ぽかぽか容器

元バレー坊主。

肩は痛いですよ? なにか?

2012年03月26日 | 日記
開き直ってみました。

ええ。

痛いですよ、肩。



だから何?



私は、誰に話しかけているのでしょうか?



いや、私はアホですけど、馬鹿ではない(かどうかは自己評価だけど)からね、

四十肩だ、五十肩だ、言ったって、それが必ずしも
きっちりとした年齢の区切りで訪れるものだなんて、思ってないですよ。

概ね、そのくらいの年齢で発症するから、そんな名前で呼ばれていることくらい、
分かっています。


それともうひとつ。


前回の日記の文末で言っていたこと。



四十肩の再発。



ぜんぜん、珍しいことではないらしいです。




で…



別に、呼称の由来や、その性質が詳らかになったところで、

今現在のこの、肩の痛みが、

治まる訳ではありません。



さて…
ここで問題です。



文中にさりげな(いかどうかは、個人的な感想に委ねますが)く忍ばせた、

「詳らか」

という、単語。



読み、わかりますか?



辞書とか、ネット検索とかしねーで読んでみやがれぃぃぃぃぃぃっっっっっ!!!!!



あ、痛たたたたた…

えっ!? まさか… 五十肩?…

2012年03月25日 | 日記
四十肩を患ったのが、確か42歳の時。

どのくらいの期間だったかは、覚えていないけれど、
ご丁寧に、左右交互に発症しましたw


発症の際、きっかけがある人もいるらしいけど、
私の場合は、突然に痛みが始まりました。



そして…



今また、左肩に、その痛みの兆候があります。


現時点では、痛んだり、痛まなかったり、
どちらかと言えば、痛くない時間の方が長いのですが、

この痛さの質は、間違いなくあの時の痛みです。



さて、ここで思い返してみると…



四十肩を患っていた時期、バレーの活動を控えていたかというと、
まったくそんなことはありませんでした。

う~ん…

覚えていないんですよねwww
だって、本当に痛い時は、我慢して押し通せるような痛みではないから、
痛みをこらえて練習に参加していたら、相当に辛い記憶として残っている筈です。

練習の時だけ、都合よく痛みが治まった???


ただ、ひとつだけ覚えているのは、
前回、初めての四十肩が発症した時、その直後に、何らかの大会が控えていたんです。

そのことは、このブログでも記したはず(ごめんなさいw あまりに古い記事なので探してませんw)
で、サーブのトスアップがキツイと、書いたような記憶があります。

で、おぼろげな記憶ですが、その大会に出場して、
痛みに苦しんだ覚えがないんです。



やっぱり、プレーの時だけ都合よく痛みが治まったのかなぁ?



だとしても…




私の生活は、バレーで成り立っているわけではないので、
やはり身体の痛みは、無いに越したことはありません。

だって、日常の中でも、

歯磨き、洗顔、洗髪、高い所の物を取る時…

こういう時の痛みの記憶は、割としっかりと覚えているんです。



嫌だなぁ…

五十肩だったら。


俺、まだ五十歳ちゃうしw




ん?



四十肩の再発???




あんのか?

そんなん?

インスタントの「つけ麺」

2012年03月19日 | 日記
昨今のラーメンブームが起こる、はるか前、


私が小学生の頃、中学年~高学年くらいだったかな。


インスタントのつけ麺があったんです。



そんなもん、少しも珍しかねーじゃねーか?

って?



