yugumo

日々、写真など

1日1枚、撮りためた写真を載せていければ。

何年もぐるぐると考え続けていること。2022-04-07

2022-04-07 23:14:00 | 日々の写真
わたしって、とんでもなく自己肯定感が低いんですよね。
それは高校生くらいの時からも気付いていたし、
アダルトチルドレンなんて言葉も既に知っていた。
自分がそういう人に当てはまるんだろうなあ
なんてこともすぐにピンときたわけですよね。
でも、よく言われる
「自分で子供の頃の自分のことを認めてあげる。
抱きしめてあげる。」
なんてことがよくわからなかったわけです。
大体アダルトチルドレンとは〜な人のことですよ、
〜がきっかけでそうなったんですよ、なんて説明はしてあるけど、
じゃあ具体的どうすればいいのかということは、
抽象的なイメージでちょろっと書いてあるだけで、
結局はよくわからないまま終わってたんです。
その当時は今みたいに電子書籍なんて無かったし。
心理学には興味があったけど、
親からメンタルが弱い、なんて言われてたわたしは
心理学の本や自己啓発本なんて恥ずかしくて買えなかった。
まあそうじゃなくてもよく考えたら、
アダルトチルドレンについての本なんて
親の前では読めないですよね。笑
そしてそれ以上に親の親(祖母ですね)の猛毒親っぷりに、
それは辟易するしか無かったわけです。
そんなかわいそうなお母さん、
頑張って子育てしてきてくれたお母さん、
愛情持って育ててくれたお母さん、
そんなお母さんを悲しませることなんて言えるわけない、
普通にずっとそういうふうに思っていました。
自分のしたいことを思うようにすること、
思っていることを言うこと
恥ずかしいこと、誰かを傷つけること、
母の考えに反対すること、
それらは母を悲しませることだ
思い込んでいたんですね。
もちろんそれは母のせいだけではなくて、
学校や、社会や、友達や、それぞれの影響を受けて
そう考えてきたことなんだろうと思います。
だって考えてみたら産まれてきた時から
もうバブルは崩壊していて、
ゆとり教育なんてのが気づいたら始まり、
お受験ブームで、
今度はゆとり教育は失敗だと言われ
高校卒業間際に履修漏れなんてことで
何にも悪くないのに同じ教科をやり直し、
AO入試なんて急に学力の関係ないもので合否を決められ
(これは悪くないと思うけどまじめに勉強してきた子はびっくりするよね)
さあ就活だ!なんて思えばリーマンショックで大不況、
何十社も企業を受けることになり、
やれ一言目にはコミュニケーション能力が…なんて言いはじめ
なんとか卒業だ!なんて思ってたら
間際に東北大震災で超自粛モード、
入ってみた会社はブラック企業
(ごめんなさい、これは私は就職してないのでわかりませんが…
でも業界自体は普通にブラックです)
SNSが発達してみんながオンラインモード、
全然卒業してから会ってもなかった友達が
家買ったり子供産んだり
同年代でめちゃくちゃ成功している人の情報が
知りたくなくても勝手におすすめされたりするわけですよね。

これで自己肯定感上がるわけある??!!
て、
素直に思うんです。笑
これ、わたしだけじゃなくて、
同年代のゆとり世代の大半はこうだと思います。
平成以降に産まれた人は結構みんなこういうしんどさあるんじゃないかな。
昭和にも同じように就職氷河期なんかがあったりしたので、
種類は違えども同じような苦しさを持っている人はいるように思いますが。
(ちなみに昭和生まれの人で仲良くなる人は、
決まってある特定の年齢の人です。笑
元夫もそうでしたが。気が合うんでしょうね。)

だから自己肯定感低くて普通。
と今は思ってます。
ゆとり世代の人、あなた悪くないですよ。
よくわからないテレビやネットのおじさんの声に
今まで耐えてきたんだと思うんです。
もちろん同年代にもスーパー自己肯定感高!って人居ると思いますけどね。
でも、自分でそう言っている人って、本当にそうなのかな…?
て疑ってみている自分もいます。笑

