観想は古今東西無限にあるので、別にどれやっても似たような効果は得られる。むしろ古いモノでそんなイメージ浮かばねえっていうのをやるよりは自分の想像しやすいようなものの方がいい。
キリスト教徒ならイエスを想像するとか、仏教なら阿字観という方法がある。
でも、そうじゃなくて例えば好きな芸能人でも同じなんですよね結局は。ただありがたさは当然下がるのでその分効果は弱くなるかもしれないが。
世界の瞑想法というサイトに本当に様々な方法が載っているので気になった人は読むといいかもしれない。
オカルトや疑似科学のように思う人もいると思うけども、本当に古くからいろんな手法で人生を生き抜く知恵として積み重ねられている。
気功とかヨガとかもどちらかと言えば観想寄りである。
光の玉を思い浮かべて〜とかよくある。僕は光の玉ではないけど似たような感じでもうちょい漠然としてる。玉をイメージするのって結構難しい。
それで観想が何の役に立つのかは、こればっかりはやってみなきゃわからないものだ。
そして何のために観想するかは個々人が勝手に設定するものだ。
自分のために少しくらい時間をとってしっかり観想するのもいいもんです。
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