その前にニューデリー駅に着いたので、駅前のホテル街にある日本人宿サンタナに読み終わった本(岩波新書「自由を子供に」)を寄贈してから、近くのコンノートプレイスというツーリスト街に行きました。
その目的としてはエア・インディアのカトマンドゥ行き飛行機をリコンファームするコトでしたが、今どきはネットで確認できるので、昔はあったエア・インディアのオフィスはもう無くなっていました。
昔のコンノートプレイスは国を代表する高級ショッピング-エリアとして栄えていましたが、今では郊外のショッピング-モールに客を取られてしまったのか、ずいぶんと寂れた感がありました。
それは朝方だったからで、夜にはバーなどが開いて賑わうのかも知れませんが、どちらにしろ貴いのでわたしには縁のない処です。
インドのショッピング-モールはどこも値段が貴すぎて、庶民からそっぽを向かれて閑古鳥が鳴いています。
まあ夏場にはデリーでも50℃近くまで暑くなるので、冷房が効いているだけでお金を払う価値はあるのかも知れません。
しかし大多数の貧しい庶民は路上で商売せざるを得ず、そうした出店は以前よりもずっと増えています。
大都市ではハッキリ言って供給過多なのですが、それでも仕事にあぶれた人々は増え続けているので出店の場所取りは熾烈で、コンノートプレイスもそうした安売りの出店に乗っ取られそうな勢いです。
わたしには縁の無いショッピングの話は終わりにして、デリーの仏舎利塔について語らせて貰います。
これは庶民に人気のあるインドラプラスタ-パークという公園の中に建っており、この公園は24時間オープンなので同じくヤムナー川沿いのガンディー-メモリアルパーク(とても広いけれど柵と門が厳重)よりも庶民的と言えます。
プラスタの愛称で親しまれているこの公園は、デリー南郊の駅ニジャムディンと隣接していますが、駅のホームからは柵で隔てられていてグルっと回らなければ入れません。
それでも駅に泊まって朝5時の御勤めに参加するのコトは楽にでき、ニジャムディン駅は宿泊する旅客がとても多いので安心して寝られます。
もちろん仏舎利塔にはお寺も付随していて泊まれるのですが、夕方の御勤めに参加したら高齢(86歳)の庵主さん(尼さん)しか居らず、耳が遠くて体調も崩してらしたので泊まるのは遠慮しました。
しかし翌朝の御勤めには40代くらいでずっと住み込みで修行されている女性が居り、彼女は遠慮せずに是非とも泊まって下さいと言ってくれました。
86歳の勝庵主さんは55年間もインドで御修行されて来た方で、多くのインド人から慕われていました。
毎朝太鼓を打って仏舎利塔を御参りすると、多くの人が彼女を礼拝しにやって来て庵主さんも礼拝を返されます。
日本山ではこの但行礼拝(全てを礼拝する)を最も重視しており、これはブッタの前世の不軽菩薩が行った修行とされています。
不軽とは「軽んじない」という意味で、勝庵主さんはどんな人も決して軽んじない姿勢を持たれており、正に不軽菩薩と呼ぶに相応しい方です。
そんな彼女の徳のお陰で、インドの3大都市カルカッタとボンベイにはお寺しか建っていないのに、デリーには立派な仏舎利塔が建っております。
勝庵主さんはインド国籍も取られており、日本人で彼女ほどインドを深く知っている人は他に居ないかと思え、耳は遠いけれどしっかりとお話されるので、デリーに来た際は是非ともプラスタ公園の仏舎利塔を訪ねてみて下さい。