現在、私はフリーター…自由人です。
フリーターの定義を書いているHPを見つけました。
■「フリーター」の定義■
通常「フリーター」とは、
決められた定職につかず、アルバイトやパートで生活をしている人
と狭義の意味(俗な意味)で使われていますが、
フリーターズネットワークではもう少し広い意味でこの存在をとらえています。
簡潔にいえば、いい学校からいい会社(役所)へという、
これまでの一本道のレールから(仕方なく)外されてしまった人、
或いは(自然に)外れていた人、
または(自ら)外れた人達、
などのことを称して「フリーター」と考えています。
例えば、「不登校」や「引きこもり」のひと、
またはそこから脱出した「20代無職」、
「目的を別に持ってフリーターをしている人(夢追い型)」、
「ただ仕方なく(なんとなく)フリーターをしている人(モラトリアム型)」
「自由な立場で働いている人(フリーランス型)」
「リストラされてなかなか職につけない中高年(非自発的フリーター)」
「派遣社員」「パートの主婦」など
様々な人達がフリーターの範疇にはいるでしょう。
又、これらの人達を安易に拒絶しない感覚の人なら
定職についている人でも精神的にフリーターの一員と言えます。
でも、そのHPの掲示板には、
いわゆるアダルト系のお誘いが掲載されており、
いかがわしいものでした。
HPを主催されている方に、全てを同意するわけでは有りません。
何故なら
私は、自由人ですから…
現実社会では、フリーターは、
使い捨て労働者として扱われ、
その日暮らしを余儀なくされている時給労働者、
いつでもホームレスに転落しかねない落伍者…
と見られています。
でも、私は思っています。
「現実の一元的社会から離脱し、
思考回路の振幅を大きく、
自由に羽ばたこうと試みる自由人が、
フリーターです。」
社会で認められる定職を持とうが持たまいが、
私は、生涯自由人でありたいと思います。
この頃、よく思い出します。
食事に事欠いた幼き日々のことを…
あの頃の家族であった兄弟姉妹は、解体し、
それぞれの家族を持ち、
今の満腹社会の一員として、生活しています。
でも、家族を持たぬまま死んでしまった兄のことが
何故か懐かしく不憫に思い出されてくるのです。
多分、
兄は満腹社会の理不尽さを経験しないまま逝ってしまったからなのです。
そんなこんな貧しき時代に思いをはせつつ、
食料の心配をしないでいい自由人の身分を
ありがたく思います。
今日も、
100円均一の大根・人参・白菜・キャベツ…を買い込んできました。
農家の方々に感謝しつつ、野菜いっぱいのお料理を作ります。