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yuzuの記

優しい風に誘われて

兄のいた季節

2019-04-26 10:00:00 | つれづれ

 

 

 

 

何でも話す仲の良い兄妹でした。

たくさんたくさんの思い出が残っています。

 

幼い頃に、母が病気がちの妹にかかりきりだったので

自然と兄と身を寄せ合うように遊んでいました。

私たちと一緒に大きくなったしば犬のメリもいつも一緒で

もっぱら近くの川で魚釣りをする兄にくっついて

思えば女の子らしい遊びはしていなかったですね。

それは小学、中学と続き

兄が高校生になった頃突然の変化に戸惑ったことです。

朝学校に行くのに同じ方向だから

並んで行こうとすると怒ったように

「 だめだよ、10メートルほど離れて後から来いよ 」

なにを怒っているのか分からずに母に聞いてみると

「 いいのいいの お兄さんも年頃になったのよ 」 と

可笑しそうに笑っていました。

母が笑ったので少し安心して

毎日兄の10メートル後を通学したものです。

 

その後兄が大阪の大学に入るとまた元通りの関係に戻って

両親にはしないような話もしてくれるようになりました。

子供が三人学校に行くとそんなに裕福でもない家からの仕送りは

なかなか厳しいものがあったようで

月末になるとバス代や食事代も節約していたようです。

おかきを揚げたのが大好物で

下宿に母が送ってくれた揚げおかきを並べて

「 あと何日だから1日何枚食べられる・・・と計算して

曜日ごとに小袋に分けて食べているよ 」

「そっかあ きついね~ 」

「 いいさ 貧乏を楽しめるのは若いうちだし結構面白いよ 」と

笑い飛ばしている兄が うん なんかいい ^-^

 

後から何の気なしに母にその話をすると

「 家にゆとりがなくてそう送ってやれないから・・・」 と悲しそうに一言。

その夜裁縫をしている母の後ろ姿が小さく泣いているようで

とても切なくなってしまいました。

言うんじゃなかった・・・

 

でも若いっていろんなことを弾き飛ばして

母が心配するほど本人は辛いと思っていなかったようです。

 

私が大阪に就職した年には

兄が彼女を助手席に会いに来てくれました。

自分にはよくわからないからと頼まれて

あらかじめ兄の代わりにバッグを買ってきていたのですが

それを渡すと彼女もとても喜んでくれて

兄はあの頃が一番明るくて楽しそうだったなあ・・・

幸せそうにしていた兄の姿は

思い出すのも楽しいものです。

 

兄がいてくれた頃・・・

私にはキラキラした季節でした。

 


菜の花の候 告知

2019-01-31 10:22:02 | つれづれ

 

 

 

 

