2009年8月14日~22日
北海道旅行としては、私が大学3年の夏休みに1週間かけて函館から道東をレンタカー(日産パルサー5ドア)で周ったのが始まりである。
その後、結婚して嫁様と1泊2日の知床、一家での稚内、札幌、同じく一家での札幌、小樽と続く。
今回は、今まで飛行機で北海道入りし、現地でレンタカーを借りていたパターンからいつか実現を夢見て来た、”マイカーでの北海道ドライブ”を苦節30年の時を経て実現した。
コースは自宅~函館~帯広~網走~ウトロ(知床)~納沙布~釧路~襟裳~静内~札幌~青森~自宅とした。
8月14日
コース:自宅~あきる野IC~圏央道~川島IC~羽生IC~東北道~青森IC~青函フェリー(青森)~青函フェリー(函館)~五稜郭~函館山~民宿みかみ荘
政府の景気対策の一環として打ち出された高速道路”千円”施策に乗って、長年の夢であった”マイカーで北海道ドライブ”をいよいよ実現する時が来た。
東京から北海道を目指すには、大きく2つの方法が考えられた。
1つは「フェリーの利用」。もう1つは「陸路(高速道)の利用」である。
フェリーを利用することは、極力疲労を少なくする意味からは最善の策と誰もが考えるだろう。しかし、疲労の軽減は、”経済的負担と時間的ロス”を伴うのも事実であった。一方、”経済的負担と時間的ロス”を抑える方法(陸路を自力で運転する)は、その分体力の消耗を伴った。
そこで、極力”経済的負担と時間的ロス”を抑えつつ”体力の消耗”も抑える方法は?と考えた時、結論は陸路を嫁様と交替で運転して行くということだった。
かくして方針は決まった。しかし、そこで次の問題が出て来た。「SAABで行くか、PT-Cruiserで行くか」である。
前回のGW「北東北ドライブ」はSAABで行ったわけだが、今回はどうするか?かなり迷ったが、結果、嫁様と交替での運転は、嫁様が日頃慣れているPTを選択しておくのが無難だろうと言うことになった。また、SAABは今年満10歳を迎える熟年車であるため、経年劣化による若干の「雨漏り」が発生している。加えて、全国的に近年里への”クマ”の出没が増えているとの話しで、SAABの”幌”では非常に不安である。そんなこんなでのPTの選択となった。
自宅を出たのは8/14(金)午前0:00。
コースとしては、八王子IC~高井戸~首都高~東北道で青森に向かうのが順当であると思われた。事実、インターネットのドライブコース検索でもそのようなコースを指示して来る。しかし、今回は盆休みのピーク時であること、首都高を抜けると料金がそれだけ高くなることなどを考慮し、先ず圏央道を現状の最終点「川島IC」まで行き、一般道を経由して「羽生IC」から東北道に乗り換えるという手法を考えた。
これにより、僅か数百円ではあるが通行料が安くなると同時に、渋滞しやすい首都高を回避できる。勿論、この時期の東北道は渋滞のメッカとなり、特に那須(栃木県)付近の渋滞は慢性的のようであったが、これも時間帯を上手く選べれば問題ないと思われた。
今回の北海道ドライブ実行に当たっては、準備しなくてはいけない”こと”、”もの”。有ればその方が便利な”もの”など色々あったが、とにかく準備した”もの”の中に、ポータブルナビが有る。
購入したのはSONYの「NAV-Uシリーズ;NV-U3」であった。何故これを選んだか、機能的な問題、使用感など詳細はHP別項”愛車SAAB9-3 Cabriolet”で報告予定のため、当文では省略させて頂く。
このNAV-U、小さいが結構使えるヤツで、圏央道川島ICから東北道羽生ICまでの一般道を誘導してくれたのもこの秘密兵器だった。
東北道の渋滞予測では、那須付近の渋滞がam2:00頃から始まるとされていたため、できるだけ2:00前に通過してしまいたかったのだが、道は予想以上に順調で、難なく通過することができた。
結局、東北道では渋滞らしき渋滞には遭遇することなく、無事青森に着くこととなった。
青森に近付いたam7:00頃、北海道に渡る次の行程”フェリー”の予約をすることとなり、青函フェリーに電話をした所、8/14の函館行きフェリーは予約で全て満杯とのこと。後はキャンセル待ちしかないとのことから、フェリー乗り場に直行することとなった。
フェリー乗り場に着いたのはam8:00頃だった。先ず向かったのは「青函フェリー」のカウンターで、11:35のフェリーのキャンセル待ちを申し込んだ。この後、青函間にはもう1社「津軽海峡フェリー」が就航している事実を知り、そちらのカウンターにも行ってみた所、やはりキャンセル待ちということであったため、念のためこちらにもキャンセル待ちを入れておくことにした。
結果的に両者ともキャンセル待ちで乗船可能となり、どちらに乗るか判断に迷ったが、料金が若干安く、その分(?)やや時間のかかる「青函フェリー」に乗ることに決めた。
