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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

あほうな耐寒体験

2005-12-31 12:03:00 | 野次馬見物

漆黒の闇から、日の出を迎える劇的な変化をこの極寒の時期にとらえて見た。
星が輝き、氷点下4~5℃冷蔵庫の中のような朝、5時台にデジカメと三脚を下げ家を出て、360°見通しが効く近くの神明台に足を運ぶ。
もとより、人の気配は全くなく、時折眩しくライトを照らす、車が通るぐらいの世界であるが、時間が時間でけに怪しまれても仕方ない、深夜未明の行動であった。
しかし、怪しまれ、咎められることもなく、事前に位置決めしておいた駐車場に向かい、台地の一番東南の縁にある場所で、三脚を立て、カメラ位置を決める。
家を出た時の温もりは完全にすっとび、末梢神経が完璧に別人のように機能せず、三脚にセットするカメラのネジが、中々セット出来ない。漆黒の闇の中液晶モニターを覗き、南東側の水平線に位置合わせ、何とかスタンバイする。
「おお~{{{{(+_+)}}}}寒ううぅ~」
暫くは星と、眼下に入る照明と信号の輝きだけの世界が続き、時の経過を待つが、長袖シャツに薄いパーカーの世界では血流が止まるぐらいに心底から冷え込んでくる。なんとアホなことと思いつつ、体を動かしても、体全体がどんどん冷えて、指の感覚が無くなってくる。
やがて、東南の水平線の彼方から、赤く染まり、段々と面積が拡がってくる。
「お~これだこれだ」とシャッター速度1~2秒程でその瞬間を撮らえ、撮った画像を液晶モニターで、そこそこ映っているのを確認する。
あっと言う間に水平線の赤みが、徐々に黄色の線と周辺が白っぽい色に変化し、漆黒の世界から薄明るい世界に変化するのが早かった。
目の前に繰り広げられる、日の出間際の変化するシーンを逐一撮らえたが写真に在る様な水平線彼方の建物や構造物がシルエットとなって映る姿が一番絵になった。
こうして2005年の幕引き間際の幻想的なショウーは終わった。もう周辺は明るくなったが、凍りついた体は固まったまま、震えが全身を覆いともかく、温もりの世界に飛び込みたかった。

生麦で一杯

2005-12-16 11:48:00 | 野次馬見物

旧東海道の生麦は文久2年(1862)に薩摩の大名行列が西下する際、英国人4人が馬に乗って川崎に向かう途中、この行列に遭遇し、英国人を殺傷する事件が発生する。その報復のため、7隻の英国艦隊による薩英戦争、10満ドルと高額な賠償金の支払いなど、国を揺るがす大きな「生麦事件」になってしまう。
その事件の傷跡は至る所に残され、事件の8月21日には日英の関係者が集まり、盛大な供養が行われるようである。
その旧東海道筋の嵐に巻き込まれた遺跡を見学し、その道筋にキリンビールの工場見学に寄ってみる。写真の通り、その洒落た佇まいの建物と手入れの行き届いた庭はとても、物作りの最前線たる工場とは思えない。
何を今更、工場見学とは?大好きなビールがただで飲めると言う、貧しい発想から、目の前の工場に自然と足が進んでしまった。
寒波が押し寄せ、背中を丸めながらの寒中の時期にビール工場へと向かう暇人は無かろうと思いつつ、案内所の玄関に入る。綺麗なお嬢様に迎えられたが、さすが一人では案内出来ず、他の物好きが来るまで待機するように言われた。果てさてこんな時期に何時現れるかと、思いつつ、数分もたったころ、ニコニコ顔の案内嫦が「お客様が来られました、定時にご案内致します」にほっとさせられる。
醸造、発酵、ビン・管詰めの製品プロセスをガラス越しに見せてくれる。徹底した無人化に省力化の究めを見る様である。
道中の案内嬢に一生懸命メモを取る真面目なご老人に敬虔な眼差しで見守っていたが、途中から質問が出ていたが 、それが段々エスカレートし、説明を遮り、ご自分の自慢話に変わっていく。
案内嬢も流石プロ、笑顔で応じていたが、腹の中は苦渋に満ちているようであった。場所、廻りをわきまえないふるまいに腹も立ったが、説明はもうどうでも良かった。
試飲コーナでまさしく苦いビールでもあったが、割り当て枠のお代わりまで、意地汚く飲み、休む迄もなく其処を出た。構内のレストランにてウインナーセットとパンで改めてもう一杯飲みなおし。(勿論有料)
流石、酔いも廻り、気分は舞い上がりながら、再び旧東海道を西に向かった。

