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自己肯定感とはステータスのこと

2021-05-17 23:52:00 | 日記
何も無い自分、ありのままの自分を肯定しましょうみたいなナイーブな話はよくあります。

が、僕はこれは土台無理だと思います。
逆に考えてみるといいと思います。ただ家で寝っ転がって何もせず日々を過ごしている人を素晴らしい人間だと肯定できるでしょうか。
できるとしたらこれは唯一家族だけだと思います。
家族でも無い限りこれを肯定してそれでいいと言うような人はいないと思います。

逆に年収が1億で職業は弁護士でという人間だったら簡単に自己肯定ができるでしょう。
金のあるなし、地位のあるなしによる幸不幸は置いておいて(金があっても地位があっても不幸な人はいる)自己肯定という視点で見れば何も無いよりはしやすいはずです。
稀にそれでもできないという人はいると思いますが、それは金と貢献度が乖離している可能性がある。
例えば株の配当だけで生きていては金はあっても他者への貢献感は少ないでしょうから自己肯定感が薄いというのも納得です。
金よりも職業のほうが自己を肯定しやすかもしれない。

無条件に自己を肯定したいというのは上記に挙げた通り土台無理で、そんなことをしてくれるのは親くらいしかいないのです。自分では無理。従って諦めるしかない。

やるべきは自己能力の自己評価を上げることであって、自己肯定感はそれで自分の社会的な価値が高まれば勝手に上がる。

逆に言うとそのステータスの上下で上がったり下がったりするような代物はどうでもいいとも言える。
高けりゃいいとも低いから悪いとも言えないしそういうものに頼っては一生ステータスに縛られると言っているようなもの。もしくはありもしない、親並みに自分を肯定してくれるような存在を求めるようなもの。

そういうものはあってもなくても大した違いはないと早めに気がついた方が楽な気がする。
そして自己肯定感が高い低いが関係ないということはつまりステータスが高い低いも同じことだということだとわかること。

言葉によって惑わされることが多い気がする。
自己肯定感という言葉が発明されればそれが無いとダメなのかと思ってしまう。

いらん言葉は捨てるに限る。


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