子供を育てていると、嫌でも自分の子供時代のこと思い出すじゃないですか。
そうすると、嫌だったこと、嬉しかったこと、思い出すわけです。
産む前は、楽しい記憶の方が多かった子供時代も、
子供を産んでしまえば、そういえば、
あれ、悲しかったな…なんで悲しかったんだろ?
なんてことも出てくる。
わたしは特に不安の強い子供で、毎日自分が殺される夢見てました。
これ、普通なのかなあ?
あんまり他の人の夢で聞いたことないけど…
殺される夢に慣れすぎて、しまいには明晰夢まで見るようになってました。
殺されそうになると、あ、これ夢だな、って。
小学校では入学して1週間で保健室登校です。
いや弱すぎるやろ!笑

なんて今では突っ込めますが、
ただただ自分はこれじゃあ駄目なんだって
ずっと思っていたような気がします。

自分が不安の強い人間だからか、
なんとなくこの人は不安を抱えているんだな、とか
この子は今不安なんだな、てことが結構わかる気がします。
そこに最初は寄り添いすぎてしまうのですが。
でも自分自身の方にキャパが少ないから爆発してしまう。
たぶん自分のアダルトチルドレンたる所以なんだろうなあ。
自分のメンタルの弱さを忘れてしまうんです。
自分はおおらかでありたい、優しくありたい。
本当は違うのに。
メンタルの弱さは悪いことではないのに。

恩師の命日。2022-04-02

2022-04-02 15:45:00 | 日々の写真
3月末は、大学時代にお世話になった恩師の命日です。
時々、夢に出てきてくれるんですよね。
この前見た夢は、クラスの他のみんなはほとんど寝ているのに、わたしだけ起きていて、
「お前はちゃんと起きてきてえらいな」
なんて褒められちゃう夢で、でもわたしは
「最近つらいことが多くて、夜も眠れなくて、今もそれで起きているだけなんです」
というようなことを言うんです。
「そうか、眠れないのか。でも、ご飯を食べられるだけでえらいんだぞ」
と先生が言うので、持っていたお弁当の残りを「全部食べました!」と言って見せたら
「よくやった」と言って頭を撫でてくれました。

お父さんと幼児のような会話。
その夢が、すごく胸にあったかいものが流れた感じがして、目が覚めたとき、
「そうか、何も出来なくても、ごはんが食べられたらえらいんだ」と妙に納得したのを覚えています。
実際の先生は結構厳しくて怖いな〜なんて思ってたんですけど、
そういう辛いとき、優しい言葉をかけてくれる方だったので、
厳しい一言を言いつつも、夢のような事も言ってくれるんじゃ無いかなあなんて思いました。
頭を撫でてくれるかどうかはわかりませんが。

昨日さらっと離婚したということを書いたのですが、去年のわたしは実際つらいと感じることが多くて、
もちろん元夫のことは長年好きで、20代の全てを一緒に過ごしたので、それが悲しいという事もあるのですが、
離れる事自体が辛いというよりはその費やした時間、離婚した事で失った家族としての未来、
ようするに執着のようなものが捨てきれずにいました。
結婚することで諦めたこと、いつのまにか犠牲にしていた自分の時間を急に取り戻したことで、
「今日から自分だけの力で歩きなさい」と
人まかせにしていた責任と現実を突きつけられて、怖気付いたのかもしれません。

今まで何度か人間関係に失敗した経験はあるのですが、大体が同じパターンだとうすうす気づいていたので、
これはきっとわたしに問題があるんだろうな、と認めざるを得なくなったんですよね。

元夫とは一般的な離婚した後の夫婦の関係としては、割と良好な方だと思います。
養育費をもらっていて、月に一度子供を会わせていて、保育参観があれば一緒に参加するし、
主に子供のことで相談に乗ってもらったりします。
まあこれはなんとなくわたしの寂しさを察して元夫が合わせてくれているだけかもしれません。
だからと言ってやり直したいかといえば、それはきっと出来ないだろうなあなんて事も思います。
夫婦としてやり直すには、越えないといけないハードルが高すぎる。
でもお互いにそれを越えるだけの熱意や意志は無いのが答えかな、と思っています。
それよりはお互いに自分の事を大切にしたい。
その意見が一致したから、離婚に至ったのだと思います。

息子もこの家族関係に疑問を抱いているのかもしれません。
でも険悪でお互いに我慢したまま一緒過ごすよりは、
離れて適度な距離で穏やかに子供と過ごせるほうがいいのかな、と今は思っています。
仮に夫婦を続けていたとしても、自分の人生の責任は自分で持つしか無いんですよね。
それがなんとなくわかってきたところです。


