感譚

日々感じたこと、ふと思ったことをつらつら。

継続のコツ

2020-06-19 22:38:24 | 日記
継続は力なり。
ごもっともだ。だが、これがなかなか難しい。

夏までに-10kg、頑張るぞ~。筋トレ、ランニング開始。
1日目はやる気十分。これなら、いける!ランニングって気持ちいい!
2日目、ちょっときついなー。まあ、一日目頑張ったし少し短くするか。
1週間後。あのやる気はどこへ行ったやら、やっぱり無理だ。と諦める自分がいる。

こんなことを繰り返していませんか?
僕には、何度も経験がある。

楽な方に楽な方に逃げて行ってしまうのが人間の性。これはなかなか厄介な問題。
でもやっぱり痩せたい!自分のために努力を継続したい!
そんな人が少しでも、目標を達成できるよう、私なりの継続のコツを記したい。


まず、一番大切なのは頑張りすぎないこと。
楽をしろ、と言っているわけではないが、やらないよりはやるほうがいいのは明白。
だから、最初に頑張りすぎない。最初に頑張ると、後々苦しくなる。
最初は少しずつ、少し足りないかな、くらいでやめておく。
そうすると、結構続いたりする。
努力が習慣化して、何も考えずに一日の流れに組み込まれるようになればこっちのものだ。

次に、でに習慣になっている行動とセットにする、という方法。
例えば、本を読む、という習慣を身につけたいと思ったなら、電車に乗っている間は本を読む、とか風呂に入って本を読む(水没する可能性大、僕は責任負いません)とか。
もともと習慣になっているものとセットにするのだ。
そうすると、新しく時間を作らなくて済むので、効率も良い。

きっかけ、スイッチを作る、という方法もある。
これは、他の習慣とセットにする方法とよく似ているが少し違う。
日常で必ずやる行為をスイッチとして、その行為をしたら習慣化したい行為をする、というものである。
僕が実際にやっていたことを紹介する。
僕は、自分の生活や普段考えたことを残そうと日記を書くことにした。が、いつもの通り一週間を過ぎたあたりから、書いていない日が。
そこで、夜寝る前、携帯の充電のためにUSBを挿したら、日記を書くことにした。
携帯にUSBを挿す、という行動をスイッチにしたのだ。
注意点としては、毎日絶対にやる行動をスイッチにしなければいけないことだ。
この点に気を付けて、ぜひ一度試してみてほしい。


人は習慣でできている、という人もいるくらい、習慣はとても大切だ。
自分を形作っているものだ。
この機会に、自分の生活を振り返り、新しい習慣を作ってみてはどうだろう。

勉強しなきゃいけないの?

2020-06-18 21:52:45 | 日記
勉強ってなんでするんだろう。こんなにめんどくさいし、よく分からないし、やりたくないのに。

誰でもこんなことを一度は思ったことがあるんじゃないだろうか。
思ったことがないとしたら、あなたには才能がある。か、もしかするとやらされ続ける勉強に一度も疑問を持たず何も考えず、自分の意思ではなく与えられたことをやることに慣れてしまっているのかもしれない…。
とまあ、少し脅しのようになってしまったが、なぜ勉強するのか考えたことがある人もない人も、今日は立ち止まって、一緒に考えてほしい。


僕は、以前教員を目指していて、大学を卒業すれば教員免許は取れる大学に在籍している。今は、色々あって目指していないのだが…。

教員を目指せる大学なだけあって、なぜ勉強するのか、ということについて考える機会はたくさんある。
僕自身、勉強は嫌いだしできればやりたくないので、勉強をしなくていい理由をよく探したりもする。


    
さて、本題に入っていこう。
まず、なぜ勉強しなければいけないのか、という問いの前提には勉強がつまらない、という意識と、勉強をして何に役立つのか不明確、ということが大きいと思う。

