論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
王孫賈問曰、與其媚於奧、寧媚於竈、何謂也。子曰、不然。獲罪於天、無所禱也。
《翻訳》
王孫賈〔おうそんか〕 問うて曰〔い〕わく、其〔そ〕の奥〔おく〕に媚〔こ〕びんよりは、寧〔むし〕ろ竈〔そう〕に媚びよとは、何〔なん〕の謂〔い〕いぞや、と。子 曰〔のたま〕わく、然〔しか〕らず。罪〔つみ〕を天に獲〔う〕れば、禱〔いの〕る所 無〔な〕し、と。
王孫賈〔おうそんか〕 問うて曰〔い〕わく、其〔そ〕の奥〔おく〕に媚〔こ〕びんよりは、寧〔むし〕ろ竈〔そう〕に媚びよとは、何〔なん〕の謂〔い〕いぞや、と。子 曰〔のたま〕わく、然〔しか〕らず。罪〔つみ〕を天に獲〔う〕れば、禱〔いの〕る所 無〔な〕し、と。
《現代語訳》
衛国に長期滞在されていた孔先生のもとへ、王孫賈(衛国の実力者)殿がやってきて、先生に対して謎かけの問いをされました。
〈長期滞在の許可を得るために、直接、衛の君主に願い出たのではなく、君主夫人を経由して願い出たことに対して〉奥座敷(=国王)に取り入るより、台所(=夫人)に取り入るとは、これは一体どういうことですかな、と。
先生はその問いかけに対して、次のようにお答えになりました。
いやいや、お天道様に背いて叱られては、お許しはどこからも出ませんからね、と。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない