和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:125日目 譬えば山を為るが如し


譬(たと)えば山を為(つく)るが如し


「子 曰(のたま)わく、譬えば山を為るが如し。未だ一簣(いっき)を成さずして、止(や)むは吾が止むなり。譬えば地を平らかにするが如し。一簣を覆(くつがえ)すと雖(いえど)も、進は吾が往(い)くなり。」


■その意味は?

孔子(先生)が言われた。
『修行というものは、たとえば山を造るようなものだ。もう一もっこで完成するのに〔そこで〕止めるのは、自分の責である。また窪地を平らかにするのにたとえ一もっこでもあければ〔進める〕、それだけ自分が仕事を進めたことになる。』

(「論語」一日一言より)

※ 「簣、もっこ」とは、土砂を運ぶための藁などで出来た籠のこと。


■感想

たとえば、「誰かがやらないから、自分もやらない。」、「誰かが行うから、自分も行う」とかではなく、自分というものにきちんと責任を置くことが大切であり、またそれは他人に責任を押し付けてはならない、ということを意味する。


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