ラヂオ惑星モルファス

ジョニー・アリディ・・・「requiem pour un fou」~『午後のシャンソン』から

「午後のシャンソン」で取り上げられた曲を続けましょう。
前回のアジダ・ペッカンに続いて1976年5月11日午後5時30分から放送されたものです。

私は余りジョニー・アリディを聞いていませんし、実はアルバムも持っていませんので、乏しい知識を絞り出すよりウィキペディアの記事を引用させて頂きたいと思います。

『本名はJean-Philippe Smet (ジャン-フィリップ・スメ)。ベルギー人の父親とフランス人の母親を持つといわれる。幼少から叔母(伯母)に育てられる。1960年17歳でデビュー、60年代は主にエルヴィス・プレスリー等のアメリカン・ロックのカバー曲を歌う。以来フランスNo.1ロック・シンガーでフランスでは圧倒的人気の国民的人気歌手、公私の出来事は国民的関心事で現在もニュース番組で放映される。初期の代表曲は1969年の 「Que Je t'aime」(ク・ジュ・テーム)。日本公演は1970年代に1度ある。1978年6月に第7回東京音楽祭で審査員も務めた。ヴィブラートの効いたパワフルなヴォーカルが特徴的で、スタジアムライブで世代を超えて大観衆を魅了し続ける。しかしフランス語圏外での活躍・評価に恵まれず日本での成功もないが、日本でも大成功を収めているシルヴィ・ヴァルタンの前夫として知られる。』
~(中略)~
『激しい歌い方とその風貌、当初からのプレイ・ボーイ振り、新進音楽家達の憧れの対象でもありアーティストとしての才能などが入り混じりフランス語圏のリスナーを魅了している。1970年代は複数のPalais des Sports(パレ・デ・スポール)公演、その後はZenithやParis Bercyなどで公演している。80年代半ばからミッシェル・ベルジェ(Michel Berger)やジャン-ジャック・ゴールドマン(Jean-Jacques Goldman)等の人気シンガー・ソングライターとコラボレーション。現在も新譜発売する度にレコード・セールスNo.1に躍り出ている。』
~後略~

やはりフランス語と言うこともありますし、アメリカという巨大なマーケットで十分な成功を収めていないことも日本での認知度の低さにつながっているのだと思います。

映像は、1993年ですから50歳の時のライブ映像だと思いますが、凄いですね~~~


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