写真は青森フェリー乗り場で乗船待ちをしている時のものである。
約4時間の乗船で、函館港に着いたのは15:30頃だった。宿泊を決めている「民宿みかみ荘」へのチェックインにはまだ少し早いと思われ、取り合えず夫婦2人ともまだ行ったことのない「五稜郭」に足を向けることにした。
ポータブルナビ「NAV-U」の誘導で五稜郭傍の駐車場に着くとそこから五稜郭までは歩いて数分の距離だった。
日本の名城をイメージするほどの期待感は無かったが、それでも明治維新を飾る激戦地最後の場所だけに、現物は思いの外あっさりした雰囲気にやや拍子抜けする思いだった。
現在の五稜郭は市民の公園、憩いの場として開放されているようである。確かに、公園としては○○城址公園という感じではなく、城壁はあるものの趣を異にしていると思う。
五稜郭を後にするとこの日宿泊する「民宿みかみ荘」へ向かった。
住所をナビに入れて誘導を促し、ナビのいう所に着いてみるとそれらしき宿が見当たらない。仕方なく宿に電話を入れて聞いてみると、何と宿の裏側に着いてしまったらしい。宿のご主人が誘導するから待っていて下さいという。
暫くすると自転車に乗った50代位の男性が出て来た。意表を突いた宿のご主人の登場に唖然としながら後に着いて行くと、確かにそこは先ほどの場所の裏側に位置する大通り沿いの場所であった。 翌日判明したことであるが、この付近は新撰組の土方歳三が亡くなった場所らしい。宿のご主人の説明では「野原で死んだので、正確な場所は特定できない」とのこと。
チェックインをして必要な荷物だけ部屋に置くと、再び愛車に乗って函館山を目指した。その昔、私がまだ学生の頃やはり夏休みにこの函館から北海道旅行(ドライブ)を始めた。当時の函館山は一般車も頂上の展望パーキングまで登れた記憶があるのだが、今はそれも規制されて、頂上まではロープーウェー、路線バス、タクシーの何れかの方法でしか行くことができなくなっていた。
私達夫婦は、ロープーウェー乗場の駐車場に車を置くと、先ず近隣を歩いてみた。
「聖ヨハネ教会」「旧函館区公民館」「旧イギリス領事館」などがあり、チョット神戸の北野のようなイメージが感じられた。 旧イギリス領事館では、港(函館港)を見ながらお茶ができる喫茶室があり、カップルでの来館はさぞかしムードのある一時が送れるだろう・・・彼女を落とすには最高のシチュエーション作りになるのではないかと想像された。
少し夕闇が近付いたpm6:30頃、いよいよロープーウェーに乗るために乗場に向かった。そこではロープーウェーの乗車待ちで行列ができていた。こんなに大勢の人間が山に登って夜景を見るのかと、チョット嫌気が差したが、ここまで来て引き返すのも勿体無いと、列に加わったのだった。
函館山の頂上は私が30年ほど前に来た時とは全く別世界に変貌していた。展望台のあるビルは綺麗に整備され、展望レストランや喫茶ルームがあれば、ゲームコーナーやお土産物コーナーなども設置されていた。振り返って当時はと言えば、朧気ながらの記憶だが、少なくともロープーウェーの乗降場所と、展望台のあるビルは別作りになっていたと思うし、展望レストランや喫茶も無かったように思う。
この日の函館山は、ロープーウェーを降りた途端に「寒い」と感じるほど、お盆の気温とは思えない状態だった。
函館の街の夜景を一望する展望台であったが、夕闇が濃くなるに連れてどんどん人口が増えて来るのを感じた我々2人は、展望レストラン、喫茶も満員状態であることから、寒さも手伝って、早々の撤退を行ったのであった。
山から下りると、真っ直ぐ宿に向かうのではなく、嫁様のお約束「地元スーパー見学」のため、近隣のスーパーに立ち寄った。私はスーパーの前に停めた車の中で、暫し呆然の体を取ったのだった。
宿では夕食、朝食は頼まず、素泊まりの予約だったため、夕飯を買出しに行かなくてはならなかった。
この日の夕食は嫁様の調査により、ハセガワストアの「焼き鳥弁当」という物に決まっていた。「焼き鳥」と言いながら、実は「焼き豚」というのが本当であった。
近所をナビで検索して販売店を捜し回り、漸く購入して宿に戻って来ると、宿の駐車場には札幌や帯広ナンバーのバイク数台がとまっていた。どうもこの宿は、道内を中心としたライダー(バイク愛好家)のご用達宿のようであった。
宿は「民宿」の名の通りコジンマリとしたものであったが、それでも洋室と和室があり、我が夫婦は洋室を選択させて頂いた。
ベットはやや固めのクッションだったが寝難いことは無かった。
宿には申し訳なかったが、この洋室で買って来た「焼き鳥弁当」他を食し、夕飯としたのだった。
走行距離: 745.4km
給油量: 64.17L(レギュラー(R):54.17L ハイオク(H):10.0L)
燃費: 11.6km/L