ゆめる樹

10年前の夢を覚えていますか?

蛍…

2008-06-30 09:02:43 | つながる…人間・社会

…………………………………………………………………………………………………
福岡県の行橋市教委と同市PTA連合会は25日、来月から毎月1回、
市立17小中学校に通う児童・生徒(計6198人)の家庭を対象に、
テレビを見ず、ゲームもしない「ノーテレビ・ノーゲームデー」を設けると
発表した。(毎日新聞)
…………………………………………………………………………………………………
このニュースに対しては、
要らぬお節介というコメントと茶化しのコメント…で埋め尽くされていて
唖然といたしました。
テレビ・ゲーム・ネット等のメディアの力は怖いです。
ゲーム脳の非人間性について知った方がいいです。
こう書いている私もネット中毒を自認しまして、
ネットからの脱出を試みようとしています。
ただ、<ノーテレビ・ノーゲームデー>が
「家族の会話を増やす」とか「学力を増進させる」とかのために設けるのは
目標がずれている感もします。
メディアに支配されている自分たちの脆さに気付いていないのです。
メディア抜きで人間の生の対話を楽しむことを
考えるきっかけになれば良いと思います。
  ~ヤフーコメント書き込みしました。~

このニュースをネットで見るのと前後して
『脳内汚染』岡田尊司著を読みました。
テレビ・ビデオ・ゲーム・ネット等の戦闘シーンやおぞましい画像は
脳内に焼き付けられて、脳を汚染し人間性を破棄してしまう怖さを
繰り返し巻き返し説き続けます。
ゲームの戦闘ゲームや殺戮ゲームは興奮性を伴い
より過激なものを求めゲーム漬け人間にして
人間らしい生活を奪い人間性をも破壊し尽くします。
幼い子どもほどそのダメージは強く
その怖さを〔時限爆弾〕〔麻薬〕〔公害〕と例えています。
最近の残虐殺戮事件は
テレビ・ビデオ・ゲーム・ネット等の脳内汚染と無関係ではありません。
是非読んでみて下さい。
この本では、
成人した大人に関しては
情報の害毒についてそれほど警鐘を鳴らしてはいないけれど、
改めて情報の怖さを感じました。
情報過剰時代の中、情報を取捨選択してして
真に必要な情報を探し出すにはどうすればいいのでしょうか?
すべての情報には益薬と同時に害毒があります。
今私は
あふれる情報を出来る限り遮断しようと思います。
テレビも出来るだけ消し、
ネットからも少し遠ざかろうと思っています。
ブログを書くのも間隔を置こうと決めました。

こう書いていると
朝刊の週刊誌広告で
脳内汚染をセンセーショナルに書き上げているのを
目にしました。
どぎつい卑猥猥褻画像を売り物にしているような週刊誌が
どのような切り口で書いているのでしょうか?
テレビ・ビデオ・ネット・携帯等の以前に
週刊誌や漫画やその他の画像によっても
私たちは影響されています。
脳は
現実と仮想の区別が曖昧だそうで
見たことも思ったことも同様に処理してしまうそうです。
このような脳のシステムを巧妙に利用した
メディア戦略の画像は見ないことにしましょう。

自分の命が真に望むものの画像を求め
魂の言葉で思うことにいたしましょう。
清少納言が生きた時代のように
“蛍の光を求めて布を歩く楽しむ”ような
ゆったりゆるやかな体験を
取り戻したいと思っています。




ホッと体験∞

2008-06-24 14:06:06 | つながる…人間・社会


先日
菜食人さんの畑を見学に行って来ました。
都会の雑踏から1時間も電車に乗ると
もうそこには田舎の風景が広がっています。
小麦価格高騰などと騒ぎ立てる社会など無いかのように
田植えの終わった田んぼの緑がきれいです。
菜食人さんの畑は山の中で半畝の広さ。
キャベツ・ブロッコリー・小松菜・ネギ・ジャガイモ・人参・
タマネギ・カボチャ・西瓜・キュウリ・トマト…
多数種類の野菜が育てられています。
何種類か採取させて頂きました。
菜食人さんは
スワラジ百姓の家・セミナーハウスに滞在して
百姓研修を受けているそうです。
ホッとする木の家では
お昼時とあって、二人の男性が昼食を銘々に作っていました。
菜食人さんも手慣れた様子で
流しに立って昼食を作ってご馳走してくれました。
採れたての野菜の味噌汁と青菜のお浸しと納豆とご飯…
美味しかったです。「ごちそうさまでした
卵集めや山羊の乳搾りも見せていただいて
農業の原点を見たように思います。