新年を迎えお墓参りのついでに

妹と待ち合わせて こうちゃんのお父さんのE君のお見舞いに行きました。

どうやら昨年から入退院を繰り返しているようで

こうちゃんによると胃がんらしいとの事。

こうちゃんもお父さんと衝突して家を出てから

あまり交流はない為に 弟のとし君から何でも聞くようなのですが

話がどうもはっきりせず とにかくお見舞いに行くことに。

「それがね とし君のお嫁さんに電話で聞いたらお尻の病気らしいよ」 と妹。

「痔じゃないのかなあ、痔ろうとか・・」

「ああ そんな事ならまだほっとするね、痛いだろうけど」

「胃がんでなくてよかったわあ~ 」

などと言いつつ病室に行くとマスクをつけたE君が横たわっていました。

そばにはとし君が付き添っています。

「どうしたの~ ?すっかり痩せちゃって」

「あかんねぇ病気になってしまって さっぱりですわ」

聞くと今日これから主治医の説明があると言うことで

とし君も休みを取ってきたということです。

看護師がご家族の方~ ・・・と迎えに来て どういうご関係ですかと聞きます。

「親しい親戚のものです」とE君が答え

時間があるなら是非とも一緒に聞いてほしいと言います。

戸惑っていると とし君が「おばちゃん頼むよ」 と言うのでついて行きました。

主治医と執刀医がいてやはりどういうご関係ですか と聞きます。

ん?? ただならぬ雰囲気です。

こんな場面にやってきたなんて・・・

「結論から言うと直腸がんです。手術して人工肛門を付けることになります」

「腸も出来るだけ多めに切り取ります」

「ただし大腿部のほうに腫瘍らしきものが写っているので これが癌だともう全身癌ということなので

手術は進めることは出来ません。まずはここを生検して癌細胞かどうかを確認します」

ノートとボールペンを手に聞いていたE君の手が小刻みに震えているのが

告知を受ける患者の衝撃を見るようで心が痛みます。

でも代わりに聞くべきことは聞いておかなくては と

「まず手術の日は 大腿部の生検でいったん染色の結果を待って手術は止まっているわけですね」

「その通りです」

「その時間はどれくらいなのでしょう」

「だいたい3時間ほどです」

「それで結果が陰性であれば人工肛門の方へ進むのですね」

「そうです。その手術が5.6時間になると思います」

「経過をみながら 術後化学療法に取り掛かります」

「化学療法と放射線療法の併用なんでしょうか?」

「いえ、化学療法をまずやっていこうと思います」

「それは入院したままですか?」

「いえ 通院で外来で点滴投薬になります」

E君の手の震えは徐々に収まって来たようです。

「出来るだけ痛みは抑えるように手は尽くしますから心配しないでください。」

「僕たちも大腿部のものは 腫瘍ではない可能性の方が強いように思っています」

「Eさん まだ若いのに大変ですが一緒に頑張っていきましょう」

私も血液疾患の告知の場面には何度か立ち会ってきましたが

いつも思っていました。

患者さんの恐怖や不安は 医師の態度や言葉でずいぶん緩和されるものです。

まな板の上のコイとは思っていても

あなたと一緒に我々も頑張りますよという姿勢が

不安を100から70にも50にもしてくれるものです。

主治医の言葉には真摯なものが感じられてよかった・・と感謝です。

手術の日も決まり「よろしくお願いします」と頭を下げて

病室に戻るとふう~ とE君大きなため息ひとつ。

「ちょうど来てもらった時で良かった。」

 

E君の為に私たちが出来ることは少ないですが

妹が 「わたしがこうちゃんを連れて来るわ」と

涙を見せます。

似たもの同士が親子喧嘩して もう何年も和解に至ってないのですね。

こうちゃんはあんなにいい子なのに

ことお父さんに対しては反発が収まらないのです。

弟のとし君一家が同居して世話しているとは言え

E君は心の中では こうちゃんが心配で寂しいはずです。

子は親を選ぶことは出来ませんが

こうちゃんの反発は あまりにふたりが頑固で似ているためなのでしょう。

悪い親ならともかく 口うるさいだけで

そもそも母の居ない兄弟を 苦労して厳しく育てた父を

そろそろ理解して受け入れる年代に来ています。

ただ 後悔しないで欲しいです。

 

帰る道々、こんな機会ではあるけれど

親子が心通わせてくれますように・・・と願うばかりでした。

 

 

 

 

琵琶湖の東岸ではなぎさ公園に菜の花が咲き

対岸の比良山系の雪に映えて 春は遠くないよと知らせているようでしよ。

 


色っぽい大原女さん

2018-12-07 07:10:11 | つれづれ

 

 

叡電鉄道 八瀬比叡山口を出たところにある

お土産など売っているお店の前に

看板娘でしょうか 大原女さんが

お店の方を向いて座っています。

「 ん? 」

折からの光の当たり方で 顔の一部だけが明るく見えて

ほう~ なんとも色っぽいですね~ ^-^

思わずはっとして正面に回ると

これはマネキンで作った案山子のようです。

被った手ぬぐいからちょっと見える顔の輪郭が

光の明暗の中で妙に艶っぽかったりして ^-^

左斜めからが一番いいですね~ 。

遊び心で撮ってみましたよ。

 

こんな大原女さんに出会ったら

女性の私でもどぎまぎするかも知れませんね (笑)

 


京都大原ほっこり散歩

2018-12-01 06:50:11 | つれづれ

 

 

 そう遠くもないので 大原三千院あたりは

ぶらっと散策しながら歩いたりしています。

↑ は宝泉院、庭を眺めながらお茶をいただきます。

平日の人の少ない時が落ち着いていいかも・・

 

 

 

三千院の前前通りはいろんなお店が出ていて

京らしい風情にも溢れていますね。

私はにしんそばはちょっと苦手でしょうか。

山菜かとろろそばの方にいきますね。^-^

この日は三千院以外のところを歩いてみます。

 

 

 秋も深くなると漬物屋さんの表も大根が積まれて

ここでの冬前の風物詩のようです。

千枚漬けが好きなので 冬になるとよく買っています。

 

 

 こちらは宝泉院の門。

もうすっかり晩秋の趣ですが

まわりはまだまだ紅葉の盛りになっていない所もありますね。

 

 

 中には 囲炉裏がきってある部屋もあって

どこか懐かしい味わいがありますね。

 

 

そう言えば 他のお寺で出会った

三重から来たというひとり旅の学生さんは 

三千院を知りませんでした。

京都大原三千院 ♪

恋に疲れた女がひとり~ ♪

年代なのでしょうか この歌も知らないって・・・(゚д゚)!

