ゆめる樹

10年前の夢を覚えていますか?

λμνなど

2008-10-02 01:16:54 | みつめる…心身・霊魂


宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のサソリの話です。
サソリはイタチに追いかけられ逃げ井戸の中に落ち溺れます。
サソリは死の間際祈ります。
「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、
 そしてその私がこんどイタチにとられようとしたときはあんなに一生懸命
 逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。…
 どうか神さま。私の心をごらん下さい。
 こんなに虚しく命を捨てず、どうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)
 のために私のからだをおつかい下さい。」
 そしたらいつかサソリは自分の身体がまっ赤なう美しい火になって燃えて
 夜の闇を照らしているのを見ました…。

このお話を
弱肉強食の現代社会では、どう受け止めるのでしょうか?
「弱い者は強い者に喰われてしまうことが生物の輪廻であり
 人間社会の役に立つ」とか
「個人の私的生活に虚しく人生を終えるよりも
 国家のために命を投げ出すことがこの世の光となる」などと
言い募る人たちの寓話になってしまいそうな話です。
道徳教育を最優先課題にする
この国の道徳教材にさえなりかねません。

でも
サソリ座の赤い火の話を
ようく考えてみて下さい。
あなたがサソリだったらどうしますか?

もし私がサソリだとしたら
逃げて逃げて逃げ切ってもっともっと生きて見せます。
イタチから逃げ延びても
他の動物に喰われることになるかもしれません。
井戸に落ちることもなく、イタチや他の動物に喰われることもなく
生き伸びたとしても
サソリの私も、いずれは必ず死んでいかなくてなりません。
それが
命あるものの定めなのです。
サソリ座の真っ赤な火は
生物輪廻の中に存在する生物の命の一瞬の燦めきなのです。
サソリは逃げていいのです。
何処までも何時までも自分のために逃げて
自分のために精一杯生きていいのです。
自分の命の光を精一杯輝かすことこそが
生物輪廻の暗闇を照らす灯なのです。

人間社会でも
いつの時代もいつもいつも
「自分のことより他人の役に立つ」ことこそが善とされます。
けれども
命を持つ者は、自分の命が一番でそれでいいのです。
他人の為にとか国家の為にとか人類の為にとかなどと
自らの生命を捧げなくてもいいのです。
自らの命を大切にすることこそ
自らの命に繋がる生物や地球や宇宙に繋がる道なのです。

さそり座の赤い火は
秋めいた夜空の向こうで雨に霞んでいます。
さそり座の赤い火は
《地球上の植物・動物などあらゆるものを
 大食いし無駄食いしている人間たち。》
《地球上の水・土壌・鉱物などあらゆるものを
 汚染し無駄使いし使い突くしている人間たち。》を
見つめています。

生物連鎖の頂点にいると豪語する人類と
経済社会の頂点にいると豪語する人間が
重なって見えます。

さそり座の赤い火は見えているのに
殆どの人は見ようとしません。
さそり座の赤い火の嘆きを
誰も聴こうとしません。

さそり座の赤い火に
ひとり一人の
それぞれの生命の輝きを見つけましょう。

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