スワラジ百姓の家・セミナーハウス→
ガンジーの思想に共鳴した筧次郎さんたちが構想して作られた場所です。
スワラジとは「自治」という意味…。
工業化・機械化によって搾取・略奪社会へと変化していくことに
危惧したガンジーは
「搾取する支配者も搾取される被支配者も
 それぞれが自由になり自立し自治できる社会を」と説きました。
現在、わが国は、世界の中では搾取する側となり
農作物を始めとする物質を買い漁っています。
しかし、国内では
ごく一部の搾取する者と大多数の搾取される者が
ひしめき合っています。
今の搾取する側の論理が常識とされる社会で、
そこから離脱しようと足掻いているのが私です。
ブログでも、現代社会の矛盾について考えてきましたが、
菜食人さんの考えにも繋がっていたんですね。
信じられないように見えたこの社会にも
菜食人さんやスワラジ思考を持つ人たちが存在することに
ホッとしました。
まだまだこの社会も捨てたものじゃありません。
ガンジーが糸車を回しながらはたまた断食をしながら
説いてきた思想「スワラジ」が
タンポポの綿毛のようにふわりと飛んで根付いているのを感じます。
そして、私でも
自分の食べる野菜を作ることができるかなとも思えました。
生命の声を聴きながら
自給自足ゆうゆうゆらりと漂って
生きていけるような気がしてきました。
ガンジーの思考法がヒマラヤ舞踏童女にも
どこか繋がっているような気がしてきました。

菜食人さん
雨降りのなか長時間お付き合いいただきまして
ありがとうございます。
それから
スワラジ思想を実践している
スワラジ百姓の家・セミナーハウスが存続して欲しいと
思います。

なるべくしてなる~☆

2008-06-21 23:27:39 | ひろがる…生命・宇宙


野口三千三著『野口体操~からだに貞く』を再読しました。
彼のからだを動かすことに対する考えに
今更ながら共鳴しています。
この本の中で卵立ての話が出てきますが、
私もチャレンジしたことあります。
信じれば卵は立つんですね。
卵のとんがった部分を下にして
スクッと机の上に立ったときは感動しました。
卵はなるべくしてなる形でそこに立つのです。
そして
私も、なるべくして今の私がここに居るわけです。
“どのようなことがあろうとも
 なるべくしてなる方向へと流れていくものだ”と
この頃思うようになりました。

モンゴメリ作『赤毛のアン』

2008-06-18 09:15:10 | つくる…文・絵・舞・創


本屋さんでモンゴメリ作『赤毛のアン』シリーズが
山積みされております。
『赤毛のアン』が発表されて100周年だそうです。

 書名        原題        出版年 *アンの年齢
『赤毛のアン 』〔Anne of Green Gables 〕 1908 * 11~16
『アンの青春』 〔Anne of Avonlea 〕 1909 * 16~18
『アンの愛情』 〔Anne of the Island 〕 1915 * 18~22
『アンの幸福』 〔Anne of Windy Willows〕 1936 * 22~25
『アンの夢の家 』〔Anne's House of Dreams 〕 1917* 25~27
『炉辺荘のアン』 〔Anne of Ingleside〕 1939 * 34~40
『虹の谷のアン』 〔Rainbow Valley 〕 1919* 41
『アンの娘リラ』 〔 Rilla of Ingleside〕 1920* 49~53
『アンの友達』 〔Chronicles of Avonlea 〕 1912 * ―
『アンをめぐる人々』〔Further Chronicles of Avonlea〕1920* ―