「失恋した女性が一人旅で来るのに似合う所って 歌が昔あったのよ」

「今なら 失恋した男がひとりでやってくるかも (笑)」 なんて

笑って別れましたが 時代は変わっていくのですね。

 

大原のほっこり散歩でした。

 


童謡 里の秋

2018-11-26 07:30:17 | つれづれ

 

 

しずかなしずかな里の秋

 

おせどに木の実の落ちる夜は

 

ああ かあさんとただ二人

 

栗の実にてます いろりばた

                                           作詞 斎藤信夫

                                           作曲 海沼 実

 

ほんの何気ない風景が 

心に染み入ることがありますね。

今、こちらでは京都を中心に

紅葉の彩りが真っ盛りです。

そんな折、まだ日も出ない霞んだ朝に

色を廃したような柿の木が

遠い昔くちずさんだ童謡を思い出させます。

 

あの頃、

無邪気でお転婆なおんなの子は

もうすでに ふるさとを遠くはなれて

しみじみ思う年代に入ってきましたよ。

 

 


家族のかたち( 京都女子会にて )

2018-11-15 07:00:38 | つれづれ

 

 

空白の2年間を埋めるように場所を移して

京都女子会のおしゃべりは続きます。

今日は私の話を聞いて というHさんが口火を切って

「それがね、 まだかまだかと待っていた単身赴任の主人が帰って来たのよ」

「わあ それは良かったじゃない。やっと元の生活に戻れるね~ 」

「何年ぶり?」

「7年・・・」

「7年かあ 仕事とはいえ長かったね~ 」

「なんだかね、つくづくこの頃思うのよ。家族ってなんだろって」

「ん?なんだか深刻なのかな?何でも聞くよ」と Yさん。

「そうでもないのだけど 結婚して二人で働いて気楽な生活の中で子供も二人授かって」

「ああ 最初はご両親と別居だったね~ 」

「そ、で 家を建てることにして主人の親と同居したのね。2世帯住宅でそれぞれ

自分たちのスタイルを変えずに 台所も別で食事も其々別にすることで干渉しない生活」

「理想的だったんじゃない?」

「それが子供たちがだんだん大きくなり、おじいちゃんおばあちゃんとも少しずつ離れてね」

「それは仕方ないね~ 子供はゆくゆく巣立つのだし」

「そしたら 家族の中心にいたおばあちゃんが急に亡くなって・・・」

「たしか豪快なおばあちゃんと聞いてたけど」

「うん それから子供がひとり、ふたりと大学へ行くのに家を離れて おじいちゃんと主人と

私の3人の生活になったと思ったら、主人に転勤の話が来たでしょ」

「通えないから単身赴任だとの事で 娘なんかは大反対してね」

「そだね~ お舅さんと二人暮らしってお互い気を使うよね」

「何度か交渉したらしいけど 悪いが行ってくれとの事で主人から親父の事頼むよって言われてぇ」

「ご主人も ずいぶん迷った挙句の決断だっただろうね」

「幸い おじいちゃんは何でも自分で出来る人なんで 食事も洗濯も掃除も

全部手を出さないでくれと言われて それぞれ別にしてたのよ」

「でも もともと無口な人だし会話もろくに無いし 食べることだけが楽しみで

私は仕事の後ジムに通って そこでお風呂に入って帰る生活だったのね」

「おじいちゃんとの関係性にもよるけど ずっとおばあちゃんが間にいての関係なら

微妙にむずかしかったろうね」

「で 今回主人が7年ぶりに帰って来たのでほっとしてたのね。これで元の生活に戻れる。

おじいちゃんも話し相手が出来て安心だろうって」

「主人は単身赴任中は全部自分でしていたのが 帰ってきたらもう何もしないのよ」

「あはは 何でもしてもらえるって甘えてるのね」

「だけど ふたりとも働いているのだし少しくらい分担してくれても・・・」

「そうね 7年も家を守って来たんだものね」

「家族って・・・ふたりから始まって子供が出来て親と同居したら

