我が家の庭の鈴蘭が咲いた。ところどころにタツナミソウも咲いている。
庭じゅうに鈴蘭の香が満ちている。それは実に平和な光景である。

ところで・・・相変わらずトランプ関税の話題があふれている。
トランプのSNSやちょっとしたぶら下がり取材への回答などの「短い言葉」に振り回されている。また、トランプ政権のブレーンたちの些か雑な分析の数々にも振り回されている。
アメリカ人の自己中心的な性格や主張は黒船来航時からあまり変わらないようだ。自分たちがスタンダードであるという幼い頭脳構想は160年経っても変わらない、というかたかだか160年では変わりようもないのだろう。
一つには、アメリカの自動車が売れないことがご不満のようだ。でも、戦前戦後の一時期「外車」と言えばアメ車のことだった。普通にシボレーなどが走っていた。しかし、1960年代の「フルサイズ」は日本には巨大すぎたし、日本のルールに合わせて右ハンドルにしたアメ車など見たことが無い。
(所で、アメリカの元宗主国イギリスの車が右ハンドルであることをどのように批判してきただろうか?)
トランプ大統領の「非関税障壁」に関する発言は、本人というよりアメリカ全体の無知や自己中心的な認識から来るものも多いだろう。
ある意味では「文化そのもの」が非関税障壁であるといえる。
どの国であっても様々な基準やルールは、その国の歴史や国民の世界観に基づくものであるだろう。それらを批判し自国のルールを相手も適用すべきと主張することは、『アメリカ英語が日本の公用語でないことが非関税障壁だ』
『アメリカ大統領の命令が日本でルールとならないのは非関税障壁だ』『アメリカが日本を守っているのにアメリカ軍が日本軍として位置づけられていないのは非関税障壁だ』などと主張することに近いように思えてしまう。
翻って言えば、アメリカと異なる「日本」であることアメリカと異なる文化が日本にあること、本質的に日本そのものを否定することに他ならなくなってしまう。
正にこれこそが「帝国主義者」・・・しかも出来の良くない帝国主義者・・・であると思う。
これまでも日本は「アメリカ帝国」の属国であった。これからも属国であり続けるのだろうか?