それらの本のページをめくりながら懐かしくなりました。
もう一度読んでみたいと思います。
アンが想像力豊かな夢見る少女だからこそ
この100年間、
多くの人々の心を揺り動かしました。
アンは年齢を重ねてもアンらしく生きました。
アンを読んで
「自分は自分の想像力を持ってこころ豊かに今日を楽しもう」と
思ったことです。
自分は自分であって他の何者になることは出来ません。
自らの個性を楽しんで生きましょう。

『赤毛のアン 』を読んでから
ずいぶん時は流れました。
自らの個性を認め、ゆったりとゆるやかに生きていきましょう。

闇の中より

2008-06-16 12:39:12 | つくる…文・絵・舞・創


溢れる情報、溢れるモノ、溢れる欲望…
それらを法律・経済・文学・芸術…と
分類分けした学術体系も
もう崩壊したように思います。
見える社会の常識や価値観を見つめ直すために
光と闇の狭間にこの身を置いてみよう。
見える社会では見えない大切なものを
感じるために…

         闇の中より聞こえるよ
        自然の息吹
       生命の呟き
      宇宙の慟哭

     光求めて人は生きるよ
     私たちは光そのもの
     誰もが光そのもの

      闇の中より浮かび来るよ
       自然の営み
        生命の物語
         宇宙の燦めき

《さらなり》

2008-06-12 10:00:16 | みつめる…心身・霊魂


雨が降ります。
この世のいやなモノはすべて流しましょう。
澄んだきれいな心を取り戻しましょう。
そして
大好きなもの、やりたいこと、逢いたい人、幸せなこと、
祈りたいこと…
自分の身の上に起こしたいことを
考えましょう。
考えたことはすべて、
自分の人生に引き寄せられるでしょう。
だからね
自分の望むことを夢見るのだよ。

でもね
見える世界では繰り返し巻き返し
嫌なこと苦しいこと心痛むこと…を流します。
社会にそれが起こるのを期待する悪魔の如く…
その考えに汚染されている私たち…
雑誌や書籍や他人の言葉や…情報の一方向性に気付きましょう。
“〔社会に害毒を与えないこと]は《さらなり》”と喧伝するけれど
〔社会に害毒を与えないこと]が何を意味するのか?考えて見ましょう。
個人の自由や楽しみを奪い「痛みを分け合う」なんて云いながら
弱き者達をさらに弱い存在にするシステムに憤りを感じます。
けれども
憤怒には憤怒しか引き寄せられないのです。
現代社会の憤怒行動は
私たちの憤怒の思いが引き起こしたのでは?と考えます。
突発的としか思えない凶行・自殺・事故…は
私たちの考えのどこかにそういう思いがあるのです。
それを
メディアは「これでもかこれでもか」と煽り立てます。
だから
私たちは
その煽りに煽り立てられないことは《さらなり》です。

テレビ画面のロボット達に別れを告げよう。
誰も彼もが
醜く惨たらしく苦しい映像を見せつけられ
それが起こるのを他人事のように高見の見物をするシステムから
抜け出そうね。
そうすれば
この世のすべてを自分の行動として楽しむことができるよ。

いつもいつもどんな時も心の奥底に
自分の大好きな絵と言葉と行動…を持ち続けるのよ。

    ※《さらなり》⇒「いうまでもない。」の古語

…頃は…πρσ

2008-06-11 14:04:47 | みつめる…心身・霊魂


事件が起こると
「…の頃は…だった」という情報を流します。
被害者は
「明朗快活、優秀、強調性、やさいい」思いやりがある、
 職場にはなくてはならない、学生なら将来嘱望…」
という情報が流されます。
それに反して、犯人は
「大人しく何処にいるの分からないような影的存在」であったが
「きれると怖かった」とかいう情報…
被害者は社会にとって有益な存在であり
犯人は社会にとってどうでも良いとして情報を流します。
社会的に有益な存在に損害を与えた犯人は憎むべき存在として
メディアという大きな組織を使って
寄って集って断罪するのです。
“事件の背景・究明を真摯に究明し
事件が起こらないようにするにはどうしたらよいか”ということは
論議しないか、したとしても表面上形式的に報道します。
さらに、今日も
「秋葉原事件の容疑者の両親が謝罪…」というニュースを流します。
25歳といえば成人です。
成人の犯行に対してその両親に対して謝罪を求めるという
この社会の異常さ、滑稽さ…。
戦争法案を作るときには
国家あっての個人だとメディアは喧伝します。
うって変わって、犯罪となると
社会の問題・原因を問うことをせず。
犯行は個人・家庭の問題であると帰結してしまおうとする
この社会の都合の良い国家主義…
怖いですね。
個人を何かの枠組みから外させまいとするこの社会
鋳型にいれられたロボット社会です。