ログインできました。2022-04-01

2022-04-01 08:28:01 | 日々の写真

もうきっとこのブログを読んでいる人はいないだろうな…と思っていたのですが、
意外にも毎日7.8人くらいのアクセスがあることがわかりました。
しかもなんだろう、昨日のアクセス、めちゃくちゃ多いじゃないか。
たしかに昨日一から十まで全部読み返したけど、これ全部自分じゃないよね?
(追記:疑問に思って調べたら、gooのブログ解析はbotの足跡も残るので
アクセス数がやたらと多いらしいですね。納得。)

5年ぶりにログインできました。
というのも、出産前にiPhoneが壊れて、本体が全交換となり、そのままアプリが消え、
ログインパスワードがわからなくなり、アドレスもわからず、検索ワードにも引っかからない…
そんな感じで、まあ放置してればブログ自体消えちゃうんだろうな〜とぼんやり思っていたのですが、
gooのブログってそういえばそのタイプのブログじゃなかった。
別件のパスワードを探していたら、同時にこのブログのパスワードも見つけることが出来たというわけです。
テンション上がったよね。

このブログは、ちょうど今から10年ほど前の3月に立ち上げたものです。
大学を卒業したばかりの23歳だったわたしは、
子供を産んで、離婚もして、今は33歳になりました。バリバリの後厄年です。

子供産んでからはすっかりSNS依存というか、Instagram依存で、
子供の写真を撮っては載せ、でもさすがに子供も大きくなってきて、
このままではいかんだろう、なんて考えていたわけです。

10年でSNSってすっかり今の日本人に定着しましたよね。
Twitterにしても、Instagramにしても、
友達、上司、部下、親兄弟、夫、妻、親戚、
みんなが利用しているという事態になってしまいました。

小学生の頃から何かしらオンラインで発信していますが、
昔は誰にも言えない悩みだったり、絵を評価してくれる人がいたり、
共通の趣味を楽しむことが出来たのがインターネットという認識でしたが、
今やSNSはすっかりオフィシャルの場となっていて、
ネガティブなことを書けば鬱陶しがられるし、
ポジティブなことを書けば妬まれる、
そんな窮屈な世界になっていったように思います。

そんな世界にだんだん苦しくなってきて、それでも何かを発信したいという気持ちは無くならず、
どんだけ承認欲求強いんだわたしは…なんて思っていたところで、
仕事でブログなんかを始めてみたりしたのですが、
やっぱり仕事で書くとなると、なにか価値提供できるような文ではないといけないじゃないですか。
そうすると、本当に書きたいことを書けるわけじゃなくなってくるんですよね。
もちろんジャンルが違うってだけで書きたくないことを書いているわけでは無いのですが。

そんな訳で、noteかどっかで自分のことを書けるブログを作ろうかなあなんて事も考えたのですが、
それはそれで一から自分の事を説明するのも面倒だなあ、なんて思っていたんです。

そしたら、めちゃくちゃちょうど良く自分のこれまでの事を書いてあるブログがあったじゃないですか。
しかも、最近また趣味として凝り出した写真をメインとしたブログだし。
利用するっきゃない、ということでこのブログ、再開することにしました。

見る人が見たらわたしだとわかる写真も多いので、記事をちょっと消そうかなあなんて思ったりもしたのですが、
当時考えていた素直な気持ちを書いていたりして、そのスタンスは悪く無いな、と思ったので、
そのままの方針で続けることにしました。

今までのInstagramでは、主に子供の成長記録中心という感じで、
さすがに子供のプライバシーもあるしな…と思って写真メインのアカウントを作ったのですが、
どうしても自分の子供って、かわいいじゃないですか。
かわいく撮れた写真って、載せたくなるじゃ無いですか。
ポートレート的な作品だとしても。
でもそれもやっぱりプライバシー的にどうなんだ…という自己矛盾というか、葛藤があったので、
こっちはもうちょっと子供から離れた視点の写真を載せたいな、と思ってます。
って、たぶん顔は写ってなくても写真は子供になるんだろうなあ。
だって撮りたいものってやっぱり子供と猫だからなあ。

そんなこんなでタイムカプセルを掘り起こした気持ちになったので、
またすぐに飽きるかもしれませんが、思った事を書いていきたいと思います。