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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

さらば「立川中華街」

2011-04-12 05:51:00 | ライフワーク

「立川中華街」が、とうとう20011年、3月末で閉店した。
「立川中華街」は四川、北京、上海、広東など様々な中華料理。「上海の小籠包(ショウロンポウ)いや麻婆豆腐店など、彩り豊かなメニュウの店の前で行ったり来たり、さて何が良いか、ああやっぱりこれか」と食を通じて中華文化に身近に触れることが出来た。


同じフロアーには東西南北を守る青竜、白虎、朱雀、玄武門を配置。中華街にはつきものの、三国志の英雄、関羽をまつる関帝廟(びょう)の厳めしい顔が凛と構え独特の雰囲気を作っている。料理店だけでなく、食材・雑貨の店や占いの店も軒を並べ、中華文化を支え、来る人を異境の世界に運んでくれた。


中華街と言えば横浜であったが、其処まで行かなくても足回りの良い、駅ビルの一角に設けられた 。
あの街ぐるみの規模まで及ばないが、多摩地域でもフードテーマパーク型の中華街として登場し、話題を集めたが、結局立ち行かなかった。
「グランデュオ立川」の1999年4月オープン以来、12年を経過するが、中華街としての12年の歴史に幕引きを迎え、実に寂しい。
一時は行列迄作り、ブームを呼んだが、日本人の特性か、熱し易く、冷めやすく、気まぐれな客筋を常に一定に足を向けさせるのは難しい、外食産業の姿であった。


中華の雰囲気を味わうのはこれでさらばと記念に閉店前にカリン姫と一緒に行ってみた。
じじ・ばばの財布の底を見通しか、ごくごく質素に単品物の大好きなめん類で、ご満足されたようで、でも食べ振りは頼もしく、完食であった。
ああ~これで、ここともお別れ、店の人に聞くと、これだけの店も殆どがチエーン店で、撤収。新規リニュウアルしても残るのが1、2軒と実に寂しい話であった。

鏡に向かってため息

2008-03-19 11:36:53 | ライフワーク

大きな鏡に向き合って、我がおつむに思わず
拝「随分うすくなったなあ~」と思わずため息
親方「お客さん、年取ると髪の毛は細く、なってくるんですよ」
拝「う~ん、そうなんだ~」
親方「細くなれば、髪が抜けなくても、薄くなるのはそのせいですよ」
拝「な~るほど」
己のおつむと親方のおつむと並べて、目に入り、若干天然パーマー風で今流行りの茶髪姿で
自慢のちょび髭は、どうみても格好よく見えないが、その豊かな髪の毛のその勢いの差に驚愕する。
拝「凄いね~その頭は」
親方「親からの授かりもので」
拝、少し調子に乗って、「少しわけてくれない?」
親方「お分けできれば、差し上げたいが、こればっかりは、何とも」
こうした冗談に応えてくれる
相手は決められた時間に数こなす、薄利多売サービスの操業で、何時も満員の盛況である。晒し首のようにシートをかけられ、大仏さんのように、黙して語らずの場合が殆どであるが、この親方との出会いがあれば、迷惑掛からない程度に声をかけてしまう。

今年も桃の花が咲きました

2007-03-31 05:55:00 | ライフワーク
◇突然の凶事
春を告げる燐家の自慢の桃の花である。写真は去年撮ったもので、未だ咲いていない。

その時期を迎えると、白か、やや淡いピンク色に見事に咲き広がる。花音痴の輩もその華やいだ姿をカメラに納めようとしているとき「楽しみにしているの・・・綺麗でしょう」なんて庭先から声かけられ、一緒に花を囲み、自慢の花の美しさの前に見とれていた。
先日、当春夏秋冬で「静かな住宅地の出来事に」を書いたが、外出して、家に帰ると車が止まっており、留守のはずなのに、退院には早いし、何故かなあと、不吉な予感が過ったが、ご不幸な知らせであった。
その花の持ち主がとうとう帰らぬ人になってしまった。
3年前の盛夏にご主人が亡くなられ、後を追う様に早い旅立ちであった。
オーデイオを始め、ギター、ピアノを奏でる多趣味のご主人であり、その秀逸な演奏振りは、道を隔てて自然と耳に入り、鮮やかな引きっ振りに関心していた。
奥様も負けず劣らず、ギター、花他、旅行など多趣味で幅広い交遊関係は温かい人柄からと思えてくる。
最愛の連れ合いに先立たれ、やはり心の支え、柱を失う、目に見えない物が、後を追う形で早めてしまったのであろうか、突然のことであった。
その懐の深さ、温かさに惹かれ、隣接以上の気持ちの触れ合いに、先日の雪降りには雪かきなど、手に負えない力仕事はお手伝いした。
これから徐々に温かくなり、もう寸でのところに春が来ているのに、一斉に咲き誇る花、取り分け桃の花を見られずさぞ心残りだったのではなかったろうか。
今年も目一杯、輝き可憐な姿を見届け「綺麗に咲いてますよ~」と声をかけたい。
お冥福を祈ります。