気が付いていますか?
‘子どもの頃は素直で可愛かった
 学生の頃は明るく優秀だった
 社会人の頃は仕事熱心で協調性があった
 老人の頃は元気で一人住まいをしていた…’
この社会が求める個人の性格です。
この社会にとって何が求められているのか?
ごくごく一部の有能人と大多数の従順かつ協調ある人々です。
そんなものに追随することはないのです。

この社会が求める“…の頃は…”に従っていると
この社会は夢も希望もなく面白くも可笑しくもありません。
だから
この社会に絶望した人々が破壊行動に
駆り立てられてしまうのです。

今こそ
“…の頃は…”は、自分で創りましょう。
社会が何を求めようと
自分の創った“…の頃は…”を実現させましょう。

→→≪野良仕事風仕事≫…

2008-06-10 16:28:01 | つながる…人間・社会


秋葉原で殺傷事件が起きました。
犯人像が色々流れます。
「どうして?」「そこまでしなくても…」とか
「そんな犯人なんか殺してしまえ…」とか
殆どの人が言いつのります。
殺人を悪としながらも、社会的制裁としての殺人は当然とされるのが
この社会です。
亡くなった方々には本当に不慮の出来事で
心よりご冥福を祈ります。
それでも
犯人もこの社会の犠牲者なのです。
誰も彼もが犯行は身勝手名行動で自己責任だといいます。
けれども
彼を無法の自暴自棄行動に追い立てたのは
この社会だと感じます。
彼は、犯行日の3日前の出社時に
「つなぎがない」と騒ぎ立てたそうです。
作業服のつなぎがないということは
「やめろ」ということかと解釈したようです。
なぜなら、会社の大規模なリストラ策で身辺で働く人数が減り、
いつ自分の番なのかとビクビクしていたからなのです。
「つなぎは有った」と会社側は云っているようですが
事件になって責任逃れのために辻褄合わせをしたのかとも
思えてしまいます。
つなぎの一件は殺傷事件に追いやってしまった一因だと感じます。
その背景には
労働者をコスト削減の対象としていつでも使い捨て出来るようににした
この社会にあります。
不安定な労働条件の中でプライドも自分も捨てて
働かなければ生きていけないこの社会に絶望したのです。
「そんな社会なんか消してしまえ」と凶行に駆り立てたのでは?
ともあれ
彼は殺傷事件の一部始終を携帯サイトへ送っています。
誰かが気付いて、凶行を食い止めることができたなら…
テレビコメンテーター達は
「絶望することなどない、私だって…」と云いますが
成功者もどき達の弁など、何の説得力もなく自慢話そのものです。
「この社会に希望などあるか?」と思わせてしまう社会を
変えようとせずして、何も変わりません。
また同じような事件は繰り返される危険性は続きます。

いっそのこと
こんな社会の価値観など捨ててしまいましょう。
本末転倒の企業経営効率のために
人間を使い捨てにして人間の尊厳を踏みにじるような価値観、
経済効率のために従順に効率的に作業できるものが
優秀だとする価値観、
国家有りての個人だとする人間軽視の社会
自己の尊厳を考えることを止めさせるような教育をする社会…
「能力有る者が報われる社会を造る」といいながら
ごく一部の人が利益を独占し
大多数の人々は底なしの絶望感しか感じない社会…
そんなものから抜け出ましょう。
生きているのは自分です。