勉強はつまらないのだろうか?
この画面を見ている人が速攻うなずいている様子が目に浮かぶ。
たしかに、学校で一方的にやらされている勉強はつまらないだろう。
一方で、友達と遊んでいるときや自分の趣味に没頭しているとき、好きなことを調べているときには、楽しいと思う人が多いのではないだろうか。
そりゃ、楽しいことを挙げたからでしょ。と思う人もいると思うが、では、友達と遊ぶことや自分の好きなことをやる、調べることは勉強ではないのだろうか?
勉強とは個人的には、自分のためになることをすることだと思う。だから、世の中の大体のことは、勉強なのだ。
なので、勉強が一概につまらないのではなく、楽しいものもつまらないものもある。
その中で、学校の勉強がつまらなく感じるのはやはり、興味がないこと、何に役立つのかわからないことを押し付けられてやっているからだろう。

では次に、(学校でやらされる)勉強は何の役に立つのか、という話をしていこう。
日常生活の中では、三角形の合同の証明は使わないし、現在の日本では英語を使う機会もほとんどない。
では、どんな役に立つのか。

まず、よく言われるのが自分の選択肢を広げるため、ということだ。
自分が将来就きたい仕事、夢がある人には、努力して是非その夢をかなえてほしい。
しかし、みんながみんな思い通りの職に就けるわけではない。そうなったときに、他の職業に就くのに必要な知識をまた一から勉強していたのでは、時間がかかりすぎて、気づいたら何年もたっていて体力が…。なんてことになってしまうかもしれない。
あらかじめ様々な勉強をして多くの知識を持っていれば、スムーズに別の職に就ける、新たな可能性が広がる。

次に、騙されないためだ、ということもある。
あるサイトを見ていて、突然、「登録が完了しました。すぐに〇万円振り込んでください。」という表示が出てくることがある。世の男子は一回は経験したことがあるだろう。
ここで、知識がある人は、架空請求詐欺だ、と気づいて、もちろんお金は振り込まない。しかし、これを知らず、本当に払わなければ大変なことになる!と思った人は、まんまとお金を払ってしまう。
これは、知識があれば対処できる話だ。

また、本当にその知識は使わないのか、役に立たないのか、ということも考える必要がある。今まで生きてきて、使ったことがない知識だからと言ってそれを一生使わない、とは言えないのだ。
実際、開発系の仕事や建築系の仕事では見たことがないような数学の知識を使って仕事をしているし、これから日本にどんどん外国の方が入ってきたら、日本人だから英語は喋れなくていい、は通用しなくなる。
勉強したこと、得た知識はいつどんな時に役に立つのか本当にわからない。思いがけない場面で、勉強しといてよかった~と思うことが生きていく中でたくさんある。


以上のように、勉強には利点がたくさんあるのだ。
とはいってもなかなか納得できないし、勉強する気にはならないのが、人間だ。
この話の目的は、勉強をさせるようにすることではなく(勉強するようになってくれたら、それ以上に嬉しいことはないのだが)、勉強、ということについて一度立ち止まって考える機会を提供することだ。
これを読んで、少しでもあなたが、勉強について考えてくれたら、僕の目論見は成功したのだ。

今の時代、小中学生でもインターネットを使える時代だ。
こんな長い文章、見ただけで読む気なくしてしまうかもしれないが、一人でも多くの人に読んでいただき、学校や勉強について考えてもらえたら、2782文字タイピングした甲斐がある。

正しくなさを知る

2020-06-17 22:54:23 | 日記
いや、~。
でも、~。

もう、うんざり。分かったわかった。そう言いたくなる人がいる。

人は完璧じゃない。間違えることは人間らしさなのかもしれない。
にもかかわらず、自分の意見が絶対に正しいと信じて疑わず、他人の意見に耳を傾けようとしない人が一定数いる。そして、そういう人ほど意見に偏りがあったりするのだ。


他人の意見を聞く、受け入れることはとても重要で難しい。まして、まったく異なる意見、正反対の意見ならなおさらだ。
なぜなら、人は自分の意見を否定されると、自分(の意見なのだが)が否定されたように感じてしまうからである。
今話題になっている誹謗中傷と批判の違いにもつながることだと思うが、自分の言動の批判なのか、自分自身の否定(誹謗中傷)なのか、しっかりと判断していかなければいけないことだ。

自分もこんなことを書いているからには、他人の意見を素直に受け入れよう、自分の意見を押し付けないようにしよう、と意識はしているつもりだ。しかしやはり、スッと受け入れるられるようになるにはまだ遠い。
気が付くと、自分の意見にこだわっている自分がいる。

