我が家に隣接するお宅の庭で、山茶花が沢山花をつけている。
数年前から、80代になられる奥様は施設へ入られて、今では無人の家となっている。
在宅されていた頃は、お顔が会えばフェンス越しに世間話をしていたが、それもなくなり庭木だけが四季をたがえずに花を咲かせ、
こちらは楽しませていただいている。
施設に入られた奥様はどうお過ごしかしら・・・と思いながら、一度お見舞いにいっただけでその後ご無沙汰に過ぎています。
心にかかりながら、日常が過ぎていく・・・ことってありますね~
行動を起こさなければ、気がないことと同じと思いつつも日が過ぎていきます。
親戚でもないけれど、なにかフェンス越しのお隣が気にかかっているやーやです。
いずれは誰もが一人になるのですが、だからとはいって、自宅をそのままにして施設へ入られるのは、気がかりでしょうね。
迷いますね。親戚でもない場合は・・・・どうしたらよいのでしょう!お留守のお宅は売りに出されるのでしょゆか?
きっと、お隣の奥様も気がかりだと思います。
高齢で一人になった場合、いろんな事を決断するのは、むずかしくなることもあるようです。
留守宅が売りに出された様子もないです。
自分の家として、置いておきたいお気持ちかもしれませんね。
その年にならないとわからない心境もあるのかもしれません。
≪東風ふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな≫
と言う菅原道真の歌を想い出してました。
さっき 間もなく百歳を迎える柴田トヨさんの白寿の処女詩集「くじけないで」をアップしている方のブログで
柴田トヨさんの詩集に出会ってきたばかりです。
たくさんの後悔 たくさんの気がかり そうしながらも
どうしようもなく 日常が過ぎていく・・・
そうですよね。
私にもそう言う事沢山あります。
留守をしていて、遅くなりました。
柴田トヨさんの詩の言葉には、経験に裏打ちされた強さがありますね。
たくさんの気がかりをかかえて、年を重ねていきそうです。
コメントありがとうございました。