誰が何と言おうと、
社会がどういう評価を下そうとも、
のうのうのらりくらりと生きていきましょう。
人間が生きるための原点に戻るために
野良仕事を見直しましょう。
農業となるとまたまた効率的農業とかで
化学肥料農薬…で人間にとって害毒を与えます。
「本当に必要な食物を、 本当に必要な分量食べる」
それこそ生きる原点だと思います。
労働社会の使い捨て歯車にされるより
野良仕事を見直しましょう。
この絶望的で機械的な社会を再生するには
「土を耕すことから始めなくては…」と感じます。
≪地球を素朴に素直に耕す∝野良仕事≫を見直しましょう。
農地が有ったり農地を借りる事の出来る人は
効率的農業ではなく、自然主体野良仕事に取り組みましょう。
農地が融通出来るごくごく僅かの人でしょう。
農地が無い人は
農地が無くても出来る≪野良仕事風仕事≫に取り組みましょう。
社会を慈しみ癒すことは≪野良仕事風仕事≫です。
人間を愛し育てることも≪野良仕事風仕事≫です。
それから…
自分で出来る≪野良仕事風仕事≫をいたしましょう
のうのうのらりくらり≪野良仕事風仕事≫で
他人も自分を楽しませて生きましょう

月への旅→∈

2008-06-09 12:26:05 | ひろがる…生命・宇宙


国際宇宙ステーション(ISS)→での活動が
注目されています。
地球からISSまでの距離は400㎞で
地球上の距離で云えば大した距離では有りません。
ISS活動のニュースを見聞きするにつけ
ふと、ある疑問が湧いてくるのです。
1969年の月面着陸→は本当なのでしょうか?
地球から月までの距離は38万4400㎞です。
その遠い遠いお月様へ、約40年も前に
辿り着き、おまけに月面着陸したというのですから…
月面着陸に対して様々な疑惑情報が乱れています。
あれから半世紀近く経ちましたが、
月面に立った人はいません。
《月への旅》の真実は…?

月への旅には及びませんが、
近々、日本を離れます。
いつか行ってみたいと思っていたヒマラヤ舞踏の旅に
出ます

☆寄る辺☆

2008-06-08 10:15:44 | つくる…文・絵・舞・創


   この世の寄る辺求めて彷徨うよ。
   寄る辺について
   一方的情報が流されているんだよ。
   血統・能力・貨幣・物質・名誉・地位…
   家庭・学校・会社・趣味倶楽部・高齢者用お仕着せ施設…
   そう、そこにこそ寄る辺を感じよう!?
   「そうよ、そんなものよ。
    そこで妥協しなくちゃ私の寄る辺などない…」と
   諦めさせられ諦めているよ。
   でも、本当は
   この世の寄る辺は自らの奥深くに存在するのよ。

この社会のシステムでは
自分という個を軽く見ることを教えられます。
ごくごく一部の人に追随するシステムなのです。
「弱き人間は結束することに意義が有る」と思いこまされます。
スポーツやオリンピックの異様な国粋主義が
メディアによって喧伝されます。
「他人の血統を敬い崇め、
 他人の能力を見上げ、
 他人の豊かさを羨み、
 他人の行動に自分の行動を代替させ…
 自分は本当にやりたいことなど考えることはしない。」
そのような人間であることが
この社会の寄る辺の一員なのだと思いこまされています。
しかし、
本当はそんな意識・行動から自由になっていいのです。

   この世の寄る辺はこの身の奥深くに有るのよ。
   見つめてごらん。
   自らが望むものこそ寄る辺。
   優しく温かく自分を包んでくれる寄る辺は
   自分自身が持っているんだよ。
   よおく見つめてごらん。
   この世の寄る辺は自分自身の奥深く命の根源にあるんだよ。

《はかりごと》

2008-06-07 09:56:24 | みつめる…心身・霊魂


“《はかりごと》無かりしこの世はなきものを”
この社会は
種々様々な《はかりごと》が蔓延しております。
けれども
「何を図り計り測るのか?」
「何のために図り計り測るのか?」
ようく見極めましょう。

