My Little Tern

~多発性硬化症になって~

投薬1週間目。長い1ヶ月のはじまり。

2005年08月25日 | 多発性硬化症~入院投薬編~
ステロイドの投薬には副作用がでる事があるそうです。
・体毛が濃くなる
・顔がむくむ(いわゆるムーンフェイス)
・顔にふきでものができる
・少し、精神的に不安定になる・・・
等など、どの症状がでるかは人それぞれだそうです。

検査などもおわっているので、特に何をするでもないので、非常に暇です。
しかも、テレビはテレビカード(有料1枚1000円約10時間)なのでずーっとつけっぱなしにもできません。(ケチ
外泊から戻ってくるときはすぐに退院するつもりでいたので、暇つぶしの道具はほとんど持ってきていませんでした。

持ってきているものといえば、時間のあるときに読みなおそうと思っていた、音楽史の本とラジオだけ・・・。
「そうだ!どうせなら、音楽史の本、これをノートにまとめて書いてしまおう。」何を思ったか、予備にもってきたノートに音楽史の要点を毎日、まとめていくことにしました。
そして、ラジオは、学校に行くときに車で聞いていた朝のFMを聞くようになり、また、NHKのFMでクラシックの放送をしているのをチェックして、昼間の時間、また、夜の時間を過ごしました。また、早朝にはクラシック音楽より古い音楽(バロック)をやっている番組を知り、それを聞きました。ここ数年でこんなにたくさんのクラシック音楽を聴くのは久しぶりかもしれません。(教えてる立場でこんなのいけないのですが)ちょうど、まとめている音楽史の時代と同じころの曲がFMから流れてくるときもあり、より良く聞く事ができました。
こんなにも長い間のブランクがあるのだからただじゃ転ばんぞ!
と、それ以外にも売店で「懸賞付のクロスワード」の雑誌を買い、問題を時間のある限り(特に金券のものや、電化製品、ブランド物)解きまくりました。
時間があれば、とにかく、えんぴつにラジオ、といういでたちでしたので、これにスポーツ新聞がつけばギャンブル好きの主婦ですが、ノートにいろいろ書きまくっていたので、病室の人や看護師さんは最初は学生だと思っていたようです。(そんなに若くみえるのかなぁ
投薬の1週間目はこんな感じで過ぎていきました。特に薬によるひどい副作用もなく、病院での生活時間にもだんだん慣れてきて私の生活リズムができてきたように感じました。

11点滴によるステロイドの投薬

2005年08月22日 | 多発性硬化症~入院投薬編~
入院が伸びた当日から、早速投薬は開始されました。
点滴によるステロイドの投薬です。

点滴が始まり、しばらくすると、なんだか身体が熱くなってきた気がしました。
そのうち、胸が苦しく感じました。
「なんだろう?薬のせい?薬が効いてるの?」
とにかく、キュウーツと締めつけられる感じ。(や、別に恋とかじゃなくって
そして、顔の横が熱くなっているのがはっきり分かりました。
で、点滴が終わり、鏡を見ると顔左側が真っ赤になっていたのです。
その事を看護師さんに言いました。顔のほうは看護師さんが見て、びっくりしていました。
次の日、また点滴かぁと、思っていたら看護師さんが来て、
「点滴は中止になりました。今日からはお薬です。」
6月はじめ、今日から1ヶ月間の服薬が始まりました。

10予定変更、投薬治療へ。

2005年08月22日 | 多発性硬化症~入院投薬編~
外泊の際の症状を看護師さんに伝えた後ほどなく、先生がやってきました。
「しびれが戻ってきたんだって?今はどう?」
「今も少し、痺れとつっぱり感が・・・。」
しばらく先生は考え、
「そうかぁ。これで退院して、また症状が出てきたら大変だからやっぱり、じっくり治した方がいいかもしれないなぁ。お仕事の方は休めるかな?」
「最長で1ヶ月とは言ってあります。」
「そうか。じゃあ、やっぱりじっくり治そう。長くなっちゃうけどその方が安心だし。」
予定大変更です。退院できるなんて連絡してしまった先には急いで予定変更のお知らせをしまくりました。

投薬の治療は主にステロイドを使います。
神経を攻撃している自己免疫を押さえるためです。
私の場合、まず、点滴で大量にステロイドを投薬し、その後薬を服用していきます。薬は8粒から始まり、1週間ごとに量を減らしていきます。2週間目には6粒、4粒、4週間目には2粒。それで、1ヶ月終了。となるわけです。
この薬を投薬中は免疫力が低下するため、病室の外に出るときはマスクを着用、そしてうがい薬によるうがい、お風呂、シャワーは許可がでるまで禁止。と、いう生活をしていくのです。なので、なるべく外部の人との接触は避けるようにしました。お見舞いも身内以外は遠慮してもらっていました。