忿怒尊はチベット圏に行けば必ず目にするメジャーな神(仏)で、バルドゥ(魂の旅)でも重要な役割を担っています。
この神が激しく怒り狂う理由は、これまで述べて来た通り「人類の悪しきカルマ」が未だ地上にハビコっているからです。
特にそのカルマが禍々しいチベット高原では、現代に於いても民族蜂起が相次いでおり、外国人が入れない状況が10年以上も続いております。
そのため、チベットの死者達の集合意識から生まれる忿怒尊も、ますます怒りを激しくして来ており、秀祥が折伏(しゃくぶく)するのはそんな手強い相手です。
因みに折伏とは、「法」によって相手の考えや生き方を善い方向に導くコトで、これは今日の大河ドラマでも瀬名が家康に対して行っていました。
彼女の「慈愛の国」の理想により、徳川と武田は和解して東国は1つにまとまり、家康が天下を統一する吉祥となりました。
秀祥もチベットと中国との和解を願っており、その為にはチベットの忿怒尊を鎮める必要がありました。
彼女はその「怒れる集合意識」に対して、彼等の悲しみや苦しみの原因を追究するコトで「癒し」をもたらそうとします。
その主な原因は、党(ドン)が過去の過ちを認められない体質であるコトで、共産革命の理想によりチベットを侵略したドンは、その革命が間違っていたコトを知りながらも未だに謝罪が出来ません。
その為に、ドンのイデオロギー(理想主義)は混乱しており、そんなドンに操られている中国人民の心も混乱しています。
彼等はドンのチベット支配を正義だと信じ込まされていますが、チベット人の反抗に逢ってその信念は揺らいでいます。
秀祥が生涯をかけて訴えたのは、そんなドンの独善に対する反論で、チベット人が如何に虐げられて来たかを訴えました。
しかし21世紀も後半に入り、チベットはすっかり中華圏に取り込まれてしまっている中で、そうした訴えだけではもう何も変わらなくなっていました。
それ故に現実では武力蜂起が起き、秀祥もそれを支持して戦う者達の為に祈ります。
それは「戦いが憎しみではなく愛によるモノであれ」という祈りで、忿怒尊にもその願いを共有して欲しいと訴えます。