それを一番良くアピールしたのは八路和提(パールワティー)で、彼女はモンゴルに居て「女子革命突撃隊」の広告塔の役割を果たしていましたが、とうとう「隊」は「党」に昇格し、本格的な革命政権を打ち立てる意志を示します。
彼女の中国語ブログは台湾で非常に人気が高く、中国では「和諧(抹消)」されてしまいましたが、台湾経由で大陸に拡散し続けます。
こうしたアンダーグラウンドさはかえって人々の興味を惹き付け、中華圏に真の革命政党が生まれたニュースは大いに拡散されます。
大陸の中国人にとって「党」は1つしかなく、彼等にとって選挙はただ、党が立てた候補者への支持を表明させられるだけのコトでした。
そんな彼等は自由主義圏の選挙に憧れを抱いており、自由に政党を選びたい欲求は、ネット空間でのみ僅かに満たされていました。
しかしこれは所詮バーチャルであり、ネット空間でいかに改革を唱えて人民の支持を獲得しても、現実の壁はとうてい越えられず、「党」に目を付けられて「和諧」されるのがオチでした。
しかし徳流河はその「壁」を越えようとしており、それは2000万人もの「闇っ子」(女子だけてこの位居る)達の「希望の光」に成っているからで、台湾に居ながらますます強い影響力を大陸に及ぼします。
それは「女子鉄道突撃隊」の頃から行って来た「農民工」と「寝そべり族」の組織化も効を奏し、彼等をウイグルでの「再教育中心解放運動」へと導きます。