今回はそうしたエクソダスについて述べますが、その歴史的な背景についてはこれまでに書いて来たので、まずはそれをサラッとおさらいします。
最初の歴史的エクソダスは1850年頃からで、それは史上最悪の内戦と言われる太平天国の乱とアヘン戦争によるモノでした。
行く先は主にゴールドラッシュで沸いていたアメリカで、成功した華僑は親族を呼び寄せるのでこの流れはずっと続きました。
次の大エクソダスは国共内戦により起こり、この内戦も凄まじくて日中戦争などインターバルに過ぎなかったと言われる程です。
それは50万人を餓死させた長春包囲戦に象徴され、そんな戦乱の世で子育てしたいと思う親などまず居なかった筈です。
内戦集結後も、共産党が主権を握り階級闘争を押し進めた為に、資産階級と知識人たちは我先にとエクソダスし、その行き先は殆どが近くの台湾でした。
台湾はそれまで華僑と原住民族が上手く共生しておりましたが、大量のエクソダスによって乗っ取られる形となりました。
その過程では多くの悲劇を生み、それは北と南の対立として長く禍根を残しましたが、今ではなんとかその傷も癒やされ、一つの国家として独立できる実力を有するまでになりました。
因みに私は台湾を3ヶ月旅した事があり、始めは台南の山の中にある日本山のお寺でお世話になり(建設中だったので手伝った)、その後WWOOFで二カ所ボランティアをしました。この有機農業ボランティアでの思い出は、また改めて書こうかと思います。
エクソダスについてはもう一つ、4000万人もの死者を出した大躍進時代に、香港へ100万人もの人民が逃れた事を書きました。
私は香港にも3ヶ月程滞在した事があり、そうした難民の歴史にも興味を持ちました。
それは九龍城という世界一人口密度の高いカオスなスラム街を生み出し、もうそのスラムは取り壊されてしまいましたが、当時をしのぶ記念館が在って興味深かったです。
香港には最近の反中国デモも観に行きましたが、私が行った頃にはもう大学は当局に占領されて入れず、長引くデモで経済的な打撃を受けた市民には政治離れの機運が強く観られ、一部の若者達だけが繁華街で夜中に警官隊と小競り合いを繰り返している状態でした。
警官隊に追われて逃げ回る若者達を匿う年配者も観られ、香港の世代間の絆が健在である事を知れたのは良かったのですが、デモは既に絶望的な悔し紛れの段階に来ており、外国人の私が関われる闘争の仕方ではありませんでした。
もう既に香港からエクソダスが発生している現状で、行き先は台湾が現実的ですが日本に来たがる若者も多くおります。
おそらく香港人ほど日本のサブカルチャーの影響を強く受けてる人達はなく、漫画喫茶やゲーセン、雀荘、はたまたミニ秋葉原みたいな所も在ります。
北海道にWWOOFのボランティアで来る香港人もけっこう多いので、私としては是非ともそのままずっと日本の田舎に住み続けて欲しいモノです。
彼等がコミュニティーを作る位に大勢で田舎に住んだならば、日本でも都会から田舎へ移り住むムーブメントを促進する良い刺激になるかと思います。