学級通信に掲載された生徒作文をご紹介します。
3年生ならではの「ドラマ」が展開します。
楽 し ん だ 大 運 動 会
「俺がやります!」今年の3月、僕は白組の団長に決まった。もし自分が以前のようなクラスの三、四十人いるようなクラスにいれば、僕は100パーセント団長になってやろう、などとは思わなかっただろう。しかし、この学校に3年生は4人、自分がやらなきゃ、誰がやるんだ、そう思ったこともあり、団長になった。正直、この頃団長の仕事を完全になめていた。まさかあそこまで大変だったとは、、、
4月の終わり頃、応援の構成づくりが始まった。ここでいきなり難関にぶつかった。創作ダンスだ。自分は創作が苦手だ。美術で自分の好きなものを描けと言われたり、音楽で作詞をする時など案はある程度浮かぶのだが、どれにしようか迷い続け、なかなか決まらない。そんな僕にとって、ダンスを一から作るなんて超難関だ。そんな中、ダンスが完成できたのは、同じ白組のK君のおかげだろう。彼は自分とは比べものにならない圧倒的なセンスの良さと決断力で、次々にダンスを決めていった。今思うと、きっと彼は僕ではダンスはなかなか決まらないだろうと、察していたのかも知れない。そうだとすれば、彼は自分の欠点をカバーしてくれたのだ。助け合うことはとても大切だと、改めて思った。
応援合戦の構成もほぼ決まり、いよいよ下級生にダンスを教えることになった。ここも難関だった。二年生はダンスの覚えが良かった。やはり昨年踊った実績があったからだろうか。しかし、問題は一年生だ。基本自分が中心となり教えたのだが、二年生と比べ覚えが悪い。この頃の僕はなぜダンスを覚えてくれないのか悩んでいた。自分の教え方が悪いのかな、そんな風に考えてしまった。それでも何とか形はどうあれ、一通り踊れるようになり、競技練習も進んできた。しかし、青組との合同練習などで、一つ気になることが出てきた。青組と比べ、明らかに声が出ていなかった。あらゆるスポーツで「声」というものは絶対必要である。野球、サッカー、バレー、個人競技である卓球だって必要だ。声を出すことで味方とコミュニケーションをとり、自分やチームの士気も高まる。しかし白組にはその声が足りない。声だけじゃない、テンションが低い。モチベーションが感じられない。みんな目標は頭に入っていただろうが、それがどの程度なのか、ダンスの練習の成果が見られない。忘れ物をしてくる、そういったあたりによく表れていた。そしてそのまま本番一週間前になった。
そして本番三日前、僕とK君はあることを全員に話した。
「楽しもう」
これを機に、僕は、白組は変わった。僕は結団式の時、こう言った。「応援、競技のどちらも勝利し、完全優勝を目指しましょう!」この頃の僕には運動会を全力で楽しもうなんて思いは微塵もなかった。勝利して、その喜びをみんなで分かち合おう、そう思っていた。だからいつもは甘い僕も、厳しく接した。返事がなかった時は「返事!」と怒鳴ったりした。これはまだ人として当然のことだから、良いかも知れない。だが、ダンス自主練をやってきていない時、あれは怒りすぎだった。なぜみんなのテンションが低いのか、それは自分が勝ちに拘りすぎて、楽しもうという気持ちを少しも見せていなかったからだ。
「楽しもう」と呼びかけて以来、チームの空気ががらりと変わった。笑顔が見え、練習の動きがとても良くなった。特に11人12脚は、タイムが1分20秒から40秒へ大きく短縮。きっとみんなも運動会を心から楽しもうと思ったのだと思う。そんな最高のムードのまま、当日を迎えた。
当日、競技の部大縄跳びは青に大敗。しかし勝利ではなく楽しむと決めた白組は、そんなことじゃへこたれない。そのままムードを崩すことなく、11人12脚、前日、タイムを大きく短縮したかいがあって、大差で勝利。とても嬉しかった。勝ったことより全員でベストを尽くせたことが嬉しかった。綱引きは青に2本取られ、あっさり負け。タイヤ奪いは作戦が成功し、見事勝利。全校リレーも全員が全力で走り、勝利。応援の部は途中途中笛を鳴らし忘れたりしたが、何とかきれいにまとまった。
結果は、競技の部は優勝、応援の部は準優勝。白組の目標は応援競技共に優勝することだ。しかし結果は応援で優勝できなかった。でも僕は心から満足していた。優勝という目標も完全に捨てた訳ではない。でもそれ以上に、心から大運動会を楽しむことができたことに満足していた。僕は最後白組のみんなにこう言った。「今回は結果がついてきたけれど、結果じゃなくてここまでの協力、団結に価値があると思うよ!」自分の言葉だけど、全くその通りだ。
こうして僕は、仲間と団結の大切さを知り、大運動会を心から楽しむことで、最高の行事にできた。この思い出ははきっと一生忘れないだろう。
