真の動物福祉牧場を目指して

人はなんで生きるのか

 このタイトルはわたしの好きなトルストイの短編集から取りましたが、これは寒いロシアの話なので、暑いインドでは別の「生きる意味」を人々は持つかと思えます。

 寒い北国では硬い社会的結束が生じ勝ちで、トルストイもそうした社会の中で主人公達に「生きる意味を」を見出させていますが、暑いインドでの社会的結束は北国よりもずっと軟らかいモノに観えます。

 そもそもインドでは家族的結束が社会的結束よりも強く、人は社会や国家のタメよりも家族や親族のタメに生きれば良く、そうした意味でインド人にとって「人はなんで生きるのか」という問いは、明白すぎてあまり意味を持たないかも知れません。

 一方で、核家族化が進み親族の結束が非常に弱くなってしまった日本では、「生きる意味」を家族に見い出すコトが出来ず、かと言って社会や国家もグローバリゼーションの波で画一化されて、日本だろうがアメリカだろうがヨーロッパだろうがさして違いは無く、国家に「生きる意味」を求めるのは難しくなって来ています。

 日本はまだ愛国心の残っている国で、グローバリゼーションの波に逆らっている観もありますが、それでも家族の意味が薄れて結婚する若者が減り続けており、そうした衰退し続けている社会で「生きる意味」を見い出すコトは容易ではないと思えます。

 衰退と言えば、地球温暖化と気候変動の波をインドの農村地帯はモロに被っており、そうした中で永年に渡って搾取されて来た農地の生産性を維持するのは、生態的・経済的に難しくなって来ています。
 
 曾ては広い農地を小作人に貸していた地主(バラモン階層)は、豊かな暮しをしていてお金の心配などはしませんでしたが、今では誰もがお金に縛られており、神を讃えるコトが「生きる意味」だったインドの伝統は衰退している様に見受けられます。

 わたしは極力そうした、お金に縛られた暮しはしたくなく、それには出費を減らすコトが一番重要だと心得ています。
 なのでお酒が貴いインドでは自然と断酒して健康体になり、旅の酔はそこら中に生えているバング(葉っぱ)で十分に味わえます。

 因みにバナーラスで100ルピーで買った粉末バングはパプンさんの家に置いて行ったので、それでバングチャイは簡単に作れます。
 それをドカン(お店)で出すかどうかは、実質的にお店を仕切るであろうお母さんと祖母に委ねられますが、彼女らはバング好きなのできっと出してくれると期待しています。

 旅の話が飛びましたが、昨日の夕方に2等列車でデリーに向かい、今はもうすぐ到着するところです。
 ホーリー祭が終って仕事に戻るリターン-ラッシュに巻き込まれましたが、荷棚でずっと横になれて良く眠れました。
 荷棚の難点は天井が迫っていて起き上がれないコトですが、音楽を聴いたり本を読む分には問題なく、こうしてブログも楽に書けました。

 わたしにとって「生きる意味」は書くコトなので、これからもペンによって剣を屈する物語を描いて、この世界を創った神を讃える仕事を続けて行こうと思います。
 

 
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