◇旅たちに残された記録に涙
亡くなってから故人が残された文書が見つかり、その中身の紹介に思わず涙を誘った。
お主人に先立たれ、気落ちされてる心情の中で、近所との絆を大切にされた御遺志がたっぷりと読み取れた。


取りまく近隣の家族それぞれ個別の助け合い触れ合いの姿を丁寧に書かれていた。
因みに輩のことは背の高い植え込みの梅の木を手が届かないので、毎年その時期になると、枝落としのお手伝いしていた。
まあ、職人さんに頼む程も無い簡単なことでもあったので、何時でも声をかけてくださいと伝えていた。
そんな子細なことまでが、感謝されたメッセージの一つとして紹介されるに及んで、気恥ずかしさと、その声に思わず胸が熱くなってしまった。
今から考えると、もう少し腰を入れた、お手伝いが出来なかったかとも思ったが、既にかなわぬ事になってしまった。
此れまで、身内やら、親戚やら、会社関係で年相応に色々な法事に出席したがこうして、故人から生のメッセージを頂くのは始めての事であり、真に迫るお別れであった。
寝込むこともなく、元気なお姿であっただけに、一つ一つを書き留め、記録に残す勇気、随分辛かったんだろうなあと、思わざるを得ない。


◇春を告げる燐家の自慢の桃の花。
真っ白とピンクが見事に咲き開いている。
その純白さと淡いピンクは庭先から道路にチョコンと顔を出しているが、その勢いは例年より若干遠慮しているかなと思うけど、その可憐な姿は優しく癒してくれる
「今年も見事に咲きましたね」と庭先に居る奥さんに声をかけ、一緒に咲き誇る花を前に語り合い、花を通じてお隣同志の挨拶から、心通う物が生れていたが、その主も居なくなってしまい、残された花だけが唯一季節の挨拶を告げている。


丁度今頃、突然の不慮に別れを惜しみつつ、お別れをしたが、つい昨日のように思えるが早いもので、もう1年も経ってしまった。
今年は暖冬に継いで、3月に入って冬に逆戻りするなど、春を告げるこの桃も桜も開花時期、全く予測も付かない目まぐるしい天候であったが、ようやく花開く時期を迎えた。
主の居ないまま、余り、手入れが行き届かなくても、主の心遣いが、花に行き渡り今年も目一杯咲いている。
ギター、花他、旅行など多趣味で幅広い交遊関係は温かい人柄と思えてくるが、慕われる交遊関係は多数に及んでいる。
お亡くなる寸前まで殆ど寝込むこともなく、衰えもなく、元気に趣味に打ち込まれる姿であった
近隣住民の一人として、お別れの儀式にお招き頂き、お焼香してきた。
白、赤、紫と沢山の花に包まれた見事な祭壇に御霊棺は飾られ、優しい微笑みの笑顔の写真がとても印象的であった。
厳粛な中での葬儀も終わり、祭場からの出棺に喪主からのお挨拶があった。

故人が入院される前にどうやら、天へのお迎えを予想していたのか、お礼を含めたお別れの挨拶だけに、突然のご不幸は驚くばかりであったが、今でも、微笑む笑顔が庭先から見える感じがする。
あまりの突然の事だったので、お別れの挨拶を告げられなかったのか、主の居ない燐家へタクシーで乗り付け、その消息を尋ねる方も、未だにおられるようである。
優しい人柄からに、何時までも万人に慕われている。
加齢により、その世代にダンダンと近づいてきても、世に憚る悪行に明け暮れ、「とうとうあのじじいも悪運付き、くたばったか」と言われるのが関の山と観念している。
俗に言うPPP(ピンピン ポックリ)なんてえのが、人に迷惑掛けず、理想だが・・・。
この華やか開花時期は卒業、入学のめでたい節目を飾るに相応しい季節でもあるが、一方では会社時代の現役上司、そして実兄も、散る花びらに見送られて散って行った。
主の居なくなった今年も、手塩にかけた草花が未だしっかりと根付き、花咲く姿を高い所から、微笑みながらしっかりと見ている気がする。


ようこそ松崎家の世界へ

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