他人を蹴落とし人間を不幸せにしようとする《はかりごと》
  自分の本能を満たそうとする種々の犯罪
  振り込め詐欺
  人間切り捨て企業優先経営
  格差社会助長教育
  男女差別年齢差別社会
  権力保持政策…
けれども
どのような時代でも
不幸せ・お仕着せ《はかりごと》から無縁の人々はいました。
  戦争反対を訴える人々
  権力政府が採決しようとする法案に反対する人々
  真の人間教育を求める人々…
現在では、それらは
反対あっての反対政権が煽動する行動の場合もあります。
しかし
不幸せ・お仕着せ《はかりごと》に対抗できるのは
自らの体験と思考からわき出た行動のみです。
ただただ
自らの命を本当に生きるために行動することです。

一時期、今でも出回っておりますが
「…の品格」という本が大量販売されました。
品格を持つことの裏には
品格に欠ける人々が存在します。
誰かの優位に立とうとする《はかりごと》なのかもしれません。
女性対象の情報は
「女性は若々し美しくあるために…」《はかりごと》を促します。
男性対象の情報は
「男性は強くなによりも経済社会の強者になるために…」
《はかりごと》を促します。
子どもには…
高齢者には…
それぞれの役割分担の《はかりごと》を促そうとします。

しかし
そんなものはどうでもいいのです。
自分のやりたいことをやって生きたいように生きていきましょう。
誰もがきらきら輝くきれいなその人だけの持つ宝玉を持っています。
自らの持つ宝玉を
いつでもどこでも感じて生きていきましょう。

夏が来て…

2008-06-06 14:27:02 | つくる…文・絵・舞・創


夏が来て
なりたい自分になれるとき

今年も夏が来て
変わりゆく自分の転機は
いつも夏

精一杯動き回れる季節だから
夏の雲に乗って
行きたいところへ
飛んで行こうよ

今まで起こったこと全て
“ありがとう Thank You
今の自分でいいのだよ。
今の自分は
“なりたい自分”のかけらだよ。
どこでもいつでも
“なりたい自分”で生きていこうよ

たなびきたる(^^)/~~~

2008-06-05 10:11:44 | つくる…文・絵・舞・創


   青き星に雨振り
   木々の命たなびきたる
   明き町に雨降り
   人々の命たなびかず

この青き星
心なきおしゃべり機械に侵されて
すべての命のたなびきたるをかき消すよ

ひっきりなしにしゃべり続けるおしゃべり機械
政治家・ジャーナリスト・評論家に
お笑い芸人・宗教家・億万長者・犯罪人…
しゃべってしゃべって、我論を正論と押しつける
おしゃべり機械はもう人間じゃない
ただの機械
脳みその薄っぺらの人間もどき

   おしゃべり機械のいうことなどに
   耳傾けず、心動かさず、魂抜かれず
   この身の奥に流れる命のゆらぎ
   まだたなびきたる

今年3月17日から書き綴ってきた
清少納言“はるはあけぼの…”の一字や語句を
接頭語にした主題文は
本日で終わりました。

春が過ぎ
この地では梅雨入り致しました。
季節の変わり目
どうぞお身体を大切にして下さい。

細く長く自分らしく

2008-06-04 10:13:29 | つながる…人間・社会


テレビ番組で『高島平団地の老化現象』を見ました。
‘1982年に造成された団地は一時期
 子ども達の元気な声が聞こえ、家族の団らんで賑わい
 みんな本当に幸わせそうでした。
 あれから時が流れて、成人した子ども達は団地から出てしまい
 高齢者となった親達が残されました。
 そして
 団地を歩く高齢者達が画面に映し出されます。’
これらは誇張された映像なのでしょうか?

