なので優樹の学校には1割ほど漢民族の子供が居り、彼等はその他大勢の少数民族の子供達の中で、難しい立場に立たされます。
それはたとえ、共産党の統治に真っ向から反対して、国民党を支持する資本家の子供であっても、少数民族を武力で屈服させて飲み込もうとしている漢民族には他ならず、自らのアイデンティティーに自信が持てません。
更に、少数民族の子等の中には親を漢民族に殺された子供も居り、彼等は感情的に漢民族の子等を敵視してしまいます。
もちろん言葉や習慣の壁もあり、「教育の女神サラスワティー(サラ)」が運営する優樹の学校は一筋縄では行きません。
そんな中、漢民族の父とチベット人の母(サラ)との間で優樹に生まれた秀祥(シューシャン)には、特別な運命が宿ります。
彼女は僅か10歳にして、自分が漢民族と少数民族との間の架け橋に成らなければと考え、それを実行して見事に果たします。
幼い秀祥に年上の子供達の争いを調停するコトが出来たのは、彼女の母がトゥルク(転生者)でチベット人とモンゴル人から特別な尊敬を集めていたからです。
そのため秀祥も特別な存在とされ、彼女が子供達の間の争いを嫌うのであれば、チベットとモンゴルの子等はそれを調停するコトに体を張りました。
こうして秀祥は幼くして忠実な僕(しもべ)を獲得し、優樹の子供達がみんな仲良くやって行けるように計らいます。
言葉の壁は自ら漢民族の子等にはチベット語を、少数民族の子等には中国語を教えて、早くも「教育の女神」のトゥルクとしての才能を発揮します。
そんな秀祥の心の支えとなったのは、両親の他にも師匠である行善の励ましがとても大きかったとします。
この漢民族でありながら優樹国の法王(実質トップ)と成った僧も、秀祥の様に幼い頃から特別な運命を背負って来ました。
これは長い物語なので、ここで全ては振り返れませんが、彼がチベット語を話せる様になったのは、10歳で孤児となって預けられた五台山の行雄師(日本山)が、チベット仏教のお寺を高く評価して、行善を日本仏教とチベット仏教の架け橋と成るべく通わせた為で、この子僧は五台山で誰よりも熱心に精進し、自らに課せられた特別な宿命を果たそうとします。