巨大な足跡

2005-11-08 11:15:00 | 野次馬見物

直近で殆ど気づかなかったものが遥か高空の世界から、巨大な足跡が見える。
良く見ると左足で土踏まずから、指先の部分に人が群がって見える。
米粒のような小さな人影に足跡の大きさが、如何に大きいか良く判る。
この巨大な足跡から、その大きな巨人を想像する。
相模原台地の沼地や窪地の形成伝承として伝わる主人公の「でいらぼっち」の夢ロマンをイメージする巨大な足跡モニュメントである。
鹿沼公園の池は、「でいらぼっち」が富士山を背負ってきて一休みしたが、休んでいる間に富士山に根が生えて動かなくなったので、地団駄(じだんだ)を踏んで悔しがった、その足跡であるという伝承を伝えている。
相模原麻溝公園の一角に建つシンボルタワーは無人のエレベータで地上33mの世界に一気に運んでくれる。足下の巨大足跡から、周辺の整備された広大な麻溝公園、女子美のキャンパス、遥か先に目を転じると、丹沢の山並み、大山が手の届く所に見える。
360°遮る建物が何もないので、まるで飛行機から見るような別世界の眺望が楽しめる。広々とした庭園にかったんも一生懸命歩き、芝生や遊具、それに小動物と夢中になった。このタワーからの眺めも含め、大人も子供も一日楽しめる、近未来の公園である。

ウランバトールから

2005-06-15 06:25:00 | 野次馬見物

反日、靖国参拝、従軍慰安婦、領土と、まあ次から次へと気の休みない問題が嵐のように吹き荒れる、近隣諸国との話題に尽きない。そんな中で、過去の問題を余り引きらず友好な関係を保っているの国の一つはモンゴルでは無かろうか。
JICAで派遣されたkenも3カ月を越え、そこそこ安定した生活基盤ができたのか彼の地からの様子が、切らさず送ってくる。
便利な通信手段と文明の利器デジカメで、距離を感じさせない異国情報がたっぷりと寄せられる。
写真は博物館に訪れ、課外授業を受ける仏教学校の生徒達の屈託の無い、生き生きとした表情である。
全員頭を丸め、独特の民族衣装に身を纏め、師匠の話に笑みを浮かべる姿に粗末な設備や生活環境中でも大事に育てられている、教育現場の姿が伝わってくる。


FM多摩から出たぞ~

2005-03-30 10:44:00 | 野次馬見物

多摩市に放送エリアを持つ、FM多摩放送から、小生が所属するサークル「佐彦会」が目にとまり紹介の機会を頂いた。いきなり本番ではとまどうので、此処、聖蹟桜ケ丘のビルに伺ってスタディオの見学と当日のすり合わせを行って、本番に備えた。
放送当日、興国の興廃ここにありと臨戦態勢に臨んだが、本番前の応接で事前に練り上げた資料がないことに気付く。手元の袋と書類を何回もひっくり返したが出てこない。局に訪れる前に会議をやり、そこで巻き込まれてしまったのだ。「なんてこったい」と思いつつ、もう残りの資料で立ち向かうしかないと忘れものは吹っ切り、スタジオに入る。メータの居並ぶ調整卓にディレクター、小生を囲む様に二人のアナウサーが総て女性であった。ディレクターの合図でトップミュージックが流され、無言の数十秒間、いやが上でもポテンシャルが上がって行く。二人の対話から本日のテーマと名前が紹介され、軽いテンポで話を振ってくる。目の前のマイクを前に重い口が開く。「えーと、あの~」言葉が出ない、放送では禁句の繋ぎ言葉がついつい出てしまう。 それも慣れてくると何とか彼女達との対話にようやく付いて行けるになるが、それも事前に準備した想定問題の範囲だった。機関銃のように出てくる質問に汗かきながらの応対にあっと言う間の20分であった。
何とか終わった後、テープにとった 録音を家で聞き、悪声が地域に広がってしまった事の恐ろしさを改めて認識した。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/