【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

【没後20年】アイルトンセナの命日

2014年05月01日 23時55分01秒 | F-1
※ この記事は2006.05.01に私がもう消滅した過去のブログに
記した内容を手動コピペしてテキスト保存していたものの復刻版。
ゆえに今流行の「切り貼り」をしたのだ。…なんも問題ないが。

セナが死んだのは1994年の5月1日。イタリアにあるサンマリノ共和国。
実際イタリアはイモラのエンツォ・エ・ディノ・フェラーリ・サーキット
サンマリノの名前を借りたイタリアで天に召された。
そんなセナの命日は、毎年スーツ襟の社章付けのところに
セナのヘルメットのピンバッヂをつけていた。
今年は没後20年なので、もうネットに存在しないこの記事を
思い出したので見つけて今一度表に出させた次第。
熱の話など2006年のことなので今そうではないが、
そういうこともそのままに、出来るだけ手を加えずに復刻させる。


以下 コピペ
*****************************************************

↑何度も入れ替えたが、一番セナらしい表情にした。

風邪を引いた。今朝喉がすごく痛く、夕方から発熱。
さっき38.1度で今またあがったっぽい…。
平熱は36.0度程度だから2度上がるとキツイ…。


今日はアイルトンセナの命日。
F-1に興味ない人はかなり理解不能と思います。
読まれなくてもいいかも?

もし受け止めたら喪に服すのに付き合って。(もう日が変わるよ)
私は毎年セナのヘルメットピンバッジをスーツにつけ仕事している。
絶対忘れたくないためと、意味無いが世に知らしめるため。



あの日は忘れもしない1994.5.1.
伯父が4/20日に亡くなり、その死が冷め遣らぬ時期で、
今以上F-1大好きだった私は普免無ければ乗れないゴーカートに
(最高時速100km)乗り、レースなんかもしていた。
一般人とは比べ物にならないほど速かったし、
もう5年早く興味を持てば挑戦し、
最低限のフォーミュラカテゴリ程度いけたと思う。

そしてセナはそれこそ強くて憎憎しげだった。
その分「あぁぁ俺は又やっちまったよ~!」と頭を抱えるような
つまらないミスでレースを棒に振るナイジェルマンセルの
ダメライオンハートが可愛くて好きだった。

だがセナは別格。
1988年マクラーレン16戦中15勝で初チャンプ。
1989年の鈴鹿で同僚プロストをホームストレートでパスし、
いわゆる世界一の追い抜き~セナプロシケインで接触共にリタイヤ。
1990年セナプロ1コーナーで接触。酷すぎる0周リタイヤ。
1991年プロスト怒ってフェラーリ移籍。鈴鹿は最終ラップの
最終コーナーで2位ベルガーに譲った疑惑で2位。
1993はフォードV8となり戦闘力が明らかに落ちたのに
雨の中セナの真下だけ路面が乾いてるのでは!?
と思える走りを見せたりなど、彼には相当しびれた。

鈴鹿の1コーナーで神を見たという名言も残したが、
彼なら見えたのだろうと信じて疑わない。



淋しげな表情をし、群れるのを好まず孤高の戦士。
といって、情に脆く涙をこぼす様はまるで日本人。
人懐っこい笑顔を見せ、はにかんで笑うさまは世界中の女性を虜にした。
カリスマと言うのはこういう男。
今の日本ではこの言葉が安っぽくなり非常に腹立たしい。

でもセナは死んだ。
1994.5.1日でこちらでは夜中の2時頃だった。

確か放送は1:00過ぎ頃だった。
オープニングがいつものように始まったが
すぐにいつもとは違っていた。

確かに前日の予選の際にはシムテックに乗るルーキーの
R.ラッツェンバーガーの死亡事故が起きていた。
ビルヌーヴコーナーでクラッシュ~スピンし、
クビをグルングルン振られトサコーナーに現れた。一瞬に死亡を感じた。

F-1は300kmを超える世界だが危なくは無い。
何故なら単純に対向車が居ず、同じような速度で走るもの同士は
止まるようにしっかり見える。
歩行者やバイク自転車などの動く障害物もない。
しかもカーボンモノコックは軽量だが金属より強く、
逆に柔軟な部分もあるので死亡事故は起きないのでは?といわれていた。

さかのぼること12年前の1982年。
現ザウバーのドライバーのJビルヌーヴの父Gビルヌーヴが、
フェラーリを駆り、第5戦ベルギーGPのゾルダーで
突然車がフロントから宙を舞い、落下して死亡したのだ。
(実際同年3戦後モントリオールでオゼッラのパレッティ死亡事故が最後)
それ以降の開発で今のフォーミュラーカーが出来上がったのだ。

それだけにラッツェンバーガーの死亡も驚いたのだが
まさか12年間無かったものが、翌日に又起こりうるとも思わなかった。
しかもそれがあのセナだったなんて!