自分の意見をころころ変えろ、相手に合わせろ、と言いたいわけではない。
相手の意見を踏まえ、多角的な視点で考えたうえで自分の正しいと思った意見を言おう、という話。

相手の意見をしっかりと受け入れる余裕のある人こそ、客観的に正しいことが言える人なのかもしれない。そして、周りもその人の言うことを受け入れるのかもしれない。

書く、書く、書く

2020-06-16 22:16:46 | 日記
書く。

それは、進化によって人間だけが手に入れた技術、能力だ。
人は、書くという行為の重要性になかなか気づけない。

書くことの何がいいのか。
それはやはり記憶だろう。自分が何を考えていたのか、何が起こったのかを残すことができる。

人は忘れる生き物だ。
あなたは、今日の午前中、どんなことを思って過ごしていただろうか。昨日は?
その一時一時考えていたことなんて、覚えているほうが不思議だ。
だからこそ書く。メモを取る。
自分の中での出来事をメモすることで、見える化し、過去の自分と今の自分を比べることができる。新たな自分に気づくこともできる。


自分も含め多くの人が、書くことをせず頭の中で済ませようとする。
アイデアを出そうとするとき、問題を解こうとするとき、悩み事について考えるとき。
しかし、人間の頭は私たちが思っているより賢くないのかもしれない。
頭の中だけで考えていると、何度も何度も同じ内容について考えている自分がいる。あれ、これさっきも考えたな、と。要するに、整理ができていないのだ。

文章を書く際、頭の中で大体こういうことを書こう、と考えてから書く人が多いと思う。でも、私は少し違うと思う。
書くために考えるのではない。考えるために書くのだ。
文章もそう、絵もそう。書くことで考えが、イメージが明確になってくる。

あなたが何か考えているとき。
なかなかいいアイデアが思いつかないとき。
是非手を動かして、自分の頭の中にあるものを紙に吐き出してみてほしい。
できるだけたくさん。何も考えず。
そして、頭の中のことであふれかえった紙を見返してみてほしい。
きっといいアイデアがそこには書いてあるはずだ。

思考停止

2020-06-14 21:27:08 | 日記
興味ない。

そんな一言を、言われたり言ったりした経験はないだろうか。
誰だって一度はあるだろう。
聞いたことのないジャンルの歌を紹介されたとき、普段映画は見ないのにおすすめの映画を言われたとき、自分の専門外のジャンルの本を紹介されたとき、眼中にもなかった人に告白されたとき。
もしかしたら、このブログにも興味ない、かも。

興味ない。その一言で会話は終わってしまう。
余程しつこい人か、めげない人なら別だが、たいていは次の話にシフトしていくだろう。

これは、非常にもったいない。
興味ない、の一言を発するとき、それは、自分の、そして世界の新たな一面を知ることができるチャンスなのだ。
興味ない、とか知らねー、とかいう言葉が喉の奥から出そうになった時、そのまま外に出さずに一度飲み込んでみよう。
そしてこう言ってみる。
なにそれ、聞いたことないな。教えてよ。」と。

話し相手は、満面の笑みで、多くのことを教えてくれるだろう。
内容は、最初に思っていた通り、つまらないと思うかもしれないし、聞いているうちに面白いかも、と興味が湧いてくるかもしれない。
興味が湧いてきたら、ラッキー。また一つあなたの世界は広がった。
湧いてこなかったら?
大丈夫。何事にも絶対に興味を持て、と言いたいわけじゃない。興味は湧かなかったかもしれないが、相手は自分の話を聞いてくれたあなたを好意的にみるだろう。誰でも、自分の話を熱心に聞いてくれる人のことは好意的にみるものだ。


日常には、たくさんの”興味ない”の仲間が現れる。
興味ない、知らない、関係ない、どうせ~だから、俺には無理だから。
これらすべて、思考停止に繋がる。それ以上考えなくなる。
人間の素晴らしいところは自分の頭で考えられるところだ。
どんどん頭を使って、考えて、知らないものに触れて、自分を広げて、それをまたほかの人に伝えて。そうやって人間は魅力が上がっていくんじゃないだろうか。

これを見た皆さんが、いろいろなことに興味をもってたくさんのことにチャレンジしてくれたら。そう考えるだけでワクワクする。