いちどに賑やかになって楽しかったけど、子供が成長すると巣立っていって

おばあちゃんも亡くなって どこか寂しそうなおじいちゃんと

なんにもしなくなった主人とわたし・・・こうして老いて行くのかな・・・って」

「そっかあ そんな事考えてたのか、ふっとそんな事思う時あるんだよね」

「家族ってその時代ごとに形を変えていくのは仕方ないのよね。みんなそうしてそのあとの夫婦を

どう過ごしていくか考えるのだろうね」

「若い時は子供の成長だとか仕事だとか 目標がはっきりしてるからがむしゃらになれるけど」」

「ひと段落したら 自分を振り返る時が来るってことね」

「ご主人は帰って来たばかりで多分 今は甘えが出てるんだろうけど

家事の何か一つお願いして褒めあげて 徐々に増やしていけば ? 」

「 そだね~ そうするかっ (笑) 」

「私たちもやがて高齢者に向かって行くけど、今の60代、70代って若いよ~

これから第2の青春が始まると思って素敵に過ごす挑戦ね」

 

家族かあ・・・

Hさんも仲間で話すことでガス抜きが出来たと言って

京都女子会 また来年です。^-^

 


たまゆらの時

2018-11-02 07:43:17 | つれづれ

 

 

4,5年前に 定年を迎えられたA部長のお疲れ様会で

部長自身の 「バケットリスト」 の話を聞きました。

当時はまだ耳慣れない言葉で

T君と私は聞き直したものでしたね。

まだ若い頃に1年休職してケニアに渡った部長は

そこで細菌検査のボランティアに従事して

未開の後進国の実態に大いに心揺さぶられて

元気なら定年後もまた行きたい とおっしゃっていました。

今の60歳ってまだまだ若いですものね。

その「バケットリスト」のひとつが実現されたかどうかは

知る機会がないまま 私たちは日常に追われていましたが・・

私もあることがきっかけで

自分自身の「バケットリスト」を考えてみました。

死ぬまでにまでにやっておきたい事のリスト・・・

それも 活動的に行動できるうちに出来ると尚いいですね。

死ぬまでにというと大仰ですが

生涯でやっておきたい事と思えば いろいろ浮かんできます。

20代、30代、40代、50代と年を重ねるうちに

したいことは取り巻く環境によって、より現実的になって

夢のハードルは 徐々に下がってくるようですね。

少しでも早く着手すると 具体的なプランが見えてくるようで

自分の目標が 定まっていくような気がしています。

取り立てて特別なことはないけれど

一番に思うのは

その時に後悔が少ないように暮らそう・・・

私の大事な人たちが 後悔を抱えないように生きよう・・・

 

ノートには3つの「バケットリスト」が記されました。

がんばろう!! わ た し 、人生は思うより短い。

 


黄昏はことに寂しと言う妻の・・・

2018-09-10 08:35:00 | つれづれ

 

 

☆ 黄昏はことに寂しと言う妻の

         指の白さや伏して3年 ☆

 

私がまだ大阪で勤務していた頃

ご夫婦で働いておられたご主人の方が詠まれた歌です。

奥さんは太っ腹な鷹揚な方で

私たちも可愛がってもらったものです。

奥さんは細菌、ご主人は生理検査に携わっておられました。

ある時奥さんが体の不調を訴えられて

検査したところ膵臓に重篤な所見が見つかりました。

病理担当があんな症例は見たことないほど深刻だと

表情を暗くしていたものです。

膵臓の腫瘍は発見された時には遅いとよく言われます。

それほど見つかりにくいのですね。

当然私たちの検査でも多くの項目に異常値が出ました。

主治医はよくもってあと1年でしょう とご夫婦に告げたと言います。

余命を告げられる気持ちっていったい・・・

それでも最新医療も模索して いろんな所に出かけて治療を施して

頑張って頑張って 3年後に亡くなりました。

先の歌はお葬式でご主人が披露されたものです。

いちど聞いたら忘れられない歌でした。

 

