたのです。わたしはそのウソで固めた安全神話を真に受けて”原発建設”を歓迎している人々にただ呆れているだけでした。わたしは、それは当事者の自己責任なのだから第三者が口をはさむことではないと思っていました。しかし、それは大きな間違いでした。放射能は県境を越え、ほぼ日本全国に広がり、そして地球という惑星を包みました。”原発”建設推進の国策を他人事と思い、止めようとはしなかった自分を恥じています。このウェブサイトには、こうした自分の反省も込めています。


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