12月の頭は毎年、全世界の日本山妙法寺で「臘八接心」が行われ、わたしも今年は3年ぶりに参加しました。
これはブッタが七日間断食断水で修行をした後に、スジャータからミルク粥を頂いて悟りを開いた故事に習ったモノです。
日本山では普通、この修行は屋内の道場で行われるのですが、わたしは日本山では一番若手の尼僧が主管する成田道場に馴染みがあり、彼女はここ数年、屋外で修行するスタイルに凝っていました。
これは12時間程もぶっ続けで唱題する修行で、腹が減ると感じる余裕すらないほどにハードなモノです。
しかも今年は、車と人が多く通る成田空港の入口付近で行って、昨日はあまり日も差さずに寒い中を、暗くなるまで唱題し続けました。
断食断水で何が1番辛いかと言うと、それは体が冷えるコトです。
わたしは最初に北インドのダージリン道場で「臘八接心」に参加しましたが、この時は余りに体が冷えて寝られなったため、周りのみんなから脱落して一杯のお湯を頂きましたが、これはわたしにとってスジャータのミルク粥のように貴重なモノとなりました。
前置きは以上として物語に入りますが、まずは少し時間を巻き戻して「蜂起軍の最期」を補足させて貰います。
それは「銀河鉄道」に乗るコトとなるチベット蜂起軍の面々が、最期の日々をどんな風に過ごしたかを描くタメです。
彼等は四ヶ月に及んだ「兵糧攻め」に屈しませんでしたが、カロリー欠乏から来る体の冷えには相当マイッタはずです。
きっと彼等の多くは寒くて夜には寝られず、ずっと唱題をして過ごしていたと想像されます。
チベット人の唱える「オーㇺマニペメフム」は「南無妙法蓮華経」と同義で、これは「妙なる法よ蓮華と経てゆけ」と言った意味のマントラです。
マントラは様々な意味合いを含む祈りの言葉ですが、そのコンセプト(狙い)は全ての祈りを1つにまとめて、みんなで一緒に唱え続けるコトにあります。
祈りの価値は、その頭数と永さによって計られるとするコンセプト(概念)もわたし達と共通しており、チベット仏教でも修行はぶっ続けで行われます。
なので蜂起軍のウラン鉱山では数ヶ月間ずっと唱題行が続けられ、それを主管したのは旗頭のターシャでした。
彼女は秀祥の弟子なので、日本山風に7音の太鼓に合わせて唱題し、中国人捕虜達も参加できるように「南無妙法蓮華経」を北京語読みで唱えたりもします。
因みにこの漢字マントラは元々、中国で「セカンド-ブッタ」と呼ばれた天台大師が唱え出したモノとされ、わたしは彼の「法華玄義」に記されている「120の妙なる法」を現代風にアレンジしてブログに発表しました。
それはともかくとして、チベット蜂起軍は核ミサイルが撃ち込まれる最期の瞬間まで、みんなで声を合わせて祈っていたと描けます。
その祈りはダラムサラーでの「宇宙史上最大の葬儀」の祈りとエコー(共鳴)して、「真空の川」を生み出す「呼び水」になったとします。