いやいやw

現代のような大仰な、濃厚魚介とんこつドロスープ、魚粉つきw
なんて、重装備なもんじゃなかったんですよ。


なんて言うかな、


イメージとしては、ざる蕎麦に近いイメージなんですよ。

確かつけダレは、ちょっと酸味の効いた、醤油ベースのあっさりとしたもので、
ちょっとしたおやつに最適でした。


んで、調べました。

ちょっと、詳細なデータソースには巡り遭えなかったんですが、


1977年頃のようなので、私の記憶は正しかったですね。
私、11歳の頃ですから。


ハウス食品から発売されていたもので、

味は「ごまだれ」と「のりじょうゆ」※これ、誤記じゃなくて、本当に「のりじょうゆ」です。
があったようです。

で、この「ごまだれ」も、すりゴマのペーストを使ったような、
クリーム状のタレではなく、
すっきりとした醤油ベースのものでした。



今はフリーズドライの技術が飛躍的に向上したから、

なんと言うか、インスタント食品素材のチープな感じが無くなりましたよね。

あれはあれで味があったんですけどねwww


カップヌードルの「謎肉」とかwww
今の「コロチャー」に変わる前ですよw

あと、突然変異のような、妙に大きなエビが入っていて、
ちょっと気味が悪かったりwww


あ、余談ですが、そのカップヌードルを製造発売している日清食品の工場が、
茨城県取手市の国道6号線沿いにあるのですが、
で~~~っかいカップヌードルから、湯気(煙ですけどねw)が出ています。

ちょっと画像を探したのですが、他人様のブログなどにしかなかったので、

「日清食品 関東工場」で、画像検索してみて下さい。


あ~あ。

余談で話が終わっちゃった。

風呂温度

2012年03月19日 | 日記
身体に悪いのは分かっているんですがね。


私ゃ、完全なる「熱いお湯」派でございます。



自分にとっての適温は、47℃です。
が、これだと他の家族が誰も入れないので、普段は44℃に設定しています。


これに大反対なのが、完全温湯(ぬるゆ)だらだら入浴派の娘です。



先日、仕事から帰り、私用で外出する前に、さっとシャワーを浴びた時、

ふと、風呂の設定温度を見たら、


41℃w


私ゃ、その数値を見たとき、頭ん中に、
クールミントガム(昔のヤツね)のペンギンの絵が浮かびました。





いや、気温も低い日だったんでね、寒かったんすよ。

で、シャワーの水温が上がるのを待っていた時だったもんでねw


もう、ガッチガチ震えたのなんのwwwww



もうね、湯船に浸かっている時、
肌がチリチリして、なんなら、このまま浸かり続けてたら発火するんじゃなかろか?

てなくらいが、私には適温なんです。



娘なんか、風呂の中に雑誌なんぞを持ち込んで、
一時間くらいは出てきません。


一時間!!!!!

なにやってんだよ?
風呂の中で。

そーいえば、先日ラジオで誰かが言ってたけど、
湯船に浸かりながら、寝てしまうつわものがいるそうですね。


我が家の風呂に入って、
寝られるもんなら寝てみやがれっっっっっ!!!!!

いや、ホントに寝ないでね。
命に関わるから。

だって、追い炊きされるから、
いつまで経っても47℃のままだからねw


あ、いや。
普段は44度℃だけどね。



私ゃ、どんなに長くても20分が限界です。
いやw
20分湯船に浸かり続けるわけじゃないですよw
身体を洗う時間も含めた、総入浴時間です。



ちょっと恐い話だけど、
もし本当に47℃のお湯に浸かり続けたら、
低温火傷とかになるんだろうか?

