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越生梅林

2014-03-15 19:11:31 | ブログ
 太宰府から小杉に天満宮を分祀した際、菅原道真(すがわらみちざね)にちなんで梅を植えたのが越生の梅の始まりと伝えられる。
梅園神社(旧・小杉天満宮)には観応(かんのう)元年(1350)の棟札が現存する。
 室町時代の名将太田道灌の父、道真は道灌に家督を譲ったのち越生に居を構えていた。
文人としても名を成していた道真のもとには、親交を結んでいた連歌師の心敬(しんけい)や宗祇(そうぎ)も訪れ、越生の梅を賞美した句を詠んでいる。
 幕府が編纂した地誌『新編武蔵風土記稿』に「土地梅に宜しく梅の木を多く植ゆ、実を取って梅干しとして江戸へ送る」とあるように、梅は江戸時代には特産品になっていた。
 明治以降は観光地としても注目され、明治33年(1900)には保勝会が結成され、翌年には奈良の月ヶ瀬梅林にあやかり「新月ヶ瀬梅林」と命名された。「入間川高麗川超えて都より来しかひありき梅園のさと」の歌をのこした佐佐木信綱(ささきのぶつな)をはじめ、田山花袋(たやまかたい)や野口雨情も来遊している。
 昭和17年(1942)には大字堂山宇前河原を中心とする地域が埼玉県指定名勝に指定され、関東を代表する観梅の名所、埼玉県屈指の観光地に発展してきた。
 越生の梅は栽培面積、出荷量ともに県内一を誇っている。平成25年3月

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