1990年代のイラン
今、イランが核開発をしているという疑惑のもとに米・イをはじめ諸外国から経済制裁を受けています。イスラエルはイランの核施設を攻撃すると言っています。イラン国民は制裁が効いてきて物価が高騰して生活が苦しくなっているそうです。
イランの大統領の言葉にはトゲもありますが理もあります。「イスラエルを地図から抹消する」などと言うべきではありませんが、「平和的な民生用の原子力はどの国も持つ権利がある」という言葉は一理あります。実際に多くの国が核兵器も原発も持っています。イランの核兵器を恐れるイスラエルと米国はイランに核兵器製造を止めさせたいなら自分達も止めるべきです。
20年近くの前のイランの旅を思い出しました。日本に来ていたイラン人が多く私達の一行を見ると親しそうに近づいてきて日本語で話しかけました。懐かしかったのでしょう。日本で不法滞在をする人が多かったので強制帰国させられていた頃でした。
中東といえば、イスラム教・過激派などのイメージがありますが、イスラム文化やアラビア文字は優しく美しく素晴らしいものです。ガイドさんが芸術的なモスクの中でコーランの詩の一節を詠みあげてくれましたが天井に反響して私の胸に美しく響きました。忘れられません。
途中で出会ったイラン人女学生や家族連れなども気持ち良くカメラに納まってくれて笑顔で私達を受け入れてくれました。この人達は今どうしているでしょうか。制裁で苦しんでいなければいいなと思います。今のイランは都市化して写真のイメージはないかもしれませんが、遺跡は同じでしょう。すばらしい歴史や文明を持っているイラン。政治が滞ることなく核問題を解決すれば、世界の理解を得られ、戦争の危機もなくなり、国民が幸せになります。イラン政府と宗教指導者の努力を望むものです。
なお、外国人女性はスカーフが必要で、空港に着くまでにスカーフを身に着けさせられました。私達はスカーフだけでOKでしたが、イラン女性は多くが全身を覆うチャドルを着ていました。私も借りて着てみましたがこの上なく不自由でした。こういう女性を縛る諸々の規制から一刻も早く女性を解放してほしいと強く思ったものです。
もう一つ思い出しました。移動の飛行機の中で頭にターバンを巻いた宗教指導者風の男性と隣席になりました。英語で話しかけたら彼も英語で話を始めました。お互いに意思疎通ができるほど英語が通じたわけではありませんが、心は十分伝わりました。とても紳士的で優しい人であることが分りました。ターバンは位の高い人と後で聞き余計に謙虚さが印象に残りました。その頃は穏健派のハタミ大統領の時代で私達はおおいにイランを楽しみました。今は、強硬派のアフマデネジャド大統領の時代。今のイランはどんな雰囲気なのかな~行ってみたいものです。
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