もしなるとしたら、全身に及ぶわけですからね。

恐ろしや、恐ろしや。



プレーヤーの方に聞いてみたいこと

2012年03月18日 | 日記
いかなるベテランプレーヤーであっても、
必ず、ビギナーだった過去が存在します。


世界のホームラン王、王貞治さんだって、
遠い昔に、一人の野球少年に過ぎない時代があったでしょう。



何かに初めて出会った時の気持ちって、移ろい易いものですよね。

初めて訪れる場所、初めて出会う人、
初めて体験する、遊びであったり、スポーツであったり…

大人になった今、子供のようなピュアな心で、
「初体験」の感動を味わうことは、もう、できません。

今までの体験から、似た事柄や、参考になりそうな経験を参照し、

未経験の事柄を、少しでも無難に処理しようと試みます。


これを、少し悪い言葉で言うと、
「斜に構える」って、言うんですかねw



ひとつひとつ、子供の頃の初体験を綴りだしたら、それこそ限が無いので、

まあ、私で言えば、



初めてバレーボールと出会った時の気持ちですね。



この時の心根を、当時の昂ぶりを、
おぼろげな不安や、まだ、形の定まらない期待感…


それらひとつひとつが、確かに私の中に在ったことは覚えていても、


手を伸ばして、触れようとする刹那、
消えてしまう陽炎のように、

ぼんやりとした、風景画のようなものになってしまっていて、


少なくとも、当時の感動をありのままに再現することは、もう、できません。



積み重ねてきた経験というのは、無くなるものではないことの裏返しで、
無くすことができません。

私はもう、バレーボールの初心者に戻ることはできない(下手だけどねw)のです。



練習や、試合に於いて、様々な場面に在り、
様々な人と触れ合い、

時に、初心者の方と、同じフロアに立つことがあります。

この時、私はどのように振舞うべきなのか、
考えさせられます。


ある時、これは、ソフトではない、革球のバレーボールの練習での話ですが、

学生時代の体育の授業以外で、初めてバレーボールと接するという、
体験入部の方が、
私がコーチをしていた、ママさんバレーのチームに、いらっしゃいました。

メンバーのママさん方がアップをしている間、
ごく初歩の、ボールの扱い方などを、実践を交えながら説明していました。
ここまでは良かったんです。


キャプテンから声がかかり、3メンシートレシーブの打ち手をお願いされました。
これは、いつもの練習メニュー通りです。

そのチームは、ママさんとは言え、
九人制の一般女子(5号球使用)にエントリーしているチームなので、
そこそこレベルの高いチームでした。

男子と同等、とまでは言いませんが、
一般女子のアタッカーは、かなり強烈なスパイクを打ち込んでくるので、
練習に於いても、それなりの強打を打ち込む必要があります。

シート時も例外ではありません。
バレー独特の、重く、強烈な打球音、鈍く乾いたレシーブ音が館内に響きます。

もちろん、その初心者の方は別メニューで、
その日は、シートの後は、メンバーには通常練習、
私と、ベテランのママさんで、その方の、初歩的練習を行っていました。

この時は、まったく何の問題も考えていませんでした。



んで、翌週。



その体験入部の方は、いらっしゃいませんでした。
お休みかな?
と、思ったら、キャプテンが私に言いました。

「すみません。あの方、先週の練習でシートを見たら、恐くなってしまったそうです…」


当時の未熟な(今だって別に熟してないけど)私には、
想像もつかなかった、驚きの事実でした。



そうか。

そういえば遠い昔、
まだバレーシューズも履いていなくて、上履きに体操着の出で立ちで、
コートの外でポツンと、球拾いをしていた、中学一年の時。

三年生の先輩方の放つ、強烈なスパイクを見て、
恐くてドキドキしたっけ。

たまにアタックミスで、直接ボールが飛んできて、
経験したことのない、あまりの衝撃に、バレー部、辞めようかなって、一瞬思ったりしたよ。

そもそも、只のレシーブの練習で、腕がアザだらけになってさ、

筋肉痛で、自宅の階段が上れなくなったり…



その頃、優しく、様々な面倒を見てくれたのが、
二年生の先輩方でした。
つい一年前に、同じ苦労を味わった方々です。

私達の不安を見透かしたかのように、

「初めは恐いだろ?w でも、大丈夫。すぐに慣れるからガンバレ!」

辛く、心が折れそうな時、決まって励まして下さいました。



あの時、俺、感動したじゃん。

優しさって、どれだけ心強いか、身に沁みてわかった筈なのに…




バレーボールの経験がまったく無い人の視線。

まるっきり未体験ではなかったのに、

その人の恐怖心にまで、気遣いが行き届かなかった…



ま、ママさんバレーと、学生の部活では、比較にならないかもしれないし、

実際には、普段通りの練習をしていただけであって、
その人にとっては、最初の段階で、バレーボールの迫力を目の当たりにできて、
却ってよかったのかもしれません。

だけで、経験者の普段通りの動きの中に、

初心者が恐いと感じるものが、あるかも知れないということです。


練習環境の中に、初心者の方がいる場合、
常にそのことを念頭において、気遣いをすべきではないかと思うのです。




なんだか話が迷走してしまったけど、

様々な競技のプレーヤーの方々。


初めてその競技に触れ合った時の気持ち、



覚えていますか?