新潟市中央区にある戊辰公園です。
たまたまここの前を通り、面白そうなのでネタにしてみました(^^)
というのは、小さい公園なのに名前のスケールが大きいのでね(笑)
戊辰と聞くと戊辰戦争などをイメージしてしまうのだが、それは果たして関係あるのか。
ここに来ただけで解明出来るとは思わないが・・・
場所はこちら↓
人通りは多いです。
公園の入り口となります。
私はよく通るのですが、この公園で遊んでいる子供を見た記憶はありません。
その場ではパッと見て、蜘蛛の巣が多いのがわかります。
遊具はこれしかありません。
寂しいですね(´・_・`)
石碑が割と立派です。
昭和七年!
歴史がありますね。
これにはびっくりしました。
奥に進むと大きい石碑があります。
うーん、読めん。
これじゃまた「何もわかりませんでした」というレポートになるではないか・・・
トボトボ(´・_・`)
まとめ
はい、何もわかりませんでした(^_^;)
ウィキペディアでは、以下のように説明がなされています。
「1868年(慶応4年)に鳥羽・伏見の戦いに始まった戊辰戦争の舞台は例外なく新潟町にも及び、関屋において激しい戦闘が起こり、のちに関屋戊辰戦争と呼ばれた。その新潟町の警備の為、旧幕府軍の総督として駐留した米沢藩の家老の色部長門の活躍と慰霊を込めて1932年(昭和7年)8月30日に関屋戊辰戦蹟保存会の会長だった斉藤巳三郎を発起人として多くの有志により色部長門君追念碑が建立され、この地を戊辰公園とし、史跡として保存する事とした。」
なるほど、関屋戊辰戦争とは恥ずかしながら初めて聞きました^^;
近くの護国神社にも戊辰戦争死者の慰霊がなされていましたね。
勉強になります。
小さい公園ですが、想いの詰まった公園であることに違いはないでしょう。
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