最初はセナ重体の一報は前番組で速報が入ったか?覚えていない。
昨日の死亡事故を重んじて開催中止は想定していたが、
ありえないと思っていたので驚いた。

番組が始まると「レースは終了してますがセナがクラッシュし重体です」
のような感じで三宅アナが言った。
川井ちゃんはどこと無く沈んではいるが、元々トーンが軽いせいか、
ケロッと見えて大丈夫なのかな?と見えるのだが、
解説の今宮さんがとても沈痛な面持ちで何が何だか解らなかった。

その今宮氏も「セナだけはこういうことは無いと思っていた」と言った。
レースを全て知ろうかという人にそんな都合いい解釈を言わせるほど
無いと思わせていたのがセナだったし、
当然我々もそのように思い込んでいた。

良く考えるとレースが終わって編集時間があるので
普通は突貫で編集したレースをリアルタイムの3時間遅れとかで
放送しているのだが、セナが重体なのでレースを放映するどころではなく
その後の一報を伝えるべくレース終了後の現場の生中継にしたのだと
相当経って気付いた。

そして今は封印されたかのごとく放送されないが、
その事故のシーンを何度も繰り返し放送していた。
その日は確かスタート直後赤旗中断になったと思った。
JJレートとPラミーが絡んだか?
当時はセーフティーカーはなかった。
タイヤが冷えている状態でレース再開となった5周目にこの事故は起きた。
セナの1秒もない後方にはフル参戦1年目にセナより3ポイント多く取り、
時期チャンプ候補筆頭のベネトンを駆るMシューマッハが居た。
そのシューマッハの目前で起きたのだ。
(2014年追記:そのシューマッハがF-1では無事に引退したのに、
スキーの事故で生死の境をさまよっているとはホントまさかだよ)



全開で駆け抜ける高速1コーナーのタンブレロ。
左に行かねばならぬのに、一瞬「クン」っと車体が右に寄れる。
高速道路を走っているときに一瞬ステアリングを右にやったかのような
感じで、私は意識が飛んで右に体が寄れたのではないかと思う。
そのままわずかしかないグラベルで速度もロクに落ちぬまま
確か220km程度でコンクリートウォールに30度程度の角度から突っ込み
横全体があたり、右サイドポンツーンが粉砕された状態で壁から離れた。

これはヤヴァイ!これも本能的にそう思った。
スピンなど派手で大変だと思うだろうが、エネルギー学からすると
力が多方向に分散されているので安心できることでもあるのだ。
なので制御が効かないマシンを減速させるのにグラベルや
広いランオフエリアがあり、最終的にはタイヤバリヤなのだ。
それをほぼ真っ直ぐ突っ込んで行ったアレは相当怖い出来事だった。

その後チームなどの裁判も開かれたがコレだという結論は出てない。
メカニカルトラブルならサスペンション周りの破損、
ギアボックスのスタック、ステアリングロッドの破損程度か?
実際これらも疑われ調査はされてきた。
人よっては自殺説もあり、セナは自らの意思でコンクリートウォールに
向かっていったとする話も出た。そう見ればそうも見えなくもない。



実際セナはとてもナイーブで感受性豊かだった。
前日のラッツェンバーガー事故の直後は涙を流し、
全員ピットに戻されていたが、セナはマーシャルの車に乗り込み
事故現場に向かった。国も違い何も縁のないルーキーだが、
その死にとても悲しみ、このグランプリ開催を見合わせるべきだと言った。
もっともF-1界をリードする立場の一人である事もあっただろう。
そんなナーバスな中行われたので、何が起きてもおかしくなかった。

そもそも何故そこがコンクリートの壁なのか。これが根底的問題。
普通は大きな砂のグラベルやエスケープゾーン、タイヤバリヤがある。
しかしこの壁の直ぐ裏は川になっているのだ。
なのでコースアウトの際の安全空間を作る場所が無かったのが
最大の不幸の始まりだった。
当然できる改修は速度を落とさせること。
今ではS字のシケインのように様変わりした。

イタリアは特に昔から高速バトルを好むようで、
ここもだが、モンツァも相当な高速サーキットだ。

そしてテレビはセナの安否を気遣う中、
イタリアの搬送先の病院で死亡の速報。
( ̄□||||!!
真っ白になるとはこういうことか。私の全ての回路が止まった。
固まったまま息以外何も出来ない。時が止まったという感じ。

その後は深夜だというのに20~30件TELの嵐。
F-1好きな仲間とはそれ以前にも掛かって話をしていたが、
ビックリしたのが普段興味無さそうな同僚や友人、
さらにその中には半分程度泣きじゃくったりの女の子も居た。
こっちがなんだか解らずとまどった。

今思うと私が相当嵌って良く話をしていたので興味を持ったとか、
女の子だと、私自身に興味を持ってる子も何人か居たので、
好きな人の好きなことは知ってみたいとか、理解したいとか、
触れてみたいという気持ちで見ていたというのもあったようだ。
だから物凄く驚いた。
迷惑と思いつつも、私は放送を100%見ていると思い、
掛けずにはいられなかったとは全員の弁。

