真の動物福祉牧場を目指して

ムㇲタンの僧院

 前回の続きで、ローワー-ムㇲタンの中心地カグベニに在る500年以上の伝統を持つ僧院のリーダー(テンジンさん)と法論したコトについて語ります。

 この僧院には70名もの僧が居るとのコトで、寒い冬場にはポカラの別院に引っ越しするらしく、今でもそこには子供の僧が40名居ると言っていました。
 その別院はポカラの仏舎利塔の近くに在るので、日本山の礼拝スタイルは知っているみたいでしたが、あまりそれを理解されていなかったので説明させて貰いました。

 テンジンさんは白髪が無かったのでわたしよりも明らかに年下ですが、彼は日本や台湾にも仏教視察に行っており、英語が達者でなかなか進歩的な院長でした。
 そのタメ「南無妙法蓮華経」が日本の仏教界で1番広まっているコトも知っていましたが、それを評価して取り入れる所までは行っていませんでした。

 わたしはブッタの予言として「末法には妙法蓮華経の五字のみが衆生に利益(りやく)する」を挙げて、現実にそれ以外の長いお経は現代の日本では全く受け入れられて無いコトを伝えました。

 テンジンさんもそんな末法(現代)の世相には理解があり、これからの仏教は誰もが簡単に授受できるスタイルにすべきで、迷信性や呪術性は廃してスッキリしたモノにすべきだというわたしの意見にあるていど賛同してくれました。

 しかし彼は、もう僅かしか残っていない古いチベット仏教の伝統を護ろうという気持ちが強く、密教(ヴァジラヤーナ)の優位性も強く主張されていました。
 日本でヴァジラヤーナと言えばオーム真理教が思い出され、これは師(グル)を特に大事にする教えで、そこからトゥルク(転生活仏)信仰も生まれているので、わたしは物語(ブログ)で女性トゥルクを大いに活躍させているコトを伝えたりしました。

 テンジンさんはフェイスブックをやられていましたがブログはご存知なく、わたしとしては是非とも動画などよりも文章で発信して欲しかったので、今ではAIが進化して言語の壁は無くなったコトを伝えられました。

 彼とは初めこうして互いに理解を示す友好的な対話ができ、仏教こそ最も人類に利益する自由な宗教であり、他の宗教は神などという迷信的なモノに縛られてていて、それは人類から思想の自由を奪っているという考えも一致しました。

 これはブッタやガンジーも言っているコトで、神とは真理(ダルマ)であって人間が勝手に想像したり捏造できるようなモノではなく、キリスト教もイスラム教もヒンドゥー教も余りに神を人間化し過ぎていて信ずるに値しないとしています。

 ブッタはダルマのみを信仰せよと説いており、それこそが人類の思想を自由にする道であり、他の道は人類を些細な違いから争わせている有害なモノだとテンジンさんも断じていました。
 
 わたしのブログでは珍しく否定的な見解を述べましたが、基本的にわたしはファルス(道化)の道を信仰する者で、これは坂口安吾の「堕落論」曰く「否定するコトを否定する態度」とされています。
 なのでキリスト教やイスラム教やヒンドゥー教を否定するテンジンさんの見解も否定する必要があり、そこから法論へと進展して行きました。

 わたしはこの3つの宗教には旅でかなりお世話になっているので、山奥でずっと修行されて来たテンジンさんよりも善い面を沢山知っており、それらは確かに稚拙な神観の違いから互いに争っていますが、いつしか人類は真理に目覚めて宗教は1つになると思うので、それを主導する仏教界のホープにテンジンさんにはなって欲しくてその旨を伝えようとしました。

 彼が英語をとても達者に話すのは、ツーリストからの喜捨に頼ってお寺の経営をしている面があるからで、キリスト教徒の欧米人が1番多く来るのでキリストについては幾分か肯定的でしたが、ヒンドゥーやイスラムに対しては近親憎悪的な反感を抱いておられました。

 インドとネパールでは近年イスラム教徒が増えており、それはずっと主流だったヒンドゥー教があまりに原始的で野蛮なタメ、現代社会には適さないと見られるようになって来たからです。
 しかしイスラム教の排他性も野蛮と言え、もっとアラーを真理に近づける必要性があるのは否めないでしょう。

 わたしはカグベニ僧院の古い本堂で朝夕1時間ほど唱題行をしましたが、その時にはイスラム教の最重要マントラ「ラーイラッハーインアンラー」も7音の太鼓のリズムに乗せて唱え、これは「神は居ない、ただアラーのみが居られる」という些か矛盾した真言ですが、わたしはこれを「神とは真理に他ならない」という意味に捉えております。

 ヒンドゥー教のマントラも22年前にバナーラスのお爺さんから習った「オームヒングバトゥカヤナーム」を唱え続けていて、わたしは彼のお家で初めて本当に辛いインドの家庭料理を頂きました。
 わたしはこの真言を食事に南無(オーム)する心で唱えており、ヒングはスパイスの総称でバトゥは米や穀物を指し、カヤはボブ・マーリーが歌のタイトルで世界共通語にした草と捉えています。
 この真言は同じ意味合いのオームとナームでサンドされていますが、善い食事に南無するコトは人類共通の最重要事項に思えるので、気に入って大事に唱え続けさせて貰っています。

 長くなったのでキリスト教の「アーメンハレルヤ」については手短に語りますが、わたしは多くのキリスト教徒が未だに心に刺さった棘として抱えている広島・長崎への原爆投下も物語(「Syn」)で肯定したコトがあり、それはキリスト教のサクリファイス(犠牲)思想に訴えかけるモノとしました。

 キリスト教徒が「神とは愛である」としているのにも訴えかけ、仏教では愛を「智慮による慈悲 (compassion with wisdom)」と捉えており、これには多くのキリスト教徒も共鳴しているので先ずは仏教とキリスト教が1つになれるかと期待しています。

 いつかテンジンさんもこうした考えに共鳴されて、一緒にワンヤーナ(一乗)の唱題行が出来たら善いと思っております。

 
 

 

 

 

 
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