通院時 部屋に顔を見せてくれることもあって

ずいぶんとスリムになった体を皆からいじられても

「わはは ちょうどいいでしょ」 と笑い飛ばしていました。

人は覚悟が定まると強くなるように見えます。

計り知れない悲しみが隠されていることも 私たちは皆承知しながら

ごくごく普通に世間話をしていました。

 

今になって突きつけられた余命と

どう向き合っておられたのかと その思いに対峙すると

「あとどれ位と分かっているのもいいかも知れない。逆算して過ごす努力が出来るからね。

宿題を置いたままだと心残りでしょ」 と

そんな事も言われたのを思い出します。

まだ50代初めでした。

 

秋の黄昏時

赤く染まった空をふたりで縁側に座って

見ていた時の歌だと話されたご主人は

「もう 痛い痛いという声が休まるのだと思うと どこかでホッとしています」 と

奥さんが自分で選んだという遺影に 微笑みかけておられたのが印象的でした。

 

                                             ☆ 写真は高島市の夕景


夏をほどいて 

2018-09-02 16:46:00 | つれづれ

 

 

 お元気ですか・・・と

今年もまた自筆の残暑見舞いが届きました。

母のお茶の一番長いお弟子さんからです。

筆まめというのか もう母が亡くなって5年目に入るのに

娘の私にあてて

毎年命日にお供えしてくださいと 母の好きな和菓子を連名で送って下さり

残暑の折には 近況やら思うことなど書いてくださいます。

どうやらお仲間で貴船の川床を楽しまれたようで

その様子を 「夏をほどいたようでした」 と

よほど涼しく感じられたのでしょうね~ ^-^

娘の頃から かれこれ30年近く母のお稽古に通われ

母がひざを痛めて辞めてからも

気の合った他の3人と 毎月1度食事会に連れ出してくれたり

ほんとにありがたいお弟子さんたちでした。

 

今年は大変な暑さが続く夏でしたね。

そうでしたか・・貴船に涼を求めて ^-^

夏がほどけましたか ^-^

特徴のある丸文字で可愛らしい絵に

いつも優しい言葉が綴られています。

自筆の手紙ももらうこともなくなった時代になりましたが

命日と夏に届く変わらないお気持ちが

ほんとうに嬉しく感謝 感謝です。^-^

 


サライの空へ

2018-08-27 16:43:00 | つれづれ

 

 

遠い夢すてきれずに故郷をすてた

穏やかな春の日差しが揺れる小さな駅舎

別離より悲しみより憧憬はつよく

淋しさと背中合わせのひとりきりの旅立ち

動き始めた汽車の窓辺を

流れていく景色だけをじっと見ていた

・・・・・

・・・・・

まぶた閉じれば浮かぶ景色が

迷いながらいつか帰る愛の故郷

サクラ吹雪のサライの空へ

いつか帰るその時まで夢はすてない

 

この時期、24時間テレビのフィナーレで歌われる歌詞が

毎年 どうしようもない切なさと共に

もう数十年前のシーンを蘇らせます。

親元を離れて働き始めて1年、原因不明の病を得て

親元に帰り静養していたものの

これではいけない・・・自立しなくては

何のためにライセンスを取るのに猛勉強したのか・・・

母にも相談せず 大阪の病院の面接に行き採用となりました。

いざ 大阪に向かうという日、

「ねえ、お願いだから行かないで。そんな青い顔して心配だから家にいて」

「思うようにしなさい」 父の一言で許されたことでしたが

自転車に私のバッグを積んで押しながら 駅まで送ってくれて

「お母さんの言う事を聞いて・・・なにかあったらどうするの」

母が赤い目をして まだ必死に説得します。

「今頑張らないとだめになるから」

振り切るように 故郷の駅舎から電車に乗りました。

電車が動き始めて 窓の向こうに母が駅の朔から

身を乗り出すようにしているのが見えました。

その姿を見ていられず目を反らし

今 思うと前だけを見ていたような気がします。

おそらくは電車が見えなくなるまで 身を乗り出していただろう母が思われ

トンネルの中で泣きました。

必ずまた帰ってくるからね、頑張るからね。

 

青春時代の切ないひとコマ 誰にもありますよね。

 

 

 

サライの歌を聞くたびに あの日が蘇ってきて

子供は何度親を泣かせ傷つけるのだろうか・・・と

今は もういない母が恋しく偲ばれます。

許されて愛されて守られていた日々が 

あのローカル線のふるさとにありました。

 

                                      ☆ 写真は新舞子の夕景