その80%の人はこういう取りとめのないことを言った。
「コレから先、どうしたらいいの!?」
実際私も思った。それどころかテレビの解説陣も言った。
それだけ我々には思う以上にセナは中心・核だったわけだ。
その核を失えば…例えば地球が核を失えば爆発して宇宙の藻屑だ。
それだけの出来事だった。

今宮氏が声を振り絞って最後に言った。
「それでも…F-1は…続いていくんですね…続いていくんです。ハイ…」
その通りに今日も続いている。
当たり前じゃんと思ったヤツは感性低すぎ。
多くに当てはまり奥深い意味がある。

その後今宮氏は翌々年辺りに解説から去った。理由は知らない。
通常の会話が妙にファルセットになるのが好きだったのにな。
(2014年追記:現在スタジオ解説で今宮・川井両名復活)
川井ちゃんはゲストで来た鈴木保奈美と恋に落ち結婚するが、
時折職権乱用でモナコなどに来ていたとんねるず石橋に寝取られた。
詳細不明も古舘もフジと揉めて実況しなくなったし。

絶対神を失い、見えるものがそんな調子じゃ人気も落ちるわな。



そして1994年、セナは勝つためにマクラーレンを捨てた。
それまではHONDAが居たからだ。
そのHONDAは1992年のV12エンジンが散々だったので撤退。
マクラーレンの1993年はフォードエンジンだった。

HONDA大好きだったセナは、本田宗一郎に可愛がられ、
「NO.1!NO.1!」と言われ涙して抱擁されていたパーティーも思い出す。
(↑お前はNO.1ドライバーだ!俺たちもNO.1のエンジンを作るぞ!の意)
なのでHONDA無き今マクラーレンにこだわる必要もなかった。
だから当時圧倒的に強かったウィリアムズに移った年の4戦目だった。



最後はきっとフェラーリに乗りたかった違いない。
それも叶う事が無いなら、せめて私が弔いのために…という画像↑。
(2014年追記:ここまでの内容を思うと最後にふざけて台無し…)

*************************************************

という記事を、3日に渡って書いていたんだねぇ~。
(消滅サイトは1記事の文字数制限があったため分割を要した)
セナのフラッグや水彩画(のレプリカ)にパネル時計にキャップなど
ピンバッヂ以外に通しナンバー入りのVTRなどもいろいろ持ってる。
↑の事故の画像は2006年当時にも出さなかったやつ。
今ではもう事故の映像を流さないからプロテクト掛かってんの?
だけど20年目だし、こんな事故だったと思い出して欲しいから
当時テレビを撮ったものを出したよ。

アイルトンは若くして亡くなったけど、
逆に今となっては色あせない。
カリスマも孤高の戦士も音速の貴公子もそのまま。
彼は真のレジェンドになるために生まれてきたのかも?
誰でも衰えて衰退していくものだが、
真のスーパースター、カリスマはそれを許さない。
最初からそういう存在として、短命の宿命で生まれてきたとか。
そういう風にでも考えないと、釈然としないというか、
しっくり来ないと言うか、他に消化する術が無い。

おこがましくも人間一人の命を弄ぶような感じだが、
でも短命が宿命だったとでも考えないと、
落ち着かないというか、脳みそが納得行く結論が出たと
判断してくれないのだよね。

アイルトンセナだけが、唯一無二、本物のカリスマだった。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前の記事へ | トップ | 本日の競馬予想 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
アイルトン (blueimpuls)
2016-01-11 18:54:18
久し振りに思い出してセナで探してみたら、出てきたね! 懐かしいし、思い出すと涙が出る!
鈴鹿へは毎年行ってた! 富士も行った!
セナが好きで、ホンダに嵌って、汗と涙と駐車場から1時間近く出られなかった事か蘇ってきた! 今のF1は何処へ行こうとしてるのか? なんだかなぁ?
命日には毎年思い出します (ぜっとし)
2016-01-11 20:42:44
blueimpulsさん、いらっしゃい。
そうですか、鈴鹿へ毎年とは凄いつわものですね。
プラチナチケットだしなかなかそうは行きませんでした。
友人の友人にHONDAに勤める人が居て、社内用のチケットが余るのを戴くこととかないとなかなか…。
…そう思うと、もしやHONDAに勤めてた人!?

昨今のF-1は確かに面白味も無いですね。DRSなどはやはり強豪と弱小の格差ツールにしかなりえてない。
協会も不透明だし、フェラーリは常に抜けて新しい組織を作りたがってるし、
ドライバーにスターも居ないし、黎明期というより末期的に思いますね。
でもセナのようなことが又あるかも知れぬと、
昔は2回も3回も見直していたものが、今では1回どころか1度も見直さず、
下手したらOAも見ず、1回も見ないこともあったりするのに録画だけは延々と30年もし続けてます。
事故が見たいのではなく、歴史の証人としてのような、何か宿命的に感じてですね…。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

F-1」カテゴリの最新記事