高齢者に対する色々な情報は殆ど操作されています。
高齢者になれば老人車を押して寂しげに歩けばいいと
思っているのでしょうか?
『高島平団地の高齢化』報道でも
閑散とした団地を老人車で歩く人の姿が映し出されました。
そして
部屋の中をはい回る高齢者の姿も…
視聴者に高齢化とか困ったものだと見せて思わせます。
そして
高齢社会にはどうしても若者の力が必要だと言いつのります。
高島平団地でも近隣の大学の学生が力になっていると
さも社会貢献活動をしているかのように報道します。

でも惑わされてはなりません。
現代社会は
高齢者を衰えゆき忌むべき存在との一面的評価しかしておりません。
人間を年齢の枠にはめ込むのが、この社会の常識とされます。
けれども
人間は
年齢や心身の状況や環境やその他諸々の付帯状況から超越して
人間らしく生きることの出来る存在なのです。
思い込みや常識にとらわれはなりません。

人は誰も年を重ね老いゆき
この世から消えて逝く存在です。
だからこそ
その時のその人の心身をキラキラ輝かして生きていきましょう。

むかし
太く短く潔く生きようと思いこんでいました。
いま
細く長く自分らしく生きようと思っています。

「太く短く潔く」生きていくべきと
思いこまされていた時代は過ぎました。
この標語は
「権力社会が望む人間で有る間は寿命を削ってでも働け。
 役に立たなくなれば社会から消え去れ」ということなのです。
この社会の指導者やその他諸々の人々がどうこう言おうが
“細く長く自分らしく生き抜きましょう!”

乗るか?反るか?

2008-06-03 11:49:56 | つながる…人間・社会


    “乗るか?反るか?”
     人間社会の面白さ…
     社会の動きに乗るか?反るか?
     その時代の人心に乗るか?反るか?

一昨日迷い込んだY市の市民活動センターの不気味な建物。
開港150周年式典で賑わう大都市の中に有りながら
廃墟のような異様さを感じるのはどうしてなのか?
壁に貼られたポスター『ゴッホと会話する』の矢印についていくと
そこは取り残された空間でした。
X氏の個展には、
自己紹介文《私は画家と云うより宗教家》が入り口に貼られ
壁にはX氏作品とゴッホ複製画が交互に掛けられ
その下にX氏とゴッホの会話文が貼られています。
X氏作品は何の変哲もない風景画や自画像で
ゴッホの跳ね橋や自画像が彼の個性を表しているだけに
X氏作品の無個性を惨たらしく感じさせます。
カビくさい狭い空間には、人気は無く
X氏作品とゴッホ複製画が取り残されたように
壁に沈み込んでいきそうでした。
気が付くと
X氏らしき人物ともう一人がボソボソと話しています。
そして、出口では
無料の筈の個展の先には、冊子が2000円で販売されています。
壁に掛けられた絵と文がそのままの冊子がです。
それには見向きもせず
沈み込んだ気持のまま、個展会場を出ました。
その建物には他に2カ所会場が有りましたが
どれも心に響かず
建物の廃墟感だけが身体に残っています。
人の心に乗ろうとして乗れなかった
芸術家もどきの会場でした。
そして
人の心を乗せようとして乗せられていない
形だけの芸術交流場所でした。
外に出れば
そんな思惑とは無縁の顔をした
老若男女の人・人・人…が歩いていました。

     “乗るか?反るか?”
      人間社会の面白さ…
      自らの意思通りには運ばないようです。

小説『一遍』ー畑山博著ーを読みました。
一遍は、人生のはじめは
その時代の宗教の動きに反って孤独で清貧の求道者でした。
しかし時の経過と世相の動きと支援者達によって、彼は
「世相に乗って、人心を乗せて、時宗を築きあげた人物」となります。
彼は、臨終に及んでも死ぬのが怖いと側近に漏らします。
自らの弱さを自覚しつつ、
宗教権威者として祭り上げられていく自分を憂いつつ、
それでも
その安住の地位から反ることが出来なかったのです。
一遍は生涯心の奥底で
空也や教信に憧憬の念を持ち続けます。
彼らは
“乗るか?反るか?”の人間模様に我関せずと生きたからでしょう。

      あなたは
     “乗るか?反るか?”どちらに生きていますか?
      でもね
     “乗るか?反るか?”など
      どちらに転ぼうが大したことは有りません。
      自らの行きたい道を歩み
      生きたい人生を生きましょう。