3年生ならではの「ドラマ」が展開します。
楽 し ん だ 大 運 動 会
「俺がやります!」今年の3月、僕は白組の団長に決まった。もし自分が以前のようなクラスの三、四十人いるようなクラスにいれば、僕は100パーセント団長になってやろう、などとは思わなかっただろう。しかし、この学校に3年生は4人、自分がやらなきゃ、誰がやるんだ、そう思ったこともあり、団長になった。正直、この頃団長の仕事を完全になめていた。まさかあそこまで大変だったとは、、、
4月の終わり頃、応援の構成づくりが始まった。ここでいきなり難関にぶつかった。創作ダンスだ。自分は創作が苦手だ。美術で自分の好きなものを描けと言われたり、音楽で作詞をする時など案はある程度浮かぶのだが、どれにしようか迷い続け、なかなか決まらない。そんな僕にとって、ダンスを一から作るなんて超難関だ。そんな中、ダンスが完成できたのは、同じ白組のK君のおかげだろう。彼は自分とは比べものにならない圧倒的なセンスの良さと決断力で、次々にダンスを決めていった。今思うと、きっと彼は僕ではダンスはなかなか決まらないだろうと、察していたのかも知れない。そうだとすれば、彼は自分の欠点をカバーしてくれたのだ。助け合うことはとても大切だと、改めて思った。
応援合戦の構成もほぼ決まり、いよいよ下級生にダンスを教えることになった。ここも難関だった。二年生はダンスの覚えが良かった。やはり昨年踊った実績があったからだろうか。しかし、問題は一年生だ。基本自分が中心となり教えたのだが、二年生と比べ覚えが悪い。この頃の僕はなぜダンスを覚えてくれないのか悩んでいた。自分の教え方が悪いのかな、そんな風に考えてしまった。それでも何とか形はどうあれ、一通り踊れるようになり、競技練習も進んできた。しかし、青組との合同練習などで、一つ気になることが出てきた。青組と比べ、明らかに声が出ていなかった。あらゆるスポーツで「声」というものは絶対必要である。野球、サッカー、バレー、個人競技である卓球だって必要だ。声を出すことで味方とコミュニケーションをとり、自分やチームの士気も高まる。しかし白組にはその声が足りない。声だけじゃない、テンションが低い。モチベーションが感じられない。みんな目標は頭に入っていただろうが、それがどの程度なのか、ダンスの練習の成果が見られない。忘れ物をしてくる、そういったあたりによく表れていた。そしてそのまま本番一週間前になった。
そして本番三日前、僕とK君はあることを全員に話した。
「楽しもう」
これを機に、僕は、白組は変わった。僕は結団式の時、こう言った。「応援、競技のどちらも勝利し、完全優勝を目指しましょう!」この頃の僕には運動会を全力で楽しもうなんて思いは微塵もなかった。勝利して、その喜びをみんなで分かち合おう、そう思っていた。だからいつもは甘い僕も、厳しく接した。返事がなかった時は「返事!」と怒鳴ったりした。これはまだ人として当然のことだから、良いかも知れない。だが、ダンス自主練をやってきていない時、あれは怒りすぎだった。なぜみんなのテンションが低いのか、それは自分が勝ちに拘りすぎて、楽しもうという気持ちを少しも見せていなかったからだ。
「楽しもう」と呼びかけて以来、チームの空気ががらりと変わった。笑顔が見え、練習の動きがとても良くなった。特に11人12脚は、タイムが1分20秒から40秒へ大きく短縮。きっとみんなも運動会を心から楽しもうと思ったのだと思う。そんな最高のムードのまま、当日を迎えた。
当日、競技の部大縄跳びは青に大敗。しかし勝利ではなく楽しむと決めた白組は、そんなことじゃへこたれない。そのままムードを崩すことなく、11人12脚、前日、タイムを大きく短縮したかいがあって、大差で勝利。とても嬉しかった。勝ったことより全員でベストを尽くせたことが嬉しかった。綱引きは青に2本取られ、あっさり負け。タイヤ奪いは作戦が成功し、見事勝利。全校リレーも全員が全力で走り、勝利。応援の部は途中途中笛を鳴らし忘れたりしたが、何とかきれいにまとまった。
結果は、競技の部は優勝、応援の部は準優勝。白組の目標は応援競技共に優勝することだ。しかし結果は応援で優勝できなかった。でも僕は心から満足していた。優勝という目標も完全に捨てた訳ではない。でもそれ以上に、心から大運動会を楽しむことができたことに満足していた。僕は最後白組のみんなにこう言った。「今回は結果がついてきたけれど、結果じゃなくてここまでの協力、団結に価値があると思うよ!」自分の言葉だけど、全くその通りだ。
こうして僕は、仲間と団結の大切さを知り、大運動会を心から楽しむことで、最高の行事にできた。この思い